長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

『街場の文体論』を読んでのメモ

『街場の文体論』(内田樹、文春文庫、2016年3月)を読み終える。

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神戸女学院大学での内田樹先生の最終講義14講の文庫化。

なんかねー、わずか800円ぐらいで内田先生の最後の
熱量ハンパない講義を学べるって、すんごく得した気分。
本ってありがたい。

で、内容ですけど、理解できないところも多々あったけど、
考えること、大事だなと共感したところもたくさん。

そして、全体をとおして、励まされた。
がんばろう、って思えた。
がつがつ前に進むために、背中を押されました。

自分のなかで整理したいけど、その前に
とりあえず自分用にメモしておきます。はい。以下。



「どれくらい強く読み手に言葉が届くことを願っているか。
その願いの強さが、言語表現における創造を駆動している」(20P)

「数十年にわたり賢愚とりまぜ腐るほどさまざまな文章を
読み、また自分も大量の文書を書いてきた結果、僕は
『書く』ということの本質は、『読み手に対する敬意』に
帰着するという結論に達しました。それは実践的に言うと、
『情理を尽くして語る』ということになります」(20P)

「自分のなかにいろいろなタイプの読者像を持っていること。
それが『読みやすい文章』を書くときと1つの条件じゃない
かと思うんです」(25P)

「文章を書くということは、いつだって『限界に挑戦する』
ということ」(38P)

「学術論文を書くときでも、文学や映画や音楽について
書くときでも、僕たちは別に『すでに知っていること』を
書いているわけじゃありません。書きながら、自分が何を
言いたいのか、何を知っているのかを発見するんです。
書いてみないと、自分が何が書けるのか、何を知っている
のかわからない。順序が逆転しているんです」(45P)

「日本には、学者のするむずかしい専門的な話を、市井の
ふつうの市民の日常的なロジックや語彙で言い換え、わか
りやすい喩え話を探し出す、そういう仕事をする人間が
いて、そういう人間の書く本を好んで読む読者がいる」(142P)

「僕はこの仕事を『ブリッジする』というふうに呼んで
います」(143P)

「僕は院生の頃、ずいぶん一生懸命勉強して、何とか
フランス語が読めるようになりました。だから、この
せっかく身につけた能力を、『フランス語が読めない人』
のために使いたいと思いました。腕力が強い人は、非力な
人の荷物を持ってあげることに使えばいい。目がいい
人は皆が見えない遠くの黒雲を見て、『嵐が来るぞ』と
知らせることができる。鼻のいい人は『鍋が焦げてます
よ』と知らせて火事を防ぐことができる。みんなそれ
ぞれに個別の能力を持っている。それは競い合うもので
はなく、お互いに融通し合って、みんなでその成果を
享受すべきものじゃないんですか。
 ある分野の学問をして、特殊な技能や知識を得た。
それを専門家同士で『どっちができるか』『どっちが
たくさん知ってるか』を競うことで時間を潰すよりも、
そういう知識や技能を持ち合わせていない人たちに利用
可能なかたちにすることも学問のたいせつな仕事では
ないのか」(279~280P)

「『届く言葉』には発信者の『届かせたい』という切迫
がある。できるだけ多くの人に、できるだけ正確に、
自分の言いたいこのことを伝えたい。その必死さが言葉
を駆動する。思いがけない射程まで言葉を届かせる」
(291~292P)

「僕が長い現場経験から得た技術知はこの本の『語り口』
そのものに含まれていると思います。それは、『今、目の
前で言葉が生成している』と学生たちに実感してもらう
こと、学生たち自身がそこで言葉が生まれているという
『事件』の唯一無二の『立ち会い人』であるということを
実感してもらうことです。そのためにはほんとうに振り絞る
ように、いま、ここで言葉を紡ぎ出さなければならない。
もちろん、僕が教壇で話していることの大方は、『すでに
仕込んであるネタ』なんですけれど、それでも何パーセント
かはそのときはじめて、学生たちの前で思いついた『新ネタ』
でなければならない。学生たちにはわかるんです。すでに
仕込んだものをさらさらと『出力』している授業なのか、
いま、自分たちの前で、自分たちのリアクション(笑ったり、
うなづいたり、ノートを取ったり、あるいは眠ったりという)
がその生成に関与しているのか。そういうことはわかるん
です。そして、どんなに整合的で立派であっても『レディ
メイドの言説』よりも、どんなに支離滅裂であっても、自分
たちがその生成に関与している『とれたての言説』の方に
強く反応する。それは僕の経験的確信でした」(309P)