きのうの関西勤労協での講演「生活のゆとりと人間らしさ」の
最初の部分の問題意識のみレジュメをご紹介します。
一。生活ってなんだろう、という問題意識
1。昨年の春にたまたま読んだ論文をきっかけとして
◇上田耕一郎「現代の生活における貧困の克服」(1963年)
(『上田耕一郎著作集』第1巻所収、新日本出版社)
「『生活』という使いなれた言葉から、私たちはまずなに
を思い浮かべるだろうか。それは第一に、いっさいの人間
的諸活動を個人の場で切りとったもの、すなわち、1人ひ
とりの人間にとっての1個の小宇宙を意味している。人間
の尊厳も栄光も、その創造性も未来もすべて生活のなかに
はらまれ、はぐくまれる。・・・1人ひとりの生活はなにもの
にもまして貴重であり、1人ひとりの、自己の生命と生活
のかけがえのない貴重さにたいする誠実な態度が、すべて
の人類の生命と生活の尊重につながるものである。自分の
生活を大切にすることなくして、他人の生活を尊重するこ
とはできないし、他人の生活を犠牲にして自己の生活を人
間的に生ききることはできない。人間の進歩が、人間全体
の物質的・精神的生活の成長と向上にあるとすれば、すべ
ての富、すべての科学技術、あるいは芸術、理論、あるい
は組織、制度もまた、結局はその社会の成員のゆたかで幸
福な生活のためにあるものでなければならず、この意味で
は、私たちの生活とは、これらすべてのものの価値を測る
究極の基準にほかならない。『生活』という言葉には、私
たちのすべての希望と理想とが託されている」
◇根源的な価値基準としての人間生活―資本主義社会での2つの転倒
①「物質的富、なかんずく利潤の生産と増大が至上目的と
なり、人間の生活全体が資本主義的生産の手段に転化さ
せられているという非人間的関係」(同上 上田論文)
②「人間の生活的価値観が不可避的な逆転を受けることで
ある。利潤獲得のための人間の物化、その生活意識をも
また物化させる。人間をして人間たらしめる創造的活動
は見失われ、あるいは手のとどかないものとして断念さ
れ、物質的消費生活のゆたかさだけが切り離されて追求
される」「人間の生活意識の痛ましい転倒」(同上 上田論文)
◇たたかいの出発点としての「生活」への着目
2。生活の「小宇宙」を図に表してみる試み
◇生活のどこに価値を置くのか、また生活の配分を「選べる」こと
*その人らしい生活=尊厳
*労働者は、「使用者に使用されて労働」する(労働契約法2条)
ため、裁量が小さい。また「疎外された労働」(マルクス)となる。
*「生活」はますます尊く。ゆえに矛盾もふくむ(生活をめぐる
競争と犠牲、連帯)。
◇生活のあり方は社会のあり方に規定される(積極面と否定面)
*資本主義社会は商品生産社会。買い物の比重の大きさ。消費生活。
*お金のあるなしで格差。お金がなければ選べない(貧困は尊厳を奪う)。
*自由時間の少なさは「味わう喜び」「つくる喜び」から人を疎遠にする。