長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

「立場が意識をつくる」について考えた

昨夜、酔っぱらった頭でふと、
「立場が意識をつくる(規定する)」という、わが活動界隈で
時々使われる言説について考えてしまった。

この言説については、経験的にも理論的にも
納得していてその通りなのだけれど、
運動論的にはもう1歩踏みこんで考える必要があるなと。

まず、「立」と「場」を分けて考えてみよう。

場に「立」たなければ、議論する機会や実践の機会がなく、
成長や問題意識の広がりが生まれない。
労働組合などの役員になることも、そうだろう。
役員になれば、会議や集会への参加も増え、
そのぶん「意識をつくる」きっかけが増える。

ただ問題は、そうした場に立つ人を、どう増やすかである。
「役員の担い手がいない!」という、
担い手不足問題は、どこに行ってもよく聞かれる。

ここで考えないといけないのは、「場」の量と質の問題である。

場が少なければ、当然「意識をつくる」機会も少なくなる。
たとえば役員になるのは「場」のひとつだけれども、
もっと多様な「場」が事前に準備され、各種取りそろっている
ことが大事なのである。

「場への道筋」と言ってもいい。
場に導かれるような道筋をつくれているか。

「多様な餌」という例えもしてみよう。
人は1人ひとり違うので、どの餌にひっかかるのかは予想不能。
多様な餌を準備しておけば、食いつく確率も高くなる。
「食いついてくる要求」「やる気になるスイッチ」は様々なので、
「場」も多様に準備しておく必要がある。

さらに、各種経験値や問題意識、立場に相応した
「場」を制度的につくっておいて、
人が法則的に育つ組織づくり、というものを構築する必要がある。

もう1点は、「場の質」である。
さきほどの例でいえば、労働組合の役員になったからといって、
全員が期待どおりの成長するわけではない。
役員への登用の仕方にもかかわるけれど、
いずれにせよ、その場が民主主義的で、表現ができ、
多様な意見が出されて合意形成がなされるような、
そんな面白く、考えの発展がうながされる場に、
1つひとつの場をしていく必要がある。

民主主義という「場」に迎え入れるのである。
逆に、民主主義がない場では、「意識」はつくれない。

自分の考えが表出でき、議論がなされ、学ぶことができ、
その場にくることでエンパワーメントされる。
そうした質の場を準備するのである。

場に立つ人をどうつくるかの戦術、
そして場づくりの多様性と制度化、さらに民主主義度。
こうしたことを、もっと考えていかなければ、
「立場が意識をつくる」という言説も、生きたものにならないのではないか。

以上、思いつきでした。