長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

「闘う人々のひとりに、私もなりたい」

ZERO講座3回目(2/7)の報告です。

27名が参加し、

テーマは「反核運動の歴史と被爆者のたたかい」でした。

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おもな内容は以下でした。

 

日本被団協がニューヨークに被爆者50人派遣、

被爆体験を「社会の記憶」にできなかった空白の10年、

アメリカとソ連の冷たい戦争(東西冷戦体制)、

プレスコード、被爆者も自分の体験を語れなかった、

真実を隠し続けたアメリカ、冷戦期の核軍拡競争、

狂気は止まらない―核戦略「SIOP-62

195431日・ビキニ環礁で水爆実験により第5福竜丸被爆、

杉並区の女性たちから始まった署名活動、

1955年広島で第1回原水爆禁止世界大会、

原水爆禁止日本協議会(日本原水協)も結成、

1956年日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の結成、

結成宣言=「世界への手紙」、日本政府の責任(原爆被爆者の基本要求)、

反核運動の中で被爆者が果たした役割~山口仙二さんの歩みから、

人間を取り戻す―被爆者の苦悩と生き方、原爆体験とは何か、

被爆者の生きる支えはなんだったか、

ピースボードおりづるプロジェクト、空気を変えたメキシコ会議、

被爆者・渡辺千恵子さんの生涯、合唱組曲「平和の旅」。

 

さいごに、渡辺千恵子さんの生き方を合唱にした組曲「平和の旅」を

4曲目から(時間の関係で)聞いてもらいましたが、

参加者の胸に響いたようです。私もいつ聴いても震えます。

 

講義後は、5つのグループに分かれて感想交流しました。

以下、感想文の一部を紹介します。

 

■今回の講座で、反核運動の歴史的意義、成果がよくわかり、
まだ実現していない要求についても明らかになった。1人でも
多くの被爆者が生きているうちに、核兵器をなくなくてはなら
ないという思いを新たにした。また、被爆者が語らなければ、
もしかしたら今でもアメリカにとって都合の良い情報だけ流
され、被爆の実相は明らかにされていなかったかもしれない。
その意味においても、被爆の辛い体験を語ってくれたことに
拍手を送りたい。

■渡辺千恵子さんに本は昨年読みました。彼女の生きた証が、
こうした歌になっているとは! 感動しました。しかも250
回も上映され、15万人もの方が聞かれているとは! 山口
仙二さんや谷口稜曄さんの生涯についても学んでみたいと
思いました。

 

■山口仙二さんの「1人ひとりが真の平和を信じ、行動して
ください」という言葉が胸に残った。今日こうして私が核に
ついて学んでいること、世界で核廃絶に向けた運動が広がっ
たきっかけは皆が平和を信じ行動したからだと感じた。被爆者
の苦しみは戦争が終わって尚続くということは学びの中で知っ
ていたつもりであったけれど、今日は想像を超えていた。

CD平和の旅へ、は心に響きました。「平和の旅へでかけよ
う、それが私の人生」。被爆者が自分の体験を語ることが核
兵器をなくす運動を前進させる力になっている、自分の使命
だと感じている。その思いを受けとめることは重いけど、
私も平和を広げる旅に出なくてはと思いました。

 

■「空白の10年」を初めて知り驚きました。真実を隠し
続けたアメリカと、日本政府の罪は、原爆を作り投下した
ものよりも重いと感じました。今の日本の政治もまさにそう
です。何も変わらないことにがくぜんとしました。しかし
その中でも立ち上がり数の力で闘う人々の一人に私もなり
たいと思います。

■世論を大きく動かした根底に、被爆者の皆さんの、体験の
語りがあったことをあらためて実感しました。そして署名も
今では考えられない数が集まっていたという運動の歴史も
励まされました。

 

■核被害を語りつぐことの大切さを感じた。傷や病気だけ
でなく、差別や思い出すことのつらさなど、大変な中でも、
語りつがなければと立ち上がったヒバクシャの方々の思い
やそれを支えた人達のすごさを感じた。杉並区で、行動を
始めた女性たちの運動にも敬意です。核兵器禁止条約を
批准する政府にしなければいけないと改めて決意。

■1回目の講義の時にも感じましたが、被爆者の方たちは
複雑な思いがありながらも、証言に立ってこられたことを
改めて知りました。そして反核運動が被爆者の方にとっても、
生きがいにつながっていたことも感じました。最後に聞いた
曲は感動しました。

■歌を聞きながら、天国から渡辺さんが見ていてくれてる、
そんな思いになりました。特に、娘よ、は胸にきました。
千恵子さんにお母さんの人生も伝わってきた気がします。
たくさんの人の人生がうばわれたことをアメリカが隠して
いたことについては非常に悲しくも少し心で納得してしま
いました。それくらい残虐で、人として受け入れがたい
兵器だということです。戦争や兵器は人の心や魂を、まず
破壊していくのでしょう。

■アメリカの「戦争を早く終わらせるために原爆投下は
必要だった」という言い訳はよく聞いたことがあったが、
「原爆放射能のため苦しんでいるものは皆無だ」という
ウソはひどすぎると思った。ABCCは被爆者を、同じにん
げんと思っていなかったのかモルモットとしか見ていな
かった…。被爆者の命がけの証言があって、今があり、
地球がかろうじて残っている。これ以上の環境破壊を
させない為にも、被爆体験を、次の世代に語りついで、
核兵器を無くすためにも、次回も参加して、運動を広げ
ていきたいと思いました。

 

■アメリカのファーレル准将の「『死ぬべきもの』は死ん
でしまい…」という言葉自体に、1人ひとりの命を見て
いない様子が表れていると思った。アメリカが原爆につ
いて隠ぺいしてしまったことが、今日の核の問題につな
がっているということもよく分かり、二重の罪があると
思った。それに対して、ものすごい重圧をのりこえて
「原爆は人間にとって何か」という大きな視野で運動を
広げてきた被爆者の方のすごさがとても対称的だと思った。
山口仙二さんが語る中で心が通じたと感じ、自分をさら
け出すことができたという話がとても感動的だった。
受けとる人がいてくれると、自分を出すことができると
いうのは、いろんなことに通じると思った。まだ、自分
にもできることはいろいろあると感じた。

 

■原水爆禁止世界大会のもとになった運動が、一般の
主婦の運動から始まったということを知りました。
メキシコ会議でも1時間半にわたり被爆証言のセッシ
ョンがおこなわれたことで、核兵器禁止条約につなが
っていったことがわかりました。被爆者の方の辛い思
いやそれを乗り越えて生きておられる強さが世界の人々
を動かしたのだと思います。

■今日も感動して心が震えました。被爆者が、報道規制
や差別、偏見などにより、被爆の事実を語れなかった
空白の10年は、被爆したという苦しみだけでない二重
三重の苦しみを与えられたんだと思いました。さらに、
アメリカは「広島長崎の人は、みんな死んでしまった」
などといううそをついたり、核戦略を用いたり…。彼ら
は被爆者に向き合わず、さらに戦史にも向き合っていな
いんだなと思いました。一方で被爆者は、悲しみや苦しみ、
つらさ、怒りなどの気持ちを反核運動にたくし、自分の
生き方にしていった。「原爆をけしさることも、にげる
こともできないとすれば、それに立ち向かい、それと
たたかうことでしか生きようがない」。この言葉に胸を
うたれました。本当の平和を実現させることってこう
いうことなんだと思いました。悲しみをのりこえて、
過去のつらい事実と向きあう。正直、今のアメリカや
日本はまだまだその途上にあると思いました。世界が、
前向きに核をなくすことを考えれば必ず実現できると
思います。被爆者にとっての核廃絶運動は、彼らの
生きる源なんですね。生きる希望をもち今まで生き
つづけてきたヒバクシャに、世界で核兵器ゼロという
本当の希望を実現したいと思いました。