長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

Zoom講演の反応。

先月21日の京都民医連管理者研修の
参加者レポートが、送られてきた。

初のZOOM講演で当日の反応はさっぱりわかりませんでしたが、
全体的にとても高評価だったとのこと(主催者の方いわく)。
レポート内容読んでも、それぞれが考え、
受けとめていただいたみたいで、良かったです。
内容は「ものの見方・考え方」でしたが、相方の話を中心に、
具体的経験話に比重を置いたのもよかったのかもしれません。
ZOOMも意外といけるか?(笑)

何人かの感想を紹介します。

 

■長久啓太氏の講演を聞き、とにかく驚く事ばかりでした。まず思った事はもし自分だったら家族の為に長久氏の行ってこられた事が同じように出来るのであろうか?という事でした。ALSという病気と向き合い、共存されながら悪戦苦闘もされていると思われますが病気を受け入れ、なおかつ今まで通りの趣味である旅行に行かれている事を聞き、夫婦間の信頼関係もそうですし、何より他者の助けもありつつも簡単に実行出来る事ではないと思いますが、「最初から無理、出来ない」と否定的な考えではなく、どうすれば出来るのだろうと前向きなポジティブな考えに今の自分の職場での入居者様への接し方に対し、重度化の入居者様の外出計画等どうしても今のADLでは無理じゃないかと何も行っていないのに「出来ない」と決めつけてしまっていた自分がとても恥ずかしく思いました。スカイリフト等見たことも聞いた事もない機器があったり、自分達だけではどうにもならないかもしれないが補助機器を使用する事で「出来る事の幅」が広がり、無理だと思っていた可能性の幅が広がり、今以上に入居者様に楽しんで頂ける事が増えるのでは?と思わせて頂ける講演でした。

■検査入院時の話で、「医療者は患者さんをスーパーの魚の切り身のように思ってしまっている」と言うことが、当事業所職員にも当てはまるところがある様に思った。実際の生活が見えない、又は見ようとしない職員、地域に出ることを嫌う職員など、患者・利用者を生活の場で捉えるかどうかが他の医療機関と違う民医連の優位性だと思う。また、ALSの奥さんに対する実際の介護の話の中で、人の尊厳と言う問題を考えさせられた。社会の中で一個人の人権を守ること、人権感覚を研ぎすますことが職員にとっても大切で、日常業務の中で人権意識をどの様に育てていくかが課題だと思った。最後に、会議運営については、法人内の会議の時間短く、なかなか職員全員が発言する機会が作れない下で、それぞれが自由に意見を出し合えるように改善する必要があることを痛感した。

■日常の業務の中では、忘れがちな人間関係の強弱について考えさせられる機会となった。管理者=強、一般職員=弱、この形は自然と成り立っているが、この強弱が人間関係に悪影響を与えたり、人権侵害にまで発展することを再認識した。風通しの良い職場つくりにおいては、さまざまな意見に耳を傾け、自由な意見を出せる場を創り出せる雰囲気つくりが重要であることを肝に銘じながら、今後の業務に生かしていきたいと思いました。大変興味深い講義を聞けて良かったです。

■常識はその場にいる人で作られ、文化となり固定されていく。「慣れる」力は大事だが慣れていいことと、慣れてはいけなこと(立ちどまるべきこと)がある、という部分が印象的でした。自分の部署や業務でも権利侵害が一般化していないか振り返る姿勢が大事だと思いました。長久先生は社会資源を上手く活用されており、またそのことを学習講師などで周知していかれ、人のつながりをとても大事にされている点が心に残りました。介護者側に肉体的、精神的にゆとりがなければ辛い「ワンオペ介護」を、多くの人の「手」を借りて、無理せず続けられるような模索・努力でレスパイトひとり旅まで実現されていることがすばらしく、今後もいろんな場で経験を広めていただきたいと思いました。「自分もしんどいけれども、相手の方がしんどいのは言うまでもない。」と思いやりをもてるような信頼関係、早めの表出が本当の大切なんですね。

■民医連新聞のエッセイは毎回読んでいて、そねさん、長久さん、仲間の皆さんから、たくさんの元気をいただいていました。文章から感性豊かで魅力的なお人柄が伝わり、「人間らしく生きる、私らしく生きる」ことは難しい、けど全然諦めることではないのだな、大事なことは何かをちゃんと考えながら生きている姿は素敵だな・・と思っておりました。また、日々の2 人の生活や社会資源の利用の実際などはどうなのだろうと考えていました。ですから、今回長久さんのお話は、とても興味深くお聞きできました。楽なことではない介護生活、「お互いの信頼関係がいちばん大事」「しんどいを表出できるかどうか」など介護者としての想いは、なるほど自身の子育てや家族の介護でも共感するところです。心に残るのはやはり、現実のありようを照らす一つの鏡として、(民医連の)理念や価値観があるということでしょうか。立ち止まって問い続ける、前向きな葛藤は現実とのギャップから生まれることについて、新鮮に受け止めることができました。また、ため口の医療者、ケアをしない医療者、生活背景を知らずに病状説明をする医療者‥本当にそれが現実です。慣れてはいけないことに慣れてはいけないという言葉にも、とても共感しました。

■「尊厳をめぐって、せめぎあいの時代」で「問われているのは私たちの人権感覚」という問いが重くもあり私たち医療者にとっては重要。人を「患者」「利用者」というひとくくりに見ていないか、また仕事する側の都合に合わせようとしていないか、を常に問いかける必要がある。スタッフが、「(忙しくて)ケアできない」と嘆き師長が悩む場面は何時の時代も変わっていないように思う。しかし、患者にとって必要なケアをしていることには間違いがなく、何のために誰のためにやっているのか目的を見失い何か追われて仕事をしている。長久先生が、「介護は精神的にも肉体的にも余裕がなければ辛い」と書かれている。現場の看護師にどのように余裕を持たせるのか。それは時間だけではなく、物事の本質をとらえること、社会を俯瞰する力をつけ、そして患者さんの背景を掴みコミットすること。その力を引き出すことが管理者の役割である。発信し続けることをあきらめない、良質なコンフリクト体験を作ることを目指したいと思う。ゆらぐことを成長の糧にしていきたい。医療者との価値の対立例の「おむつ使わないのはわがまま?事件」は師長間で共有しました。

■長久啓太先生のお話を聞くのは2回目でした。『人権の核心は尊厳』『尊厳とは人間として尊重すること』『不当・理不尽なことになれない自分を』など心に残る言葉がありました。自分自身の考えなどを表現する場や機会をはく奪されてきた若い世代が安心して意見が言える場と人間関係を構築する役割が部署管理者にあることを再認識できました。学びの場が安心して意見が言える場になっているかなど、自問自答しながらも部署管理者としての役割を果たす努力続けていきたいと思いました。『1対1の対話を優先課題に』との事だったので、忙しさにかまけて先送りがちであった課員の面接に11 月中に取り組みます!

■不治の病に侵されながら、とても前向きな生き方に心を振るわせられました。人に言えない苦悩はあるでしょうが、あえてオープンにすることにより、多くの人との関わりを持つことが生きがいに結びついているのでしょうか。今回は困っている患者さんのニーズをどう捉えて、それをどのように実現していくのか、課題を突きつけられた気がします。自治体によって受けられる介護サービスや福祉サービスは違う。また患者にはそのような知識が全くない人がほとんどだと思われる。そのような状況下で、専門家であるはずの我々民医連職員が、どれだけ行政の力を引き出して患者により良い生活を送ってもらえるか。一人一人の患者の人権を守り、どう寄り添っていくか。そしてどうすればその人らしく過ごせていけるか。今回の講義の課題はその実現ではないでしょうか。

■大変貴重な講演ありがとうございました。最初にインパクトを受けたのは、大学病院での“人”として見ていない。ということでした。確かにそれに近い(同じ?)状況を見ることがよくあります。たとえばご本人の意思決定について、息子様に意見をいただく場面で、医師はどうされますか?本人の意思を聞かずに息子様の意思を聞いている。人権はないですね。さらに看護師もカルテには“様”をいっぱいつけていますが、実際は○○ちゃんと呼んでいることがあります。職場風土でしょうか、管理者に問われる一面であります。人権、尊厳の意味が具体的によくわかりました。おむつを使うことがどんなことなのかを、改めてわかりました。イチローカワチさんの上流で何が起こっているのかを見に行く暇がない、しかしそこをなんとかしないと、根本的解決にはならない。その通りですが・・・自分が今もそれができていないということは、他人任せということなのだと認識しています。自分の苦労されたことをさらりとお話しされて、すごい人だと思いました。これからも頑張ってほしいと思います

■相方のそねさんとの関わりの中で、自立観やその人らしさの追求、生活へのアプローチの重要性を熱く語られたが、まさしく現実と理想のギャップの中でゆらぎながらも開拓し進まれている姿に胸がいっぱいになった。果たして自分なら長久さんやそねさんのように生きられるだろうか、我が事として真剣に考える機会を与えて頂いたと思う。この間あらゆる臨床場面で、民医連職員としての根幹となるSDHの考え方や実践を学んできたが、改めて、上流へのアプローチと情報社会の中での間接認識(加工情報)の捉え方と育て方の難しさと必要性を学べた。また有形無形の影響力のある管理者として民主主義的感性を磨く努力をする事と、ひとり一人が安心して表現が出来る主体性のある職場を創っていきたいと強く感じた。

■最も印象に残ったのは『自立観』についてです。介護の現場では、必ず援助者が考え苦慮する課題でもあります。その人にとっての自立とは一体何か?人の手を借りないことが自立なのか?と問う場面、集団で検討する機会を十分に持つことがいかに大切かあらためて感じました。その先に、国や自治体の財政負担、社会保障制度・予算の脆弱さがあることも理解できました。もう一つ印象に残ったのは、『不当・理不尽なことに慣れない自分を』というキーワードです。今こうだから仕方ない、現状でなんとか考えなければと目の前の現象を解決することに力を注いでいる様な気がします。「尊厳」「誰も見捨てない」という理念に対する現実は矛盾の塊で、そのことに慣れてしまうと前進しないという言葉がとても印象的でした。『ゆらぐ』ことができる重要さも感じました。

■オムツの話は、「そうそう、この話は奥が深いよね」と思いながら聞いていました。民医連新聞に投稿されたときも思ったのですが、確かにオムツをつけといた方が、周囲は楽になるかもしれない。でも自己決定の尊重は?むしろ医療や介護に人もお金もかけないことのほうが問題ではないか?と思いました。またこの自治体職員だけでなく、そう思っている人の方が多いのではないかとも思います。周りに迷惑をかけてはいけない、自分のことは自分でする、そんなことを言われ続けてきた社会では、民医連職員でも、自治体職員のように思っている人も多いのではないか。そんな時に何故?ちょっとそれでいいの?と思える職員を多くしていかなくてはと思います。一人ひとりの職員の意見を尊重する上でも、やはり人権感覚の欠如した言動には、指摘をして前向きに改善してもらうことが管理者には必要と思います。

■以前から学びたいと希望していた長久先生の講義に感動しました。私は20 代で民医連に就職し京都の学習協、当時の労働学校に通い、そこで「ものの見方・考え方」を仲間と共に学びました。民医連事業所との関りがなかった私にとって、社会の仕組みが看護労働と結びついている事が解り、職場の医療活動や未来を語るという事がとても楽しかった事を、講義を聞きながら思い起こせ胸が熱くなりました。そして民医連職員として働くことができ良かったと感じています。3 部構成の分かりやすい講義の中で、上流への認識をどう作るのかという部分を振り返りました。情報があふれる中、それを取捨選択するスキルは「自分の頭で考え確認するスキル」です。社会認識をみがくためには、人の命や尊厳に深くかかわる情報を得る時がチャンスだという事がとても印象に残りました。1 部で伝えて頂いた「立ちどまり、問う力」を考えた時、現状を常識として捉え伝えていないか、今一度、組織の「理念」や「価値観」に照らし合わせ語る時間を大切にしたいと思います。