ソワニエ看護専門学校での13回目の授業おわり。
「新聞を読んでみる」という試み、なかなか好評だった。
というより、おそらく学生さんにとっては、
「新鮮」だったのだろう。
聞いてみると、新聞を自宅でとっている人は3分の1。
さらに「毎日読んでいる」のはクラスでひとりであった。
まあこれは予想されたこと。
だからこそ、「実際に新聞を読んでみる」という
「練習」「機会」が大事なのだと思う。
ちなみに使った新聞は山陽新聞。
やっぱり地元紙ということで。
新聞を半分に切って、表裏2面分の紙面を1人ひとりに配って、
「関心のもてた記事を紹介し、それについてコメントを発表する」
という内容。
ある学生さんが、感想文でこう書いていた。
「今、たまにスマホでヤフーのトップニュースを見るだけで、
気になったものしか見ていないから、じっくり新聞を読んで
みるというのは意外に楽しかったです。それぞれ人によって
注目する記事も、感想もちがって、いい機会となりました。
ただ、日常ではやはりスマホで興味あるニュースしか見ない
ような気がします」
たぶん、これが多くの若い人の実際なんじゃないかなと思う。
先日も、ある労働組合の新人研修会で、
「情報ソースはなに?」という質問をしたけど、
全員、新聞は読んでいなかった。
「新聞を読む」という文化自体が急速にしぼんでいるのだ。
これに、ぼくはすごく危機感をもっている。
もちろん、どの新聞を読むかも大事だけど、まず新聞を
手にとってパラパラめくるという、社会文化を、
なんとか引き継いでいきたいと思う。
さて、新聞の1つひとつの記事はもちろん
断片的で部分的なものだから限界があるけど、
新聞の良さはなんといっても「網羅的」であることだろうと思う。
政治・経済・文化・教養・生活・社会・広告などなど、
自分の視野を広げてくれる役割が新聞にはある。
学生さんの反応の一部を紹介したい。
■頭のなかで整理する時間を作れる新聞の良さをあらためて感じた。
■久々に読むと興味深い記事が多くておもしろいなあと思いました。
■意外にいろんなことが書いてあるなあと思った。
■思っていたよりもすごい。
■新聞を読んで感想をというのは、めちゃおもしろかった。毎回したい。
■興味があるないに関わらず、記事の幅に今さらながらおどろきました。
■世界ではいろんなことが起こっているなと思いました。
■新聞っていいなと思った。みんなの意見を聞くのも楽しかった。
■新聞を読めば地域のこともわかるので、とても関心がもてた。
■新聞を読みたくなってきました。
■1面だけでもさまざまな記事があり、読んでみるとおもしろかった。
■テレビやスマホも利点はあるが、紙をペラペラめくる感じも悪くないなあと感じた。
■一気にたくさんの情報が入ったので得した気分になった。
■新聞を読む機会は今ではないので新鮮だった。
■新聞で得た情報は、ニュースで見るよりも印象に残りやすく、関心がもてる。
■知らないことを知れておもしろい。
…なんとか、新聞を読むおもしろさを、
伝えていきたいと思う。