長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

憲法講座第3講義は人権について

5日(金)の夜は、はオンラインの憲法講座、第3講義金曜回。
リアルタイムで23名が参加されました。
チェックイン交流は「2024年、こんな年にしたいー!」でした。

第3講義テーマは「私が私でいられるために―人権を託されて」。
基本的人権の核心である13条「個人の尊重」や「尊厳」について深め、
憲法の人間観を考えました。また第3章の人権の条文を1条1条解説。
こういう学習会は少ないと思います。

講義は後半、人権の担い手である「個人」とは何か、
日本の学校教育における人権教育の課題、人権侵害の基構造や、
人権を守るためには「たたかう条件」、
連帯や運動・組織の役割が重要だと強調しました。

 感想交流では、これまでの経験や職場での実体験などもふまえて語られ、
みなさんの受けとめが想像以上に大きかったと感じました。
お2人の方の感想を紹介します。

■人権の学習でしたので、色々な出来事を思い起こしながらの聴講でした。
感想交流も話だしたら、ひとりでずっと話してしまいそうなぐらい、
思いがあふれますね。心に響くキーワードを書きとめながら、
涙がでそうでした。
「あなたはあなたというだけで無条件に存在が肯定されるもの」
「だれもがかけがえのない唯一無二の存在」
「尊厳は誰にも奪われてはいけない」
「自分が自分でいるためにとても大切なものが内面の自由」
「人権を他人ごととして学ぶことが多い。だから人権を自分ごとにできない」
「新しい人権感覚は貪欲に学ぶ」。
相手を尊重し、包み込めるように、常に人権を意識していきたいと思います。
そしてまた、周りに少しずつでも共に学び、
考える輪を広げていきたいと思いました。ありがとうございました。
次回も楽しみにしています。

■今回の学習で改めて感じるのは、やはり「基本的人権の保障」の重みです。
個人」という概念が薄かった日本人にとって、
この言葉の裏に積み重ねられた幾重にもわたる、
多くのそれを手にいれることができなかった人たちの
情念のようなものさえ感じます。
当たり前の人としての権利ということが、
何条にもわたって記載されていることは、新鮮な驚きでした。
長久さんもおっしゃっていた、個人の内面の権利の保障について、
じつに丁寧に細部にわたって明文化されていることは、
世界的にも珍しいとのこと。
それはつまり逆に言えば、あまりにも個人の内面が疎かに
されていたということですね・・・
それをあの当時のアメリカはよく知っていて、それが日本を
戦争に走らせた原因のひとつだと考えたのでしょう。
ですから、この憲法を読むとき、以前から感じていた
「崇高な精神性」や「深遠な理想」「文学的ともいえる格調高い文章」が、
日本人発祥のものではなかったのだと改めて気づきました。
そうは言っても、現在の日本の社会は、相変わらず個人よりも
集団が優先されているように感じます。
たとえば芸能界、スポーツ界、政界、企業のありかたなど、
とても個人が大切にされているとは思えません。
そして一番強く思ったのは、「人権感覚はさびやすい」ということです。
私たち一人ひとりが学びや問いを止めてしまったとたん、
人権感覚や人権意識は下がっていってしまうということは、
今後も胸に深く刻んでいかなければと思いました。
こういう学習は生涯にわたって、繰り返し繰り返し学ぶ必要があるなと感じます。
それぐらい目にみえるものでもなく、数値化できないものなので、
私たちの心の中に存在させて、温めて、声に出していくものなのですね・・・
今回の学習を通して、勇気も出ました。
もし、私が困難に陥った時、憲法が私を助けてくれるのだという確信です。
私にはこんなにたくさんの権利があって、私は死ぬまでその尊厳を
守られる存在であるということは、
今後の生きる助けになり、誇りを取り戻した気分です。
今回もありがとうございました。次回が楽しみです。