長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

「組合員の学習意欲を引き出すには」について

労働者教育協会から、表題のようなテーマで
2000字書いてほしいと先日言われ、書いたものが以下。


「引き出す」というより「耕す」
 「組合員の学習意欲を引き出すには」。そもそも「引
き出す」とは、そこに「在る」場合に引き出す方法が議
論の対象となる。でも社会科学とか労働組合のことを学
びたいという要求が最初から労働者のなかにあるのだろ
うか? 少なくとも私は、最初からそういう要求をもっ
ている若者に出会ったことがほとんどない。たいていは
「たまたま誘われて組合の活動に関わりはじめて・・・」
「職場の先輩に誘われて労働学校に来てみたら」という
感じで、「たまたま」そういう人や場に出会い、「学ぶ
ことって大事だな」という意識がだんだんと育ってくる、
という経過である。したがって、「学習意欲を耕す」の
ほうが自分としてはしっくりくる。
 耕すというのは、まだ隠れている芽をしっかりと育て
伸ばすために、栄養のある土壌を準備する、ということ
である。労働組合の学習活動はこれに似ている。最初か
ら芽が出ているわけではないと思う。学校教育のなかで
労働者教育・主権者教育が不十分なわが国の場合、「労
働者としての学び」「社会を変えるための学び」という
領域があることを、まず、さまざまなきっかけを準備し、
出会ってもらう、知ってもらうことだろう。身近にそう
した場をたくさん準備できているだろうか。きっかけは
多様に、量的にもたくさん準備することが大事である。
つまり「偶然出くわす」確率を高めれば、労働者は労働
者として成長する必然をもっているので、それは労働者
の育ちを保障することになるのである。

知る喜びを味わうということ
 労働組合の学習活動でなにより大事なのは、要求実現
との関わりで学ぶ、ということである。それは学び動機
づけとしても強く、切迫感がある。「なんとなく」「と
りあえずこれ」より何倍も問題意識をもって学びに向き
あいやすい。「なぜ」「これを実現するには」という最
初の動機づけが強ければ強いほど、アンテナも高まるし、
学びが次の学びに導いてくれる。
 また学ぶということは、それによって「自分の固定観
念が崩れること」を内包する。自分の見方や価値観が徐
々に作り変えられていくのである。それは、新鮮でおも
しろい体験となって蓄積されていく。「そうだったのか
!」「ええ!」という驚きや、知ることの喜びを少しで
も味わってもらうこと。それが「学習意欲」のベクトル
を太く強くしていくことにつながる。
 自分の生活や働き方を問いなおし、歴史を学ぶことで
「今のあたりまえの姿」を複眼でとらえることができる。
たとえば有給休暇制度も、じつは100年前はどこの国
も法律として整備されていなかった。国としての有給休
暇制度はフランスの労働者たちが80年前に初めて勝ち
取ったもので、世界中の先輩労働者たちの「たたかいの
物語」がつまっている。そういうことが見えてくれば、
有給休暇への見方や使い方、そして労働組合への認識も
変わってくるのではないか。
 「ちがう常識」「ものごとの成り立ちの過程」を知る
ことは、自分の考えを相対化させてくれる。それは楽し
い作業である。また、「自分の世界」と「社会」がつな
がっていて、自分のことを大事にしようと思えば、社会
のことを学ばざるをえないことをつかんでほしい。「自
分」と「社会」をリンクさせる学びときっかけを豊富に
準備することが大事である。学習活動に「これさえして
おけば」という万能薬はない。あれもこれも必要であり、
職場の実情にあった形を模索し、労働者に場を提供して
いくことである。

学びの場に楽しさの要素を
 もうひとつ大事なことは、学ぶ仲間集団がいて、学び
の場に「楽しさ」の要素がたっぷりあることである。学
びは本来楽しいものであるが、活字を読んだり資料を眺
めたりする地味な作業が不可欠である。どうしても「し
んどさ」「まじめさ」はつきまとう。だからこそ、学び
の場にさまざまな人間的要素や文化・コミュニケーショ
ンがあることが必要であると思う。その筆頭は「一緒に
学ぶ仲間」である。同じことを学んでも、受けとめは人
によって違うので議論することはダイナミックな認識の
発展をうながす。
 それと同時に、コミュニケーションと学びをあわせも
つ場にすることで、「まじめだけど楽しい」「難しいけ
どみんなで学ぶことで助けあえる」ということが大事だ
と思う。講師が一方的に語り、さいごに「質問ありませ
んか」というような学習会ではなく、コミュニケーショ
ンが柱のひとつとなるような学びの場づくりが必要であ
る。そして空間の大切さ。できるだけ集団学習の場は、
きれいで、ちょっとセンスのよう場所がよい。可能なか
ぎり工夫が必要である。
 つまり、やることはいっぱいある。そういう一つひと
つの具体的な「耕す栄養素」をまいていくことが、「学
びの要求」を耕し、具体的な芽が育つ土壌になるのであ
ると思う。