長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

<痛みの哲学>臨床ノオト

『麻酔はなぜ効くのか?ー〈痛みの哲学〉臨床ノオト』
(外須美夫、春秋社、2013年4月)を読み終える。

 

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外(ほか)さんの著作は3冊目ですが、

これも素晴らしい本でした。尊敬する麻酔科医です。

 

麻酔科医としての姿勢は人として普遍的。

その仕事の日常、奥深さや葛藤、喜怒哀楽まで。

臨床現場の話も多し。おもしろいです。

「痛み」についてのさまざまな考察も卓見です。

 

 

以下、メモです。

 

「人間がロボットでない限り、私たちは痛みと共に生きて

いかなければならない」

 

「痛みは生きるために必要な感覚である。しかし、快適さを

求めるようになると、痛みは快適さを邪魔する悪者にされて

しまう。あらゆる痛みは退治すべきものとして、嫌われ、病的に

される」

 

「人間は痛みを感覚的に味わいながら、痛みの不快さに

苦しみながら、一方で痛みをさまざまに解釈して来た。

人は、痛みに対して、生理的な範囲を超えて、文化的な

社会的な、また哲学的な宗教的な解釈や意味づけを

行ってきた。人は襲ってくる痛みを無意識的に遠ざけながら、

どうしても避けられない痛みに対して意識的に人間的な

対応をしてきた」

 

「この国は、痛みを弱者に押しつけ、生け贄のごとく弱者に

痛みを集中する社会になってしまった」

 

「国が滅びるかもしれない原発に依然として頼らざるを

得ないと考えている人たちがいる。政治家も電力会社も

経済人もそのように喧伝して、国民の生活を守るために、

原発が必要であると訴えている。衣食住に足りている人が、

その衣食住を守るために、節電しては困るといって、

原発事故で土地を追われた人たちの苦痛をないものに

しようとしている。

 何万年にわたって消えない放射性物質を地球上に

さらに増やしつづけても、いまの生活を楽しみたいからと

いって原発を稼動させようとしている人たちがいる。将来の

子どもたちが生活する地上に、決して無毒化できない

放射性物質を積み残しても、今の生活水準を維持する

ために原発を稼動させようとしている人たちがいる。

 市場原理主義の中で、経済優先の社会の中で、人々は

痛みへの想像力をなくしてしまったのではないだろうか。

痛みの想像力が欠如した社会ができ上がってしまったの

ではないだろうか。そして、想像したくない痛みを想定外

として近づけないようにする。そうすることで人々は不安を

払拭しようとしている。想定不適当な事故として原発事故

さえも想像しないようにしている。

 今こそ東日本大震災の傷跡を眼に焼き付けなければ

ならない。住民が住めない土地になってしまった福島の

ふるさとの山々や村々から眼を背けてはいけない。

他者の痛みから遠ざかる限り、この国に本当の豊かさは

訪れないだろう」

 

「私たちは、いじめられている人たちの、虐げられている

人たちの、病んでいる人たちの『痛みの声』を真剣に聴か

なければならない。社会の底辺で、痛みを押し付けられて

いる人たちの声に耳をすまさなければならない」

 

「麻酔は私の習慣になったが、この本に書いたように、私は

さまざまな麻酔の場面に遭遇した。多くの患者さんと出会って

麻酔の悲喜こもごもを味わった。1人1人の患者さんは、

20万分の1に過ぎないが、かけがえのない患者さんたちだった」

 

 

 

―目次―

 

第一章 痛みを鎮める

第二章 魂を預かる

第三章 麻酔の現場から

第四章 麻酔の多様な世界

第五章 麻酔は怖い

第六章 あなたのために麻酔をする

第七章 大きな痛み―被災地へ

第八章 薬に踊らされている

第九章 それでも痛みに囲まれて