報告が遅くなりましたー。先週の労働学校。
14日夜は、
第86期岡山労働学校「超入門! 資本論教室」の
第5講義でした。11名参加。
テーマは「搾取のひみつ」。
講義前、あれこれと考えたこと。
「搾取(さくしゅ)」って、しぼりとる、
ていう漢字をつかいます。
めっちゃ長時間労働だったり、
汗ふくひまもない過密労働だったり、
こんなんじゃ暮らせないよ!という低賃金
だったりの仕事だと、「搾取」って、
身体感覚で「そうだ!」ってなると思います。
でも、マルクスのいうところの「搾取」って、
定時に帰れて、そこそこなゆとりのある仕事内容で、
賃金もまあやってける額もらっている労働者も、
「剰余価値」をつくりだしてそれを合法的に「いただき~」って
なることを指しています。
ちゃんと労働力の価値分もらっても、搾取されてますよ、と。
「搾取」って、見えないからほんとやっかい。
「生協に搾取はあるのか」なんて議論もあったりするけど、
「搾取」っていう概念自体の感覚的取扱いにくさってあると思います。
さて、それはそうと、以下、講義の概要です。
(実際はイラストや図など使っていますが、文字だけ)
一。搾取のヒミツ
1。資本とは何か(おさらい)
◇私たちが労働力を売るのは、「使用価値」(商品)が必要なため
商品 - 貨幣 - 商品 が私たち(労働者)のお金の流れ
◇これに対して、資本家が労働者の労働力を買って
商品生産をする流れ(目的)は…
貨幣 - 商品 - 貨幣 ということ
ここで重要なことは、はじめの貨幣量よりも、
おわりの貨幣量が大きくなるということ。減ったり、
同じ量では意味がない。
この運動の目的は、貨幣の増加、つまりより大きな貨幣(価値)の
獲得にあること。 資本=自己増殖する価値のこと。
では、なぜ「はじめ」より「おわり」が大きくなるのか。
2。搾取のひみつ-「手品は成功した。貨幣は資本に転化した」
労働力という商品の独特の性質をつかむこと が大事!
①労働力の1日分の価値(労働力の再生産費)と、その労働力の
1日の使用(ここでは分かりやすいように8時間労働とする)が
新しくつくりだす価値は、大きさが異なる。
②そして、それは必ず、後者の方が大きい。
◇生産力の高い発展段階
*なぜ、「労働力の価値」よりも、「労働者がつくりだした新しい
価値」のほうが大きくなるのか。それは、資本主義的生産が、
高い水準の生産力をもち、「自分の生活を維持していく分
(労働力の再生産費)」よりも多くの価値を、契約した時間内の
労働で生み出すことができるのです。
*そして、この「労働力」という商品の特別の性質が、資本家が
労働者を雇って労働をさせれば、より大きな価値が得られる
しくみになっているのです。
「労働力の価値と、労働過程における労働力の価値増殖とは、
2つの異なる大きさである。この価値の差は、資本家が労働力
を買ったときに念頭においていたものであった。糸または長靴
をつくるという労働力の有用的属性は、価値を形成するには
労働が有用的形態で支出されなければならないという理由か
らいって一つの“不可欠な条件”であったにすぎない。しかし、
決定的なものは、価値の源泉であり、しかもそれ自身がもって
いるよりも多くの価値の源泉であるという、この商品の独特な
使用価値であった。これこそは、資本家がこの商品から期待す
る独特な役立ち方なのである」
(『資本論』第5章「労働過程と価値増殖過程」新書版330~331P)
「貨幣所有者は、労働力の日価値を支払った。それゆえ、1日の
あいだの労働力の使用、1日にわたる労働は、彼に属する。労働
力はまる1日作用し労働することができるにもかかわらず、労働力
の日々の維持は半労働日しか要しないという事情、それゆえ、労
働力の1日のあいだの使用が創造する価値がそれ自身の2倍の
大きさであるという事情は、買い手にとっての特殊な幸運であるが、
決して売り手にたいする不当行為ではないのである」 (同前331P)
◇図式にしてもう一度
このように、自ら労働して価値を生み出さないものが、他人の
労働の成果の一定部分をうばいとることを、搾取(さくしゅ)といいます。
*生産手段をもっているものが、こうした搾取をすることができる。
*搾取は、原始共産制社会以降の、いつの時代にもあった、しかし・・・
資本主義の搾取は目に見えないのです!
たとえば封建制社会では…
・・・はっきりと搾取が目に見える!
3。搾取がなぜ目にみえないのか
◇実際の賃金形態が、搾取の本質をつつみかくす
*賃金はたいていの場合、月末払い・後払い。普通の商品売買は
前払いが一般的。
*「労働全体の結果」にたいして支払われたように見える。
*パート労働者は「時間給」→何時間働いたかによって賃金が決まる。
*成果主義賃金→どれだけ働いたか、成果があがったかで賃金が決まる。
こういう体験を通じて、「どれだけ働いたか=賃金の大きさ」という
観念ができあがる。「労働の価格」のように見える。
*くりかえしますが、ふつうの商品売買は「前払い」が原則。先に
払うことで、その商品を「所有」「消費」する権利があたえられる。
「現実的関係を見えなくさせ、まさにその関係の逆を示すこの現象
形態は、労働者および資本家のもつあらゆる法律観念、資本主
義的生産様式のあらゆる神秘化、この生産様式のあらゆる自由
の幻想、俗流経済学のあらゆる弁護論的たわごとの、基礎であ
る」
(第17章「労働力の価値または価格の労賃への転化」新書版924P)
「現象形態は、直接に自然発生的に、普通の思考形態として
再生産されるが、その隠れた背景は、科学によってはじめて
発見されなければならない」 (同前928P)
まとめ。
資本主義社会の搾取は、学習しないとわからない!
*生産労働をしていない人も搾取されている
・なぜ自分の会社がおおきくなるのか
・建物や機械設備のあらたな導入・・・原資は???
・すべて労働者の労働が生み出した価値
*貧富の格差は拡大する一方・・・社会の富はどんどん増えている
・日本の大企業の内部留保は、バブル時代の2倍!? え!?
・労働者に労働力の価値どおりの賃金が支払われているか
二。商品の“命がけの飛躍”
これまでの話は、つくった商品がきちんと「売れる」という前提で
お話をしてきました。ところが、実際はそうではないことは、
みなさんもよく知ってのとおりです。
1。商品が、売れるかどうかわからない
◇もう一度、「資本」の基本運動をおさらいしましょう。
貨幣 - 商品 - 貨幣 ということでした。
*最初の「貨幣-商品」はスムーズに進行します。
*しかし、「商品-貨幣」はそうはいきません。市場に出した商品が
きちんと売れるのかどうか。マルクスは、この過程を「命がけの
飛躍」と名づけました。
*商品が実際に売れるかどうかは、市場に出てみないとわから
ないからです。
*その商品を買ってくれる需要が実際にどれだけあるのか、同じ
商品をつくる業者がどれくらいいて、どれだけの商品をどんな
値段で売りにだすのか、そういう事情は固定したものではなく、
たえず変動しています。
→自社の「新商品」の開発がうまくいくかどうかわからない
→他社が自社の商品よりすぐれた商品をつくりだすかもしれない
→他社の生産技術が進歩し、より安い価格で同じ商品を売り
だすかもしれない
→その商品の供給が、需要より上回っているかもしれない(過剰生産)
*だから、せっかく商品をつくって売りにだしても、買い手が
みつからなかったり、市場での売り値が下落してその商品
の生産にかかったもとの費用も回収できなかったり、資本家
はそういう危険にたえずさらされています。これは商品生産の
社会の、ぬけだすことのできない宿命です。
2。資本家どうしの「命がけの競争」が宿命となる
◇競争の敗北者は、倒産・廃業します(労働者の失業をともなう)
*この法則は、資本家どうしの激しい競争とある部分の敗北、
没落という形で、多くの社会的悲劇を生みながら作用します。
◇搾取強化へ
*より大きな資本をもとでにし、より高い生産力・生産技術・販売
方法を生みだし競争力を強化して、商品を売り続けることを
資本家は強制されます。したがって、資本家の利潤獲得欲求
には限度がありません。
「資本は唯一の生活本能を、すなわち自己を増殖し、剰余価値を
創造し、その不変部分である生産諸手段で、できるかぎり大きな
量の剰余価値を吸収しようとする本能をもっている」
(第8章「労働日」新書版395p)
以上。
感想文を少し。
◆むずかしかったです。やっぱり搾取って言葉は
嫌いです。しぼりとるため。
◆搾取ってことばは難しい。賃金の前払いって・・・
いいなーと思うけど。いざもらうとドキドキする。
◆商品のウラに人がいる。それを考えると感慨深い。
◆搾取がなぜ目に見えないのか、の根拠がおもしろい。
労働の結果が賃金というのは、常識的になっているので…。
こんな事に気づいたマルクスはすごい。
◆最後の資本家たちのたたかいのところは、どんな良い
理念をかかげている病院でも一定の利益をあげないと
生き残れないのが悲しい。資本家は、悲しい生き物ですね。
市場にルールを作ったほうがもっと自由になりそう。