長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

勤労協大学への呼びかけ文-言葉の意味を問い直す

20日(日)の午後に、関西勤労者教育協会の
「第38回 夏の勤労協大学」で講演することになっています。
なんともおそろしいことですが、
「平和のための戦争? 積極的平和主義を考える」というのが
テーマです。門外漢です。でもがんばろうと思います。

で、関西勤労協の8月のニュースに、
講師からのメッセージというか、呼びかけの文章を
書いてほしいということで、書いたのが、以下です。


 このニュースをお読みのみなさんは、7月中旬に衆議院で
強行採決が行われた安全保障法制(戦争法案)の廃案のため
に、ご奮闘されているのではないかと思います。私も、ツイ
ッターでこの問題についてつぶやいたり、戦争法案の学習会
の講師をしたり、街頭でのデモや署名活動などにできうるか
ぎり参加しています。先日(7月25日)も、岡山弁護士会
の主催する集会とデモに1500人が集まり、戦争法案は
イケン!(違憲という意味と、岡山弁で「ダメだ」というこ
とを「いけん」と言う)と市民にアピールを行いました。
岡山では近年にない規模での集まりでした。
 全国で、おおきな運動の広がりが起きています。安倍政権
を追いつめています。勤労協大学が行われる9月中旬には、
安倍首相はその座から引きずり下ろされているかもしれませ
ん。私たちの力で退陣に追い込んで、その運動の成果を学び
あう機会にできればいいと思っています(そうなれば、講演
内容も変わってくると思いますが)。

 話は変わりますが、今年の2月、友人らとポーランド旅行
に行きました。いちばんの目的は、オシフィエンチムという
町にあるアウシュビッツ強制収容所跡を訪ねることでした。
 この強制収容所は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに
よってユダヤ人、ポーランド政治犯、ソ連軍捕虜など130
万人が連行され、およそ110万人が殺された場所です。ナ
チスがユダヤ人の絶滅計画をたて、各地の強制収容所で毒ガ
スなどによる虐殺を行ったことは本や映画などで知ってはい
ましたが、いちど現地を見てみたいという思いが以前からあ
りました。
 現地では、公式ガイドの資格をもつ日本人の中谷剛さんが
案内をしてくれ、当日は10名の日本人(ほとんど若者だっ
た)で一緒に見てまわりました。
 アウシュビッツ強制収容所博物館は、「当時のものをでき
るだけそのままの状態で残す」ということをコンセプトにし
ています。収容者の寝る場所であった収容棟、処刑場所、ガ
ス室跡、虐殺されたユダヤ人などの遺品も多数展示されてい
ます。また、収容者を運んできた家畜用の貨車、線路も当時
のまま残されています(もしご希望があれば、訪問のさいの
写真と様子を、講演でも紹介したいと思います)。
 強制収容所に送られてきたユダヤ人の多くは、貨車から降
ろされてすぐに、ドイツ人医師によって外観と顔色だけで
「働けるかどうか」を判断・選別され、お年寄りや子ども、
女性なども多くが「そのままガス室行き」となったのです。
まるで、工場のベルトコンベアーでたんたんと物が運ばれる
がごとく、人間がたんたんと、ガス室で殺されていきました。
多いときには一日に7000人もの人が殺されました。
 アウシュビッツを訪れた人間には、そこで起きた出来事
が当時の雰囲気のまま、五感にせまってきます。そして誰
もが次の問いをつきつけられます。「なんでこんなことが
起きたのだろうか?」・・・。

 いま、安倍政権の国会での議論を聞いていると、戦争と
いうものへのリアリティがまったくないですよね。戦争を
火事にたとえたり、ありもしない架空の事例で集団的自衛
権を説明したり、自衛隊員のリスクについてまじめに語ら
なかったり。旧西ドイツのヴァイツゼッカー大統領は、
1985年の有名な「荒れ野の40年」演説で、「非人間
的な行為を心に刻もうとしないものは、またそうした危険
に陥りやすい」と警告していますが、安倍政権にそのまま
あてはまります。
 私たちの平和運動、平和というものを希求する出発点と
いうのは、戦争というものが人間をどう変えてしまったの
かということや、命のあつかわれ方、戦場とはどんな場所
なのか、戦争が起きれば生活や文化がどのように変質する
のか、ということへの認識だろうと思います。そういう意
味でも、現場に行く、体験者の話を聴いたり読んだりする、
というのは、とても大事だと思います。今回のアウシュビ
ッツ訪問は、さまざまな問題意識をあたえてくれた経験で
した。

 もうひとつ、アウシュビッツの話を紹介した理由は、ナ
チス・ドイツの独裁的指導者・ヒットラーです。彼はまさ
に今回の講演のタイトルにあるように「平和のための戦争
である」と国民に演説し、第二次世界大戦につきすすんで
いったからです。国民をたくみに誘導する演説にたけてい
ました。
 宮田光雄氏は、『ナチ・ドイツと言語』(岩波新書)の
「はじめに」で、「政治の世界では、言葉という武器が大
きな働きをする。言葉を用いて民衆の支持をとりつけたり
誘導したりする政治過程は、デモクラシーの国であれ独裁
的な国であれ変わりがない。ふつうの平和な時期だけでな
く、非常事態、たとえば反乱への訴えや宣戦布告などの場
合にも、言語と政治とは、切っても切れない関係にある」
と指摘していますが、これは少数である権力者が多数者を
支配・誘導するための普遍的方法であると思います。
 戦争というのは、なかなか簡単に始められるものではあ
りません。まず軍隊が必要です。予算をつけ兵器や装備を
確保し、基地や訓練施設をつくり、兵士を日常的に訓練す
ることが求められます。でもまだ足りません。いちばん大
事なのは、その戦争を支持する国民をつくりだすことです。
圧倒的多数の国民が反対するなかで戦争を始めるのは困難
です。戦争というのはいつの時代でも多くの人命が失われ、
生活を破壊してきました。すすんで戦争したい人間などほ
とんどいません。だから、戦争したい権力者は、隣国など
の脅威をあおり、情報統制して国民をあざむきながら、誘
導していくのです。そしてそのとき使われるのは、やはり
「言葉」なのです。

 だから、「言葉」をめぐっての、たたかいがあります。
いま「積極的平和主義」という言葉も、安倍政権によって
乗っ取られ、意味の違う内容として国民に流布されようと
しています。「平和」という言葉もそうです。彼らから
言葉を奪い返し、自分たちのものとして再構築していく必
要があります。「平和」とは何なのか、「積極的平和主義」
とはなんなのか。「国民の生命、自由、幸福追求の権利を
守る」とはいったいどういうことなのか。言葉の意味を私
たちのものとして確定させていかなくてはなりません。い
まは、「民主主義」も「立憲主義」も「表現の自由」も、
その意味がぐらいついているように思います。
 そうした言葉の意味をあらためて問い直す作業の土台に
なるのは、日本国憲法です。憲法の中身や理念を学ぶこと、
その背景にある歴史について学ぶこと、戦後の国際政治の
大きな変化、私たちのたたかいのなかで獲得されてきたも
のなどについても学びたいですね。
 夏の勤労協大学での講演ですが、こうした視点をもちな
がら、安倍政権のねらう戦争立法がどのような危険をもち、
どうして違憲なのかという基本を押さえたいと思います。
そして、戦争と平和をめぐっての私の体験や問題意識、憲
法がめざしているほんものの「積極的平和主義」とはなん
なのか、といったことをお話し、みなさんと学びあいたい
と思います。大山はとてもすばらしいところです。みなさ
んとお会いできるのを楽しみにしています。