長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

出発点としての「戦争への想像力」

岡山県地域人権運動連絡会(岡山県人権連)が
毎月発行している機関紙「地域と人権 岡山版」に
「若者を戦場に送らないために」という
連載(9回ぐらいの予定)を
書かせていただくことになりました。

4月15日付の1回目では、
「出発点としての『戦争への想像力』」という
テーマで書きました。以下、全文です。

*  *  *  *  *  *  *  *  *

 読者のみなさん、はじめまして。岡山県労働者
学習協会で事務局長をしている長久といいます。
これからしばらく、連載をさせていただきます。
よろしくお願います。

 私は仕事上、若い世代の人たちと戦争や平和の
問題について学習をする機会が多いですが、いつ
も強調していることがあります。それは、「平和の
なかで戦争のことを考える難しさ」です。
 岡山の県南に住んでいれば、戦闘機の爆音に
悩まされることはまずありません。実弾演習が身
近にあるわけでもありません。街を歩いていても、
仕事や生活をしていても、「戦争」「軍隊」というも
のが身近に侵食してくることは、まずないのです。
ですから、戦争や組織的暴力のない状態を「平和」
と仮に定義するなら、まちがいなく私は平和のなか
で生きています。そうしたなか、戦争の問題を考え
るのは、とても難しいのです。だって平和なんです
から。私は戦争も戦場も体験したことがない世代
です。親も戦争は体験していません。戦争との距
離が、とっても遠いのです。

 でも、平和のなかで生きていることがずっとこの
まま保障されるかといえば、残念ながらそうでは
ありません。いま安倍政権は、着々と「戦争のでき
る国づくり」を進めています。詳細はこれからの連
載で書きたいと思いますが、そうした「戦争への動
き」を敏感にキャッチするためにも、私たちは「戦争
の歴史」や「戦争の実相」について知り、想像力を
もって今の時代を見ていく必要があります。
 しかし、私もそうでしたが、戦争の歴史を学ぼうと
思っても、なかなかそういう機会や場がありません。
今年は戦後70年ということもあり、マスコミなどでも
こうした問題を取り上げる機会が増えてきています
が、多いとはいえません。そうした状況のなか、戦
争になればいちばんの当事者になるだろう若い世
代が、戦争を学ぶ機会から遠ざけられているのです。

 私が戦争や平和の問題に強い関心を抱くように
なったのは、2003年に、沖縄を初めて訪れたとき
からです。1日かけて沖縄戦の戦跡をめぐり、「戦
場」というものの雰囲気にじかに触れたことが大き
かったように思います。それ以降、原爆の問題、日
本の植民地政策や侵略戦争の問題、日本軍「慰安
婦」の問題、沖縄の基地問題など、かなりつっこん
で学び、学習会なども行なってきました。
 「戦争を学ぶ」うえで大事にしているのは、「現地に
行く」ということです。どうしても本の中だけでの学習
では限界があります。現地に行かなければ、見えな
いこと、感じられないことはたくさんあります。想像力
が一気に広がるのです。
 じつはこの2月に、ポーランドのアウシュビッツ強制
収容所跡を訪れました。次回から2回にわけて、アウ
シュビッツで学んだこと、考えたことについて、書きた
いと思います。