長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

読書メモ 『時間と習俗の社会史』

『時間と習俗の社会史ー生きられたフランス近代へ』
                            (福井憲彦、新曜社、1986年)を読み終える。

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フランス近代をたどりながら、
人びとの生活と時間との関わりがどのように変化してきたのかを考える。
とくに第1部が面白い。
個人が時計を身につけ始めたのはここ100年ぐらい。
それは人びとの時間との関係を変転させた。権力支配とも密接不可分。


以下、自分用のメモ。

「われわれは、生まれ育った状況に応じて身に
そなわった生活の手順をもち、ふだんはほとんど
無意識のうちにそれに即して行動し、時間を使っ
ている。そうしてわれわれが、あたりまえだと思
いこんだり、そうあるべきだと思いこんだりして
いるその思いこみは、ふだんの生活からちょっと
身をはなしてながめなおしてみたら、いったいど
んなふうにみえるだろうか。とりわけ現代社会の
生活は、時間との追いかけっこを余儀なくされて
いるような按配になっているが、いったいどうし
てそんなことになってしまったのであろうか」
                (はじめに)

「時計のない時代としての中世・・・をながめてみ
よう。人びとはどうやって時のはかどりをとらえ
ていたかといえば、日の出から日の入りへの太陽
の動きと、教会や修道院の鐘の音がそれを告げて
くれるのであった。1日にせと1年にせよ時間は
農作業のリズムに対応したもの、であると同時に
また、教会の鐘が象徴するように、時間は、とい
うことはまた歴史は、神に属するものであり、人
間が計測したり働きかけることのできる対象とは
みなされていなかった」(4P)

「時間はなによりも神に属するものだとするとら
えかたから、人びとは徐々に時間を操作し、分割
や計測の対象にしたりしだすことになった、その
『時間の世俗的な組織化への変化』を象徴するも
のが、都市に出現しだした大時計だった」(12P)

「時間の組織だてを支配するものは、人びとの時
間意識や社会生活を、かなり左右しうる」(14P)

「一定の正確さが保証された私用の時計が、上層
部のみでなくよりひろく社会全般に行きわたるに
は、まずは、価格がさがらなねばならない。それ
を実現したのは、イギリスやフランスの時計産業
ではなく、スイスの時計産業であった」(33P)

「鉄道が網の目状にはりめぐらされてゆくことと、
正確な時計の要請、および時計の一般への普及と
は、ほぼ並行現象としてあらわれてくる」(34P)

「鉄道は、経済や社会生活における不可欠の道具
となってゆくことで、人びとの時間にたいするか
かわりかたを大きく変えることに力を発揮した」(38P)

「じつは、社会の支配層あるいはエリートたちが、
もっとはっきりと意識して、正確な時間をムダな
く守ることを人びとに教えこもうとした領域は、
ほかにもあった。まず、時代的にみればほぼ鉄道
の建設と並行して進む工場労働の組織化が、それ
にあたる。おなじくそれらと並行して、さらにそ
れらに先だってあらわれた領域が、教育の場や、
あるいは軍隊とか監獄といった、より直接的に人
びとをしつけ、教えみちびこうとする場であった。
・・・近代社会にふさわしい人間をつくりだし、調教
を実現するひとつの重要な鍵として、正確に秩序
だてられた時間の厳守ということがかかげられた
のだ」(40~41P)

「ムダのない正確な時間が尊重されることは、工
場においてはあきらかに、生産性の向上という考
えと結びついている。・・・まさに時間は貨幣なので
ある」(41P)

「ライン生産が確立するとき、もはや時間測定な
どという方法は必要とされなくなる。すでに時間
は、機械の作動そのもののなかに、それとしては
目にみえない形でインプットされている」(82P)

「時計をもち、その時間に従うことは、社会のな
かにみずからがきちんと組みこまれており、はみ
だし者ではないことを、シンボライズするものと
なる。それは、社会生活をおくるうちに、あたか
も自然に、自明のもののごとく、規律を内在的に
担うようにしてゆくような仕組みが成立してくる
ことにほかならず、より穏やかではあるがより巧
妙な規律社会へむかう条件が、ととのえられるこ
とでもあった」(86~87P)

「時計をもつことがもはやステイタス・シンボル
ではなくなり、時計の時間にしたがっていること
が社会的統合のしるしになるとき、今度はスピー
ドを手にいれることが地位のシンボルになる」(100P)