長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

ぶらり、時間散歩 (第4回)

月刊誌『学習の友』のエッセイ4回目(2月号掲載)です。


第4回「回り道の時間」

 
「道くさの貧困化」という言葉に出会ったのは、10
年前、『子どもの道くさ』(水月昭道、東信堂)という
本を読んだときでした。子どもの道くさに寄り添い、分
析し、居住福祉の視点で子どもの発達にとっての「道く
さの意義」を説かれていて、目からウロコ。
 現代社会では、空間・時間・仲間の「3つの間」が乏
しくなり、子どもが道くさを展開しにくくなっています。
みなさんの住んでいる地域で、子どもたちは道くさでき
ているでしょうか。
 ここでいう道くさとは、「目的(地)に向かって進む
途中で、他の事に時間を費やすこと」(『岩波国語辞典』
第5版)。目的からそれてしまうわけですから、積極的
に「道くさどうぞ!」と言う先生や親はいません。
 「なぜ道くさは社会的に見て悪者のように扱われるの
だろうか。二〇世紀の価値観とのかかわりに注目したい。
前世紀は、効率追求型の社会のなかで何ごとも合理的で
あることが好ましいことのように信じられてきた。・・・
(道くさは)効率の対極にある無駄、合理の対極にある
非合理と見られても仕方のないことと言えなくないだろ
うか。かくして道くさには悪者のレッテルが貼られてい
ったように思えるのだ」(『子どもの道くさ』)
 子どもに限らず、もともと人の一生は目的にまっすぐ
向かうような単線ではありません。じぐざぐ、うねうね、
後戻り、そして回り道もしながら、無駄をたっぷりふく
んだ時間であるはずです。でも、資本は一直線に「利益」
という目的をめざし、無駄を許しません。資本の時間に
社会が支配されてしまったとき、人間の時間は貧困化し
ます。山田洋次監督の映画『十五才 学校Ⅳ』より「浪
人の詩」を紹介して終わります。
 草原のど真ん中の一本道を/あてもなく浪人が歩いて
いる/ほとんどの奴が馬に乗っても/浪人は歩いて草原
を突っ切る /早く着くことなんか目的じゃないんだ /雲
より遅くてじゅうぶんさ/この星が浪人にくれるものを
見落としたくないんだ/葉っぱに残る朝露/流れる雲/
小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない/ だから浪
人は立ち止まる/そしてまた歩きはじめる