長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

94期労働学校は延期、4月22日リーダー講座は中止

岡山県学習協は、昨夜行われた常任理事会のなかで、
新型コロナ感染拡大の影響を考え、
5月14日に開校を予定していた94期岡山労働学校
「変わる、変える!働き方教室」の開催の延期を決めました。

93期の成功を土台に、94期は、
50名の受講生を目標にすでに募集活動もはじめていたが、
①労働学校らしい労働学校にできないこと
 (感染対策で対話・交流を十分できない)
②集めれば集まるほど、密集度が高まり、感染リスクを高めてしまう。
 募集にも思いきり取り組めない。すでに足がとまっている。
③募集定員(25名程度)を決めて開催の方向も考えましたが、
 感染リスク対策徹底の準備が大変、今後の岡山での感染予想がつかないこと、
 「労働学校らしい労働学校にできない」の問題は何人で開催しても同じ。
④現状では、医療関係者の受講生が多いことからも、集まることに
 難しさがある。

などの理由です。

延期の時期については、毎年10月に秋の労働学校を開校していることから、
10月1日(木)の開校をめざしたいですが、開校できる条件としては、
コロナ問題で一定の収束が見とおせている状況が生まれていることが
前提となるため、 再延期の可能性もあります。

また、4月22日(水)に予定していた、
岡山県学習協主催の
「リーダー講座・夜間研修編 会議をおもしろくする基本技術」も
同様の理由で中止といたします。

労働学校やリーダー研修に参加を予定されていたみなさんには、
たいへん申し訳ありません。

集まって学ぶことが難しくなっている状況のなかで、
『学習の友』や勤労者通信大学の普及、良書の紹介など、
みなさまの学びのサポートとして、引き続きさまざまな形で
努力を続けていきたいと思っています。

今後とも、よろしくお願いいたします。

看護と、患者家族として伝えたいことと

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昨年10月に、近畿高等看護専門学校(京都市)の
「卒業生支援研修」でお話しする機会があったのですが、
その話の大要をまとめた文章が、このたび学校の発行する
パンフレットに掲載されました。
テーマは
「ものの見方と人間らしさ~患者を支える家族の立場から伝えたいこと~」
でした。長いですが、以下にご紹介します。

*  *  *  *  *  *  *

 私と看護とのかかわりは、岡山にある民医連のソワニエ
看護専門学校に2006年から非常勤講師で行くようにな
ってからである。看護についてまったく無知であったので、
ナイチンゲールをとりあえず読んでみたが、驚いた。彼女
の論理の確かさと倫理観、患者へのまなざしなど、まった
く古くなっていないと感じた。看護や医療の学びは、私の
仕事である労働者教育にも活きる内容が多く、ほんとうに
ありがたい機会をいただいたと思っている。

Ⅰ.相方の入院経験から
 
私のパートナーである曽根朋子が2016年秋にALS(筋
萎縮性側索硬化症)の診断を受けた。私も今は介護生活を
している。ALSと診断された大学病院での入院体験をお話
ししたい。
 まず初めに、入院初日に神経内科病棟の若い看護師さん
がいろいろ説明してくれたのだが、“タメ口”であった。馴
れ馴れしい言葉づかいで驚いた。社会一般では初対面の目
上の人にタメ口は絶対にしない。結局、ケアする側が上で、
ケアされる側が下という人間関係が口調に現れているので
はないかと思った。もうひとつは、“看護”がなかったこと
である。看護師が看護をしていなかった。ケアがなかった
のである。ルーチンワークしかしておらず、難病と診断さ
れた曽根に対して、なんのアプローチもなかった。
 きわめつけは、主治医が告知の場面で言った言葉「曽根
さんはひとり暮らしでしたっけ?」だ。曽根が誰と住んで
いるのか、入院5日目、告知に際しても、主治医は知らな
かった。関心がないのだろうと思う。ほんとうにびっくり
した。これでは、絶望に陥ることの多いALS患者への励ま
しはできない。じっさい、身体と数値しか見ていなかった
のだろう。
 私の尊敬する医師のひとり、徳永進さんは、「入院して
病室で過ごしている患者さんは、普段はどんな風に生活し
ているんだろう、どんな家で、どんな人たちとどんな町や
村で生活されているんだろう・・・、あまりにもぼくら医療
者はそれを知らない。例えがよくないが、患者さんをスー
パーの切り身の魚のように思って済ましているところがあ
る。ほんとは1匹の魚で、それぞれに泳いでいた自然の海
や川があったはず」1)と著書で述べているが、まさに切
り身として扱われた入院体験だった。
 常識というのはその場にいる人間で作られ、文化となり
固定されていく。おかしいことも恒常化すると、おかしい
と思えなくなる。「慣れる」という力は大事だが、慣れて
いいことと、慣れてはいけないこと(立ちどまるべきこと)
があるはずだ。ただ、問いをもち議論することは、エネル
ギーが必要。流すほうがラク。日々の仕事や生活にゆとり
がない場合や、めんどうくさい摩擦・対立を避けようと、
慣れてはいけないことにも、慣れてしまう可能性がある。
だからこそ、理念が必要なのだと思う。理念によって現実
を照らす。理念と現実とは当然ギャップがあるから、その
ギャップが変革のためのエネルギーになるのだ。理念がな
ければ、現実にどこまでも流されていく。
 ひとりでいる時間、じっくり考え、自分の価値観を問い
直す時間を意識的につくってほしい。同時に、なんでも自
由に議論できる仲間や集団のなかに身を置くこと。自己の
相対化はひとりではできない。

Ⅱ.ものの見方と人権をまもる看護
 
ナイチンゲールは問いを持ち続け、考え続け、看護とは
何かをみがき続けた人だ。
 「われわれは病院において、はたして患者をケアしてい
るのであろうか。病院は患者のために存在しているもので
あって、病院のために患者が存在しているのではない」2)
 「看護のような仕事においては、忙しくてもう頭も手も
いっぱいといったときに、もし神と隣人とに対する真剣な
目標を心の中にもっていないとなれば、・・・もっぱら自分の
ためだけで終わっているといった事態が、いともたやすく
起こりうるのです」3)
 「新しい年のくるたびに、私たちひとりひとりは、自分
のあり方を『棚おろし』して吟味してみようではありませ
んか。そうして常に、自分の看護のありようを、良心の計
りにかけてみようではありませんか。婦長や医師がそばに
いなくてその判定を仰げない場合や、自分が婦長であるよ
うな場合は、なおさらその反省が必要なのです。私はこの
歳になってもそうしています。あなた方にも生涯を通して
そうあっていただきたい。・・・優れた看護婦というものは、
自分の看護婦としての生命が終わるまで、自分の看護を
“吟味”し、また新しいものを学び続けるものなのです」4)
 こうしたナイチンゲールの言葉は、私の背中を押し続け
ている。

Ⅲ.人権をまもるための射程
 
ハーバード大学の公衆衛生の先生、イチロー・カワチ
さんの例えを紹介したい。
 「岸辺を歩いていると、助けて!という声が聞こえます。
誰かが溺れかけているのです。そこで私は飛び込み、その
人を岸に引き上げます」
 「心臓マッサージをして、呼吸を確保して、一命をとり
とめてホッとするのもつかの間。また助けを呼ぶ声が聞こ
えるのです」
 「私はその声を聞いてまた川に飛び込み、患者を岸まで
ひっぱり、緊急処置をほどこします。すると、また声が聞
こえてきます。次々と声が聞こえてくるのです」
 「気がつくと、私は常に川に飛び込んで、人の命を救っ
てばかりいるのですが、一体誰が上流でこれだけの人を川
に突き落としているのか、見に行く時間が一切ないのです」5)
 下流が病院、という例えである。病院にやってくる患者
を次から次へと治しても、病気になる原因(上流)が改善
されなければ、またその人は病気になって病院に流れつい
てくる。パブリックヘルス(公衆衛生)は、川全体に責任
を持って、溺れる人を極力少なくするのがゴールである。
1人ひとりの命をどう救うかと同時に、社会全体の健康を
いかにして守っていくのかを考えることが大事だ。上流
を改善しないかぎり、人権を守ることはできない。下流
とともに上流へのアプローチを組織的に、運動として取
り組んでいるのが民医連だ。
 患者の生命力を消耗させる、健康の社会的要因(SDH)
は、さまざまである。居住環境、貧困と格差、孤立、教育
格差、長時間労働、ハラスメント、制度・政策、医師・看
護師不足、地域医療崩壊、医療労働者の過酷な労働条件、
環境問題、戦争…。目の前にいる「患者個人」を看ると同
時に、その患者個人の「生命力の消耗」をもたらす社会問
題について、洞察力をもち、改善のためのアプローチをし
ていくことが求められている。

Ⅳ.ゆらぎのなかで成長する
 
尊厳をめぐって、せめぎあいの時代になっていると思う。
パートナーである曽根も障害者になったが、移乗の2人体
制を交渉していた時に、自治体職員から「オムツを使わな
いのはわがままなんじゃないですか」となんべんも言われ
た。人の手を借りればポータブルトイレに行き、自分で排
泄できる。なぜこれがわがままなのか。障害者に人権はな
いのか。生産性で人間を判断したり、優劣をつけたり。ほ
んとうに人権学習が欠かせないと思っている。
 ただ、現在の政治状況のなかで、「1人ひとりの尊厳を」
「誰も見捨てない」という人権の理念は、現場の状況とか
ならずぶつかる。経済的にも、制度のなかでも、考え方の
うえでも、困難がある。でもそれが原動力に転化する。人
権感覚を育て、人間らしさを問い続ける。不当・理不尽な
ことに慣れない自分を。集団でなければ立ち向かえない。
 「ゆらぐ」ことができることを肯定しよう。これでいい
のか? という問いが現場には山ほどわいてくると思う。だ
から考える。議論する。ゆらぐ。逆に「ゆらがない」とい
うことは、そこで成長・進歩が終わるということだと思う。
苦悩は成長への過程である。矛盾のなかで高まりあう人間
集団をめざそう。

Ⅴ.みずからの「人権感覚」をみがき続ける
 
人権感覚は、もろく、さびつきやすいのが特徴だ。だか
ら何度でも学び、議論し、みがき続ける。人間は劣悪な環
境でも、「慣れる」「順応する」ことができる。適応力が
高い。人間らしさの「基準」「限度」は、気をつけないと
スルスル下がる。「折り合い」という名の「がまん」。
「しょうがない」「どこもこんなもんだ」「働けているだ
けで幸せだ」。こんな感覚に陥るリスクはつねにある。
 「健康で文化的な生活」「人間の尊厳」とは?つねに考
え続けていってほしい。自分の人権感覚をみがきつづける
ことで、患者さんの人権を守るアンテナをさびつかせない
ことができる。自分の人間らしさ、にこだわって、声をあ
げてほしい。
 「当事者とは、『問題をかかえた人々』と同義ではない。
問題を生み出す社会に適応してしまっては、ニーズは発生
しない。ニーズ(必要)とは、欠乏や不足という意味から
来ている。私の現在の状態を、こうあってほしい状態に対
する不足ととらえて、そうではない新しい現実をつくりだ
そうとする構想力を持ったときに、はじめて自分のニーズ
とは何かがわかり、人は当事者になる。ニーズはあるので
はなく、つくられる。ニーズをつくるというのは、もうひ
とつの社会を構想することである」6)
 めざす看護、めざす医療、めざす社会。その構想があっ
てこそ、人は当事者になる。考え続け、当事者として成長
してほしい。

1)徳永進:野の道往診、NHK出版、2005年
2)F・ナイチンゲール:病院と看護、1880年
3)同上:看護婦と見習生への書簡(1)、1872年
4)同上:看護婦と見習生への書簡(6)、1878年
5)イチロー・カワチ:命の格差は止められるか、小学館101新書、2013年
6)中西正司・上野千鶴子:当事者主権、岩波新書、2003年

『それを、真の名で呼ぶならば』

『それを、真の名で呼ぶならばー危機の時代と言葉の力』
(レベッカ・ソルニット、渡辺由佳里訳、岩波書店、2020年1月)を読了。

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読みごたえのあるエッセイであった。
著者は米国の作家・歴史家・アクティヴィスト。
物書きであり、活動家である。

「まえがき」で著者は、こう言う。

「ものごとに真の名前をつけることは、どんな蛮行や腐敗が
あるのか —— または、何が重要で可能であるのか ―― を、
さらけ出すことである。そして、ストーリーや名前を変え、
新しい名前や言葉やフレーズを考案して普及させることは、
世界を変える作業の鍵となる。解放のプロジェクトには、
新しい言葉を作り出すか、それまで知られていなかった言葉
をもっとよく使われるようにすることが含まれている」(2P)

たとえば、「ジェンダー」という言葉も、
”真の名をつけること”の賜物であり、
縛り付けられていたものの正体がわかり、
ストーリーが生まれ、世界を変える力になる。

「真の名前をつけることによる変化」の例は他にも山ほどあるだろう。
セクシャル・ハラスメントしかり、
賃金不払い労働しかり(サービス残業と呼ばないようにしましょう)。


私は以前、『資本論』の第3篇について書いた文章のなかで、
以下のように書いたことがある。

“『資本論』ではマルクスが「~と名づける」として新しい概念
規定がたびたび登場しますが、この6章・7章でも、「不変資本」
「可変資本」「必要労働時間」「剰余労働時間」のように、マル
クスによってはじめて定義づけられた資本主義理解の重要な概念
が登場してきます。マルクスがいかに前人未到の領域で理論を
展開し概念をつくりだしていったのかが実感されます“

それを、真の名で呼ぶこと、新しい概念を生み出すことは、
社会科学の分野でも重要な意味をもつ。
自分や自分のまわりの世界に対する認識が変わると、
生き方も変わるからである。

「学習は、その知識、概念が持っている意味や価値を丁寧に
解明し、既習の知識や認識の体系に対する揺さぶりや組み替え
をもたらしつつ、まさにそのネットワークの組み替えをとも
なって進むとき、すなわち認識が組み替わるとか、いままでの
考えが変わるとか、わからなかったものが見えるようになるとか、
自分の感性や感情あるいは価値観が組み替えられるなどの内的な
構造の変化、主体の組み替えをともなって進むとき、印象的かつ
感動的なものとして実現される」
(佐貫浩『学力と新自由主義』大月書店、2009年)

本書では、
最近のアメリカを論じているのだが、
現在の日本にも通じる傾向や考え方が随所に見いだせる。

「Ⅳ」の“可能性”の章は、
私たちの背中を熱く押してくれる言葉が綴られている。
活動家の方には、ぜひ読んでほしい。

希望はかぼそいものだけれど、必ずある。
物語を語る努力をしていきたい。

次は花見だ~!

快晴なり快晴なり。

火曜日(24日)はお出かけ日和。
相方とめいっことヘルパーさんと一緒に、
倉敷の児島(相方の地元)にGO。

ほんらいは今ごろ旅行していたのだが、
コロナのことを考え、3月の旅は中止に。来月のも厳しいかも…。

さて。

準備がスムーズにできて11時には出発!
よしよし今日は順調! と思っていたら、
人工呼吸器のホースが福祉車両のスロープに挟まっていて、
途中でスースー抜けはじめ、「空気来てないよー」と相方。
あわてて車をとめて応急処置。ホースが破けてた。でも事なきをえる。

やれやれと思ってランチのお店に着くと、
12時前なのにすでに満席で1時間近く待つことに…。
今日のお出かけ危うし!の情勢。予約しとくべきだった。

ランチの質で挽回! を期待。
相方はふわふわオムライスを注文。

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ふわふわ卵は美味しかったけど、ご飯が固くて喉につまり、
これまたヒヤッと。やれやれ。
結局、卵しか食べれなかったけど、
相方は赤ワインぐびっと飲んで赤ら顔。まあ、よし。

ランチ終了後、買い物してから、鷲羽山の展望台へ。

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病気になってから2回目の場所だったけど、
前回は曇だったので、今回は最高!
春のわりには空気が澄んでいて、香川の坂出もくっきり見通せた。
いやあ、本当に気持ちのよい見晴らし。

最後は昨年オープンした難波牧場のジェラート屋さんに。
わかりづらい場所だったがなんとかたどり着く。
ここも見晴らしよし。ジェラートもスッキリ美味しかった。

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後半盛り返してよい1日に!
旅行にいけないぶん、日帰りお出かけを充実させたい。

次は花見だ!

桜は開花したけど

ほんらいなら、今頃は相方との旅行に。
でもコロナで中止。
今週、日帰りのお出かけはしようと思っているけど。

そして仕事のモチベーションを上げようにも、
日々刻々と状況が変わるコロナ感染状況に気持ち揺さぶられ。
きのう、岡山にも感染者が。これからも、増えていくだろう。

講師仕事も、10人以下のものはかろうじてやるけど、
あとは軒並みキャンセルになっていく。

モヤモヤ。

こういうときって、気持ち切り替えて
別のことに集中できればいいんだけど、なかなか。

桜も開花したけど、春という気分にはなれないな。

集めたいけど、多くなればリスクも…

『学習の友』を配布しにいった岡山県庁で。

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醍醐桜がきれいに咲いていた。今日は最高気温20℃の予想。
春を感じます。

しかし。

新型コロナ感染問題で、
5月14日開校の労働学校の募集活動の足がとまっている(ぼく自身の)。

募集とは、まさに集まってもらうもの。
とくに労働学校は1か所にたくさんの人を集める。
で、岡山労働学校では近距離での対話もがんがんやる。
講義を聞くだけで帰るのは、労働学校ではない。

人数が多ければ多いほど、感染リスクは高くなる…。
今期は50人集めようという目標。
部屋の換気をしたとしても、どうしても密集度は高くなる。

募集が成功すればするほど、リスクが高まるというジレンマ。
5月中旬までに、今よりもおさまってくれていると、いいんだけれど。

しかし、割り切って募集活動をすすめるしかない。
足がとまれば、それだけ影響はじわじわあとに響く。

ということで、モヤモヤしながらも、
来週からまたグッと募集活動に比重を移していきたい。

仲間と打とう絆の麺 伸ばして繋ごう絆の輪

全医労(全日本国立医療労働組合)の
青年組合員を対象にした全国集会、
「ダイナマイト・ゼンイロウ inうどん県」の講師依頼があった。
10月。

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で、チラシが送られてきたのだけど、
クオリティが高くてびっくり。
これって、プロに頼んでいるのだろうか。
チラシの美しい浜は香川県三豊市の父母ヶ浜ですね。

相手に伝わる言葉を考え抜く

『月刊 全労連』4月号は、全労連30周年特集だった。

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そのなかで、記念集会での3人の方による
ディスカッションの概要が掲載されていた。
小森陽一さん(東京大学名誉教授)、
上西充子さん(法政大学教授)、
野村幸裕さん(全労連事務局長)の3人である。

労働組合運動の言葉について中心的に議論がされていて、
興味深く読んだ。
なかでも、小森陽一さんの以下の指摘は、重要である。

「労働組合運動のなかで日常的に使用している日本語
というのは、きわめて特殊だということをまずご自覚
いただきたい。ほとんど外国語の世界にいるようだと
いう印象をもったと、労働組合の集会に出た人の感想
をたくさん聞いています。たとえば組合の言葉を方言
で言い直してみると、この漢字二字熟語がもっている
概念や人間社会における日常的な在り方ということが
見えてくると思います。また、小学校一年生にわかっ
てもらうにはどう言ったらいいだろうかと工夫をちょ
っとするだけで、会議での意思統一の在り方や何を議
論したらいいのかが変わってくると思います。もう1
度、組合で使用している1つひとつのキーワードに、
なぜという問いかけを一斉にかけてみると言葉はとて
も豊かになり、社会的な流通性を確保することができ
ると思います」

小学生にもわかってもらうには、という意識、
私も心にいつも刻んでいる。講義で概念やものごとを
説明するときに、小中学生ぐらいをイメージして言葉を考える。
たとえば、憲法とか、人権とか、社会保障とか、
尊厳とか、労働者とか。
それを小学生にもわかる言葉に変換する。
でもそれは、水準を落とすとか、そういうことではなく、
大吟醸酒がお米を削って削って(精米)つくられるように、
具体的なものを捨象していって、本質中の本質をえぐり出す作業。
だから、スッキリした味わいになるのだ(笑)。

つまり、相手のことをイメージすることが大事だということ。
たとえば、
メーデー集会に参加するときにいつも感じるのだが、
メーデーは活動家だけの集まりでもなければ、
活動経験の長い人ばかりが参加するわけでもない。
働き始めたばかりで、労働組合というものを
自分の言葉でとらえられない1年目職員も、参加している。
でも、あいさつなどで登壇する人の発する言葉は、
1年目職員にわかるものではまったくないと思う。
たぶんチンプンカンプン。
自分のことだと思ってくれるような工夫が足りないと感じる。

この内容、言葉で、相手に伝わるだろうか、を
つねに想像する習慣を、私たちは身につけたい。
どのような人が自分の話を聴くだろうか、
文章を読むだろうか。
「あの人が聴いたら」「あの人に読んでもらったら」
というイメージを持ちながら話すし、書く。

神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんは、
『街場の文体論』(文春文庫)のなかで、こう述べられている。

「書くとき、目の前に読者がいないときも、僕たちは
仮想の読者を想定して書いています。どんな場合でも、
僕たちは想像上の読者に向けて語りかけている。
(中略)・・・自分のなかにいろいろなタイプの読者像を
持っていること。それが『読みやすい文章』を書くと
いうときの1つの条件じゃないかと思うんです。だって、
少女が読者だと思うと、『少女に通じる言葉づかい』を
するわけでしょう。お爺さんが相手だったら、『ある年
齢以上の人なら当然これくらいのことは知っているわな』
という歴史的事実を論じたり、人名を挙げたり、あまり
使わない語彙を動員したりすることができる。僕はこの
読者像の多様性ということが、文章を書く上でものすごく
大切なことじゃないかと思うんです」

先日の核ZERO講座でも、
反核運動の歴史にふれる機会があり、
「冷戦体制」という言葉をつかわざるをえない場面があった。
しかし、冷戦終結から30年である。
ソ連という国も、もうない。
若い世代は感覚として冷戦がわからない。
だからきちんと説明する。

もちろん、若い世代が参加していない場であれば、
そうした説明を省くことができるが、いるのであれば、省けない。
これは逆もいえて、高齢者が多い学習会では、
最近の言葉、たとえばSNSとか、ワンオペ、
なんていう言葉は、若い人は知っていても、
年配の人だと知らない人もいる。
だから、つねに自分の言葉を受け取る人のことを
想像することを大事にする。言葉はキャッチボールなのだから、
まったく相手のミットに届かない場所に投げては、
伝えあいを生み出せないのである。

私たちは言葉で人と人をつなぎ、運動を構築するしかない。
だから、もっと言葉にこだわり、言葉に執着したい、と思う。

ゴミ清掃員、働き方、働く、基礎理論、戦後日本、雇われないで

『ゴミ清掃員の日常』
    (原作/滝沢秀一、まんが/滝沢友紀、講談社、2019年)

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これは良かった。生活の匂いがする漫画。
ゴミ清掃員さんのお仕事、社会のゴミ事情もよくわかる。
オットが主人公の漫画を妻が描くのもスゴイ。


『働き方の哲学』(村山昇著、若田紗希絵、ディスカヴァー、2018年)

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「働くことの根っこにある概念を一つ一つ、ていねいに
見つめなおす」(おわりに)ことに、わかりやすく成功している。
さまざまなインスピレーションを受けた。
ぼくはぼくの立場で、中身を消化したい。イラストも秀逸。


『働くということ』(黒井千次原作、池田邦彦漫画、講談社、2019年)

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原作の講談社現代新書は約40年前のもの。
働くということを深掘りし、雇われ人としての矛盾や
葛藤をていねいに説いた1冊。
ぼくも何べんも読んだが、なんと漫画になっていたとは。
懐かしい気持ちでページをめくった。


『勤労者通信大学 「基礎理論コース」テキスト』
            (勤労者通信大学、2020年2月、非売品)

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商売アイテムのひとつだが、今年リニューアルされたのがこのコース。
初学者には難しいし、読み物としてもゴツゴツしすぎだけど、
最近の理論的到達を盛り込んでいるので、学びたい人にはオススメ。


『戦後日本 労働組合運動の歩み』(山田敬男、学習の友社、2019年9月)

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タイトルそのままの内容で、コンパクトにまとめられている。
教訓とこんにちにおける困難性。
労働運動の再生は一筋縄ではいかないが、私もその末端でがんばりたい。


『雇われないで生きよう!』(高城幸司、PHP、2004年)

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5月の労働学校講義のなにか参考になればと読んだ1冊。
まあ、内容は起業する人むけの考え方が中心で、
学ぶところはほとんどなかった。
いくつかの点でインスピレーションを得たこと、
読みたい本が2冊生まれたことぐらいかな。

意見がいえる人は貴重

きのう(12日)午前中は、
生協労組おかやまのパート部会新人研修。
いつも私が買い物しているコープ大野辻にて。

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労働組合そもそも講義のあと、若干感想交流。

ある方が、役員選出のやり方などのおかしさを語られる。
もっともな部分あり。
思っていても口に出せない人が多いけど、
場が凍りつくことが予想できても、
こういう意見が言える人って、ある意味、組合活動に必要。

まあでも、その方、講義聴く姿勢がまったくなかったですけど(涙)。
話をしながら、「なんでだろ?」と思ってました。

県労連と共催でリーダー研修講座をします。

 5月16日(土)に、岡山県学習協と岡山県労会議(県労連)が共催し、
「リーダー研修講座」を開催することになりました。
規模は30名前後を予定しています。

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この講座は、昨年12月、岡山県学習協主催が行ったものと
内容は同じです(多少バージョンアップします)。
運動の基本技術を学びあうもので、
おもには、関係構築、目的達成プログラムづくりで、
グループディスカッションやグループワークも入れながらの研修です。

対象は、単産・単組の役員を中心に考えています。
(今回は労働組合の方に対象を限定しています)
県外からの参加も希望があればOKとしています。

ぜひご参加ください。
 
 
【昨年12月の参加者の感想文の一部】

■来てよかったです。関係の質の考え方や目的達成の手法など、
とても勉強になりました。今後、活動に活かしていきたいです。

■今後、物事を行うとき、目的・ビジョン・ゴール・目標を
しっかりと持って行動していこうと思います。今日学んだことは、
職場や労組に持ちかえって伝えたいと思います。また開催して
いただけたらと思います。グループワークは大変疲れましたけど、
終わってみたらとてもよかったので、次回もまた取り入れてもらいたいです。

■目的やビジョンを図式化したり、公言して具体的なイメージを
共有することが活動を進めていくうえでとても大切だと思った。
そして何事をするにしても、自分自身がワクワクするような
ビジョンを持って、目的達成できるプログラムを作っていきたい。

■最後に行った目的達成プログラムづくりで、具体的な行動、めざすことを
整理して明らかにする方法がわかった。実践していきたい。

■改めて、誰でもできるように伝えていくこと、言語化がとても
大切だなと思いました。言語化されるとこんなにも目が覚めるような
学びの楽しさに出会えるのかと感動でした。何をするにも、特に
運動は自分一人ではできないから、目的とビジョンが共有されてると
一人一人の力を最大限に発揮できるだろうと思いました。集団で
議論すると深まる体験をできました。今回学んだものを実践してこそ
本当に自分のもの(自分が使える)になるのかなと思います。
何度でも何度でも学んだことを確認していきたいです。こういった
研修をみんな求めていると思います。もっと場をつくってほしいです。
そして自分も伝えられる側になれるよう学びたいです。

個人的なことから普遍がみえる

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
                  (プレイディみかこ、新潮社、2019年)を読み終える。

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プレイディさん、安定のおもしろさ。読みやすさ。

11歳の息子さんとの会話が羨ましい。
こんなに対等な議論ができるのが、さすがだなと。
英国の地べたの雰囲気の一端も知れて、興味はつきない。
個人的なことを書いているのに、それが自然と普遍につながる。
ぼくもこういう文章書きたい。

そしてこの本、高校2年生のめいっこが
ウチに来ていたとき熱心に読んでて、
「何読んでるの?」から始まり、
「え!それ読みたかったんよ!」と借りたもの。
赤ちゃんの頃から知ってるめいっこの成長が、これまた嬉しい。