長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

論文メモ 「今求められている道徳性の教育とは何か」

雑誌『経済』9月号は
「安倍『教育再生』のねらい」という特集。

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まあ現状に暗澹たる気持ちにもなるのですが、
佐貫浩さんの論文「今求められている道徳性の教育とは」は、
参考になる部分がたいへん多くて、メモで残しておきます。


「社会の仕組みや他者の支えを信頼して安心して
生きることができるという信頼感が一挙に低下し
ている。生きる希望を奪われている人がすぐそば
で苦しんでいるのに、周りの人間が、それは『自
己責任』だと手をさしのべないままでいるような
状態は、それこそ社会的な道徳性の後退というべ
き事態であろう」(38~39P)

「これらの社会的正義、社会秩序の基本原理は憲
法に書き込まれた。そしてそのとき以来、社会の
道徳性は、憲法的正義の継承発展として、したが
ってまた憲法的正義を担うことのできる主体を育
てることが道徳教育の中心的な目標とされるよう
になった」(40P)

「人権を主張せず、福祉に頼らず、問題が起きれ
ばたえず自分の努力や心のもちかたの弱さの結果
として困難を引き受ける態度の育成がねらわれて
いる。そのような生き方でサバイバルした人々の
なかには、競争にたえられない人々の弱さや、福
祉に依拠して生活を維持しようとすることへのい
らだちや批判の意識が生み出され、それがさらに
競争と自己責任を求める声をも生み出していく。
弱さを背負わされた人々が攻撃の対象とされ、社
会からの排除の圧力を受けるようになる」(42P)

「文科省が進める道徳教育は、社会の問題を探求
する目を閉じさせ、個人の心のありようへと道徳
性を一面化させ、社会の規範や秩序へ同化してい
くことを求める傾向を強めている」(42P)

「『自己責任』意識をもたせるためには、できる
だけ人権意識を鈍化させ、また人権の行使を制限
することが必要だと考えているのだろう」(42P)

「人権の主張は、自分だけの人権ではなく、他者
の人権をも尊重するということである。したがっ
て、徹底した人権尊重の理念は、他者の人権を守
る姿勢をも作り出す。人権の主張と他者と共に生
きるための道徳性が対立するものであるかのよう
に描き出すことは、そもそも根本的な誤りである」
(43P)

「本来教科は、人類の蓄積し合意してきた知識や
文化や価値の批判的継承を任務とする。社会科な
どはそういう点で、社会的正義や憲法的価値の批
判的継承を中心的な目的としていたはずである。
しかし単なる『正解』を伝達する暗記科目化し、
教科本来の道徳性形成力を大きく喪失しているの
である」(49P)

「たとえ『道徳科』が出現したとしても、今日に
おける道徳性の教育が遂行される基本の場が、教
科学習と生活指導の場であるということ、そして
その2つの時間と空間そのものは決して消えてな
くなりはしないのである。したがって、わたした
ちが遂行すべき道徳教育の基本の場は、まず教科
学習と生活指導の場にあるということを改めて自
覚しなければならない」(49~50P)

「子どもたちの関係の中に人権と民主主義、人間
の尊厳を実現する価値意識と方法を実現すること
が不可欠である。それは子どもたちの中に、憲法
的正義を確立することを意味する」(50P)