長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

「生きるためにはゆとりが大切・・・」

きのう(12日)の夜は、倉敷での
「ものの見方・考え方」講座の2回目でした。
8名参加。若い人が少なかったのも残念。

 

 

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写真もちょっと寂しい感じですが・・・

 

テーマは「人間とは何か(2)―社会と文化」でした。

前回、「知性と理性」の話が

なかなか難しかったようで、できるだけ

ていねいに語るように心がけましたが・・・。

 

以下、講義の概要です。

 

 

 

一。「わたし」とは誰か

 1。いろんな「顔」をもつ「わたし」

  ◇「顔」とは、つながりのこと

   *さまざまな「顔」を同居させつつ、

配分を使い分けながら生きている

 

「人間にはいくつもの顔がある。私たちは、このことをまず

肯定しよう。相手次第で、自然と様々な自分になる。それ

は少しも後ろめたいことではない」

(『私とは何か-「個人」から「分人」へ』

平野啓一郎、講談社現代新書)

 

「人間は、たった一度しかない人生の中で、出来れば

いろんな自分を生きたい。対人関係を通じて、様々に

変化し得る自分をエンジョイしたい。いつも同じ自分に

監禁されているというのは、大きなストレスである」(前掲書)

 

     ・ただし、「ひとりの時間」も現代人にとっては不可欠な時間

 

  ◇「わたし」はどんどん変化する

   *年齢、地域、仕事、環境・・・

 

「人間は、他者なしでは、新しい自分になれない」(前掲書)

 

   *どんな「つながり」を大事にしていくのかという

選択(どんな自分をつくるのか)

 

 2。社会的諸関係の総体

 

「人間的本質は、個々の個人に内在するいかなる抽象物

でもない。人間的本質は、その現実性においては、社会的

諸関係の総体である」

      (カール・マルクス「フォイエルバッハにかんするテーゼ(6)」)

 

   *人と人とのつながりは、個人の外にあるのと同時に、それが

同時にそのまま個人の内面をつくる。わたしのなかに「他者」が

入り込んでくる。

 

「人間は、自分1人では『自分』というものを育てることが

できず、人間になることはできない。人間仲間によって

育てられるなかで、その仲間を(他人を)自分のなかに

とりこんでいくにつれて、しだいに『自分』というものが

育ってくる」

(高田求『新 人生論ノート』新日本出版社、1979年)

 

 

二。社会と「わたし」の関係

1。社会を形づくる3つの側面(おおまかな分類です)

   ◇政治的関係

   ◇経済的関係

   ◇文化的関係

 

◇社会を知ろうと思ったら?

…テレビニュース、新聞、インターネットetc

*新聞がいちばん包括的-新聞を読むことの意味について

   *社会と「わたし」との関係を考える

   *「関わりたくない」「わからない」「興味ない」と、客観的諸関係

 

 

2。その関係なしに、他の関係も成立たないものは?

◇経済関係が土台(基礎)にあって、他の関係も成り立つ

    *なぜなら、社会を構成する人々の生活を維持していくために

必要なものを継続的に生産し続けなければ、社会はなりたた

ないから。

 

◇生産のあり方が、社会のあり方を規定する

    *どんな生産関係のもので、生産活動が行われているか

    *土台(経済)が上部構造(政治や文化・思想)を規定している。

しかし、相互作用の関係。土台の矛盾は上部関係で「決着」

をつける。

 

3。いま私たちが生きている社会は、資本主義社会

  ◇資本主義って?・・・これを明らかにするのは、経済学の課題だが。

   *端的にいえば・・・

    ・ほとんどの労働生産物・サービスが「商品」という形で

生み出される社会

    ・生産手段をたくさんもっている資本家が、まったく持って

いない労働者を雇って、生産活動を行う。労働者は

資本家との雇用関係を取り結ばざるをえない。

    ・資本家が商品生産を行う目的は、利潤の獲得にある(資本の特性)

 

◇私たちが「どう生きるのか」と、「どんな社会なのか」は深い関係がある

 

◇時代に制約を受けつつも、個人や人間集団は、ただ受け身の存在ではなかった。

    *人間は、自然環境・社会環境に順応しつつも、その環境を変えてきた存在

 

その時代の課題と向き合って生きる。  なぜか…それが人間だから。

 

◇私たちが生きていく「時代」とは、どんな社会になるのか(していくのか)

 

21世紀とはどんな時代なのかへの洞察。

 

どんな「わたし(たち)」として生きていくのかの問いかけにもなる。

そのためには、人間の歴史と社会発展の理論の学びが不可欠。

 

 

三。健康と文化を考える-「社会」とのかかわりで

 1。健康とはなんだろう

  ◇肉体的・精神的・社会的

   *バラバラでなく、相互に関係

   *先進国でとびぬけて長い労働時間

   *とくに強調したいのは、「社会的健康」という問題

   *貧困は健康を土台から崩していく

*『健康格差社会-何が心を健康を蝕むのか』

(近藤克則、医学書院、2005年)より

 

2。文化とはなんだろう

◇英語で文化は「culture(カルチャ)」

*その動詞形は「cultivate(カルティヴェイト)」

*その意味は、「~を耕す」「~を栽培する」「~を養う(育てる)」

*人間らしさをつくるものとしての文化。

 

  ◇生きるために絶対必要な、衣食住も、文化的要素を取り入れている。

   *食事をするときの空間、ゆったりとした時間。さまざまな器で、

さまざまな調理方法で、食材を楽しみ、味わって食べることが

できるのは、人間だけ。

   *ファッションも人間独特。社会性をもつからこそ、ファッションが生まれる。

   *住む家も、たんなる「ねぐら」ではない。空間性。そこでも文化的営みも。

 

  ◇ゆとりが文化を育てる

   *お金

*自由な時間

*人間関係

 

*貧困は文化を蝕む

    ・憲法25条は「すべて国民は、貧困であってはならない」という宣言

    ・人間だから

 

*「ゆとり」を奪われている社会・・・なぜ?

・それを、ムダ、として削る力が働くのが、資本主義社会。

・文化を格段に発展させてきたのも、資本主義社会。

・私たちの「たたかい」が必要。

 

以上。

 

 

 

参加者の感想文をいくつか。

 

◆人、文化が大切にされる社会を実現したいです。

 

◆わたしとは誰か。よくわかりました。とても参考になります。

人間的本質も、社会的関係の総体であるということも、

参考になります。

 

◆健康と文化を考えるという講義がとても印象に残りました。

特に、文化の問題で、貧困は文化を蝕む、という話は心を

打ちました。私の友人が、金がないので「文学会」に入って

はおれないと言って、退会していきました。また、私の息子に

金がないので新聞は取れないと断られました。やはり、文化には

ゆとりが必要です。つまり、お金、時間、人間関係のゆとりです。

 

◆わたしは社会-政治的・経済的・文化的のなかでいかに

生きているかを位置づけることが必要だと思いました。

社会のなかで健康に生きて(暮らす)いくためには、肉体的、

精神的そして社会的に調和がとれていることが大切である

ことに気づきました。肉体的、精神的というのは今まで

気づいていましたが、社会的ということについてはあまり

考えていなかったので、なるほどと思いました。生きるためには

ゆとりが大切ということも改めて共感しました。平和である

ことも大切だとつくづく感じました。

 

◆資本主義社会は構造的に差別をつくられているという

お話が、とてもショックでした。仕事柄、“子ども”を通して

家庭の様子が見えてくるのですが。今日、母子家庭の

お母さん、おばあちゃんの話と重なりました。それは

小さい子ども2人をかかえて最近夫と離婚したお母さんが、

一生懸命働いても働いても少ないお金しかもらえない、

どうやって子どもを食べさせたらいいのかわからないと

言われていたことです。こんな人が、日本の社会の中に

大勢いて、生きる喜び、生存する意義すらもてない…。

私達はどうしたらよいのでしょうか。