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長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

ヒマの復権をはかりたい。

世間では、「ひま」という言葉は評判がよろしくない。
「あいつはヒマなやつだ」とか、
「ヒマをもてあましている」とか、
「そんなヒマがあるんなら!~をしろ」とか。

ヒマの正体とはなんだろう。

【ひま】
「今しなければならない仕事などが無くて、自分の好きなことが出来る
のんびりとした時間(状態)」(三省堂『新明解国語辞典』第7版)

新明解さんは、ヒマにだんぜん肩入れしている(ように思える)。

仕事とは、有償労働と無償労働がふくまれる。
それが目の前に立ちふさがってない状態。
目の前に自由がある!

「自分の好きなことができる」
「のんびりとした時間」

いいではないか!
ヒマバンザイではないか!

不名誉な評価をされている、「ヒマの」復権をはかりたい。

そんな思いで、今日午前中の学習会でも、
「ヒマ」の大事さを強調した。
ギリシャの哲学者は仕事も家事もせずに、たっぷりとした
ゆとり時間があった。つまりヒマだった。

「自分の好きなことができるのんびりとした時間」は、
学問、自然科学、文化の発展の条件となった。

ヒマは、人類発展の要素の大事なひとつだった。
すべての人類はヒマに感謝しなければならない。
ヒマに頭を向けて寝れないのである。

何かを「効率よく行う」ことには価値があるが、
何も「しない」、そして立ちどまること、
たっぷりと考えること、ジグザグ寄り道すること、
ぼんやりすることにも、価値がある。

資本主義はお金に対しても時間にたいしても、
限りなく「ケチ」である。
なぜなら資本を拡大するためには、
「無駄」はできるだけ少ないほうがよいからである。
「ヒマ」は無駄の最たるもので、資本主義的立場から考えると
ヒマは「撲滅対象」となる。

だから、資本主義社会では、ヒマは知らず知らずのうちに、
人々の意識の上でも、邪魔者あつかいとなっていく。
片隅に追いやられるのである。ヒマさんごめんなさい。

職場でも、ゆとりなく、目の前のことに追われる
毎日を送っていれば、
現状に対して問いや疑問を持つことも難しくなる。

ヒマがなければ考えることも
じっくり議論することもできない。
ヒマがなければ、集まれない。

資本主義社会は、他人の自由時間を奪い取り、
「価値を増やせ!価値を増やせ!」となる社会である。
労働者の生活時間をより多く切り売りせよと
せまってくるのである。

いまこそヒマの復権をはかりたい。
生活のど真ん中にヒマをおこう。
健康で文化的で、ヒマのある生活を!