長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

石川県で「学習運動そもそも話」

日曜日(24日)は、午後から石川県学習協の
50周年レセプションでミニ講演。

 

朝出て、のぞみ→サンダーバード号と乗り継いで

金沢まで。やっぱり北陸本線の車窓からの眺めは

いいですなあ。新幹線は早すぎるしキライ。

 

13時から、金沢市内のホテルにてレセプション。

私は「学習運動そもそも話」というテーマで50分の講演。

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壇上も高く、参加者との距離もあり、

会場はシャンデリアきらきらのところで、

かなりしゃべりづらい会場で感触をつかめないままでしたが、

なんとか50分しゃべりました。

 

かなり改善の余地のある構成だったなと

しゃべった後に思いましたが、

以下、講演の概要です。

 

 

はじめに:そもそも論の今日的意味

       「そもそも」=物事の初め、起こり。(『岩波国語辞典』)

             =物事の最初。起こり。もともと。(『辞林21』)

 

    *学習運動は、「そもそも論」を得意にしてきた。科学的社会主義の

基礎理論とは、ものごとの根本、原則をつかみ、現代社会の変革に

活かすためのもの。哲学、経済学、階級闘争論(革命論)、未来社

会論(社会主義論)…。労働組合論、生き方論、情勢論…。来月、

学習の友社から、『ものの見方たんけん隊』という本を出します。

これも、そもそも論を若い人に語りかける内容になっています。

 

一。「学ぶ」と「広げる」の結合話

 1。学習運動のそもそもの性格

  ◇学ぶことを「運動」として広げる

   *その必要性があったから、学習運動は生まれた。

   *つまり、学ばなければたたかえない。学ぶ活動を目的意識的に

広げる専門組織の必要性が自覚されたところから。カンと度胸の

労働運動からの脱皮。

   *とくに、科学的社会主義の理論の学習要求は、自然発生的には

生まれてこない。

 

  ◇発達した資本主義社会では、上部構造での「決着」が問題になる

   *巨大に発達したマスコミ。支配階級の価値観・考え方・神話を浸透。

学校教育も。

 

「ある時代の支配的な諸理念は、つねにただ支配階級の諸理念に

すぎなかった」(マルクス・エンゲルス『共産党宣言』1848年)

 

     「ときには労働者たちは勝つこともあるが、それはただ一時的で

しかない。彼らの本来の成果は、直接の成功ではなくて、労働者

たちがますます広くまわりにひろげてゆく団結である」(『共産党宣言』)

 

     「成功の一つの要素を労働者はもちあわせている――人数である。

だが、人数は団結によって結合され、知識によってみちびかれる場合

にだけ、ものをいう」 (マルクス「国際労働者協会創立宣言」1864年)

 

 2。広げる原動力は、「真実を伝えたい」とする思い

  ◇「知る」ことと「伝える」(表現する)ことは一体

   *学ぶことはおもしろい。新しい視点・視野。そして、それを「伝えたい」。

   *科学的社会主義の理論は、変革のための理論。団結をつくるための理論。

  ◇集団で学ぶこと―学習運動は、集団学習を組織する運動形態

   *ひとりの狭い認識から、討論をつうじてのダイナミックな認識の発展(弁証法)

   *「集まること」と「学ぶこと」の長所を生かしあう場づくり。

 

 3。『資本論』を学ぶ今日的意味

  ◇そもそも論のオンパレード

   *商品論、貨幣論、資本、賃金、搾取、労働時間、機械、資本の本源的蓄積・・・

   *「過程」のなかで、「いま」を見ることのできる書物

  ◇労働者としての自覚

*自分の労働力を大切にする

(自己責任でなく制度的・法律的・組織的に保障する)

   *おなじ「宿命」を背負わされた労働者階級と生きる。団結をひろげる。

  ◇現象から本質へ。日本社会を変える確信。

   *資本主義社会の根本矛盾。永遠ではない。労働者階級のたたかいの意義。

 

 

二。学習運動、その歴史-これまで、これから

 1。学習運動の起こり

  ◇戦前からあった「労働学校」

  ◇1952年・労働者教育協会の創立(10/13)

   *100人以上の学者・文化人と、18の全国単産・労組を結集して

    ・「創立の趣旨はマルクス・レーニン主義の理論を全国の労働者階級に

燎原の火のごとく広めたいということでした」(塚田寿子・当時事務局)

    ・『社会科学基礎講座』全6巻の発刊。30万部以上の普及。

 

  ◇1953年10月に『学習の友』創刊

・「このごたごたとした意欲過剰と力不足の中で本誌はどうみても一人前の

相を備えてはいない、汗と脂のしみた赤ん坊だ。ごみごみとしたよごれ

た空気とやかましい騒音のなかで、この赤ん坊をたくましく育てるため

には、よっぽど、栄養を補給しなければなるまい。現実の苦しみのなか

で闘っている労働者諸君の体験からにじみ出た率直な意見や討論が

さし当り母乳だとすれば、現実の苦しみの奥底にひそむ本質を分析し、

科学的な見通しを与える学者の労作は父親の苦労だともいえよう。この

両親が仲よく協力してこそこの赤ん坊は育つというものだ」

(『学習の友』創刊号・編集後記)

 

  ◇大衆的な学習運動への前進―60年代・都道府県に学習組織が結成

   *1968年までにすべての都道府県に大衆的学習運動の組織が

つくられることに

   *同じ1968年に、勤労者通信大学開校。1万人の受講生を組織する。

 

 2。2010年代の学習教育運動の発展のために

  ◇3つの学習形態と総合的な学習教育運動

  ◇全国学習交流集会と学習教育運動セミナー

  ◇組織を強くする―学習活動家を職場・地域に

 

 3。若い人の運動参加の課題-岡山県学習協の活動の教訓

  ◇なにを大事にしてきたか―学習活動家育成の目的意識的取り組み

   *労働学校の開催、学習運動でしかできない「学びの場」をつくる

  ◇若い人へのアプローチ

*「高い要求と、あたたかい指導の統一」

*つねに自分たちを乗り越えていく世代という認識をもって

*新しい感覚、新しい表現方法。文化のちがい。―そのギャップを楽しむ

  ◇実践的教訓のひとつ―パンフ『高まりあいの運動文化を』(長久啓太著、150円)

 

さいごに:人が変わる喜び。それに関われる喜び

 

 

 

以上。

 

 

あとから参加者の方に、

「いい話を聞かせてもらった」

「若い人へのアプローチは示唆に富んでいた」

「そもそも論の大切さがあらためてわかった」

などの感想をいただき、

なんとかお役目を果たせたなとホッとしました。

 

15部もっていったパンフ『高まりあいの運動文化を』も完売。

ありがとうございました。

 

 

ミニ講演後は、

たくさんの人によるあいさつが続き、

石川県学習協の運動が果たしてきた

重みと役割が実感できるものでした。

 

学習運動はやっぱりすごいのであります。

 

余談ですが、

私の祖父の長久太郎さんが、

金沢大学で教鞭をとっていて、

「長久太郎さんの授業を受けたことがある」

という人もおられました。

 

じっちゃん、労働組合もやってたし、

年配の人は知っている人、多いんですよね。

そんな嬉しい出来事もありました。

 

 

楽しいレセプション終了後は、

学習協の中心メンバーのみなさんと懇親会(2次会)。

 

みなさん、たいへんお世話になりました。

ありがとうございました。

 

 

翌日(25日)の午前中は、

金沢の叔父叔母の家に行き、

いま一緒に住んでいる祖母に会ってきました。

元気そうでなによりでした。

 

 

そんなこんなで、

充実の金沢滞在でした。