長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

学びあう場のつくり方~個人の尊厳と学習運動

(労働者教育協会第58回総会<6/10>での発言内容です)


 岡山県学習協で専従の事務局長をしています、
長久です。協会では常任理事もさせていただい
ています。よろしくお願いいたします。

 発言テーマは「学びあう場のつくり方―個人
の尊厳と学習運動」としました。10月の全国
学習交流集会in長野で、同じテーマで講演をさ
せていだく予定です。このテーマでの私の問題
意識や実践を紹介させていただきます。

 個人の尊厳とは、いうまでもなく、憲法がも
っとも大事にしている価値です。1人ひとりが、
個として、そして人間として尊重されることと
理解をしています。
 先日、岡山県高等学校教職員組合の憲法学習
会に呼ばれてお話をする機会があったのですが、
憲法の情勢問題よりも、力を入れて強調したの
は、いま学校現場や教育方法に、憲法的価値が
あるだろうか、ということです。成績や能力、
あるいは学校や教師への従順さというものさし
で、生徒1人ひとりが評価され、選別され、競
争させられています。
 そして、学校空間のなかで対話があるでしょ
うかと。対話がないところに、民主主義は育ち
ません。人と人とが尊重しあう関係はつくられ
ないと思うのです。対話を生み出すには、自分
の意見を自由に、安心して表出できる人と人と
の関係性がなければなりません。それが学校空
間にあるだろうか、と。教師と教師、生徒と生
徒、そして教師と生徒が、自由に意見をかわし、
ともに学びあい、育ちあう関係性こそが、人間
の教育に値すると思います。
 これはたんに学校現場だけの問題ではなく、
安倍政権がつくりだした分断社会への対峙方法
でもあります。違う意見や考えの人間とは交わ
らないし排除する、弱いものへの無慈悲な抑圧
と弾圧、これが安倍政権です。そうした状況に
対峙するために、自分のいる空間や人間関係の
なかで、憲法的価値を育て、取り戻すことが、
大事な課題です。岡山高教組の講演では、その
役割を担う大きな器が労働組合ではないか、と
いう問題提起をしました。

 憲法的価値を浸透させていくには、草の根か
ら対話が生まれる場をつくり、組織することで
す。たとえば職場では今、対話がとても少なく
なっています。生活や仕事の問題を自由に語り
合えているでしょうか。他者との対話を通じて、
私たちは自分の考えを相対化できるし、一致す
るところも見つけ出すことができます。相互理
解に欠かせません。また自分や仲間の育ちをう
ながすのも、「私の意見を表明する」という過
程を通じてだと思います。対話を通じた民主主
義は、成長のプロセスです。職場で自由な対話
やコミュニケーションが奪われているのだとし
たら、労働組合や、私たちの学習運動の場で、
それを取り戻していくしかありません。
 この課題を、学習運動の「学びあう場」に引
きつけてみると、私たちの運動も、よりいっそ
うの工夫や模索が求められていると思います。
学習運動の議論では、何を学ぶことが大事か、
その中身についての議論は比較的されています
が、学習課題をどのように学ぶのか、参加者ど
うしの対話やコミュニケーションをいかに作り
出すか、そのことを通じて学びあいの質を高め
る技法については、議論や経験交流が足りてい
ないように思います。

 岡山労働学校での経験をご紹介します。岡山
労働学校では、ずっと以前から、受講生どうし
の関係性の質が、学びの質を高めることを実感
的につかみ、それをうながす仕掛けをカリキュ
ラムやスケジュールのなかに組み込んできまし
た。
 たとえば、最初の第1回目の集まりで何をす
るか。1回目ですので、みな緊張ぎみです。初
めて労働学校に参加してくれる人もいます。な
かには知り合いが誰もいないのに、参加してく
れる方もいます。つまり人間関係がまだまった
くない、あるいは硬い雰囲気なのです。そこで、
いきなり講義をガーンと行うのではなく、まず
参加者どうしの交流を行います。誰とでも会話
がはずむ「偏愛自己紹介交流」というものを毎
期やっていますが、これで一気に会場の雰囲気
が変わります。いろいろおしゃべりをするので、
自分もこの場をつくっている一員だという実感
も得られやすくなります。こうした、学習会の
導入部分をどうするか、全体のスケジュールを
どう組むのかという問題は、たとえ単発の学習
会であっても、すぐれて重要かつ思想的な問題
でもあると私はとらえています。
 また、労働組合や市民運動などの学習会で、
講義を聞いて質疑応答して終わり、発言するの
はごく一部の役員だけ、というものを私はたく
さん経験してきました。参加者はまったく受動
的で、講義を聞いて帰るだけです。ひどい場合
には感想文さえない。いったいなんのための学
習会でしょうか。学習会が成功したのかどうか
の判断をどうやってするのでしょうか。労働組
合も、さまざまな運動団体も、大きな敵とたた
かっています。1人ひとりの構成員が力をつけ
なければ、とても闘えないのです。なのに、参
加者はいつまでたってもお客さん。もちろん学
習内容にもよりますが、双方向や対話を交えた
学びの場を、私たちは意識的につくりだしてい
かなくてはならないし、その技術的工夫が必要
だと感じています。

 岡山労働学校では、始まる前に音楽を流して
雰囲気を明るくしたり、講義の前の15分間受
講生にしゃべってもらうコーナーをつくったり、
グループ討論の人数や配置なども、細かく計算
して行っています。
 たとえば、グループ討論の人数は、何人が望
ましいとみなさんは考えるでしょうか。5人か、
6人か、7人か。何人以上になれば分割して2
つにわけますか。こんな細かいことも、じつは
理論がきちんとあります。今年に入って、ファ
シリテーションに関する本をたくさん読んだの
ですが、そこには、1つのグループが7人を超
えると、手抜きをする、つまり自分は意見交流
や議論に参加しなくてもいいやと思う人が急速
に増えると書いてあります。だからグループ討
議の基本は5人から6人だと。さらに細かく、
2人での対話のメリットデメリット、3人の場
合はどうか、4人はどうかなど、かなり緻密に
考えられ、教訓化されているなと思いました。
グループ分けの人数なんてあまり厳密に考えて
こなかった、という方も多いと思いますが、人
間の心理的な側面、若い人はディスカッション
の訓練に乏しい現状などもふまえ、さまざまな
工夫や配慮が必要で、その場その場で臨機応変
に最適の環境を整えていくことが求められてい
ます。そして経験を蓄積し、交流をしていくこ
とが大事です。
 学習会の空間づくりは、とても大事な成功の
条件です。人間は自分が思っている以上に、物
理的な影響を受けやすいのです。会場はきれい
か、明るさはどうか、机の配置はどうか、講師
との距離、座り方をどうするか。空間をデザイ
ンするのも、学びあう場をつくる主催者の責任
です。それが参加者の育ちあいをうながすので
すから。
 こういう学習会の技術的側面をなぜ強調する
かというと、発言テーマでもある、個人の尊厳
と学習運動にとって、欠かせない問題意識だか
らです。学習会の場でも、1人ひとりが尊重さ
れ、人間として学びあい、高まりあう。講師や
主催者に学習会はおまかせではなく、面倒くさ
いようでも参加者1人ひとりが学びの場づくり
に参加してもらう、このことが大事だと考えて
います。民主主義もそうですが、おまかせして
ラクをするものは、たいてい身につきません。
面倒くさくても、自らの頭で考え、対話し、新
しい視野をひらき、仲間をつくりだしていく。
これこそが、個人の尊厳がうたわれている状況
のもとでの、ふさわしい学習会のあり方だと思
います。
 なにより、そのほうが楽しいです。講師の話
を聞くものもちろん面白いけれども、それ以上
に参加者どうしの交流が楽しかった。そんな感
想をもつ人はたくさんいます。楽しいことは、
続きます。また来ようと思います。新しい創意
工夫も生まれます。憲法的価値を体感できる学
習会こそ、楽しい学習会です。

 学習運動は、伝統的に集団学習を重視し、
「学ぶ集団づくり」への目的意識をもってきた
運動体です。その意味で、その伝統を今日的に
発展させ、学びあう場の質をより高め、1人ひ
とりが輝く学習会、1人ひとりが主体者になる
学習会を、あたりまえのスタイルにしていくこ
とが求められていると思います。
 長野の全国集会では、より具体的に参加者に
問いかけをし、また参加者が楽しめる時間にし
たいと思っています。秋の魅力たっぷりの長野
に、全国からたくさんの仲間がつどい、情勢を
切りひらく主体的な力を育てあう3日間にでき
ればと思います。ともに成功のためにがんばり
ましょう。