メモです。
「学習は、その知識、概念が持っている意味や価値を丁寧に解明し、既習の知識や認識の体系に対する揺さぶりや組み替えをもたらしつつ、まさにそのネットワークの組み替えをともなって進むとき、すなわち認識が組み替わるとか、いままでの考えが変わるとか、わからなかったものが見えるようになるとか、自分の感性や感情あるいは価値観が組み替えられるなどの内的な構造の変化、主体の組み替えをともなって進むとき、印象的かつ感動的なものとして実現される」
(佐貫浩『学力と新自由主義』大月書店、2009年)
まさに労働者教育は、このようなものでありたい。
さらに、学んだ知識に「習熟していく」。
その知識を使える。つまり主体化していく。
そして、知識と習熟を積み重ねながら、直面する課題に向かい、
何かを解明し、創造し、実現するプロセスのなかで「新たに表現していく」。
ふむ。メモです。