長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

練習が足りないだけ

『ヘルシンキ 生活の練習』(朴沙羅、筑摩書房、2021年11月)を読了。

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日本で生活していた社会学者が、
フィンランドのヘルシンキに移住してからの生活記録と考察。
読みやすいタッチで、お子さんとのやりとりも関西弁で面白い。

タイトルの「生活の練習」の意味が、とても納得のいく読後感。

で、ふと思った。これってまさに活動にもあてはまる! と。
「〇〇が苦手」「わたしはこういう性格で」
「自分の能力不足を感じる…」など、
活動がうまくいかないことを「自分の抱える問題」
として処理してしまう傾向、とても感じる。

ダンジテそうじゃない! 練習が足りないだけ!

いやー、これってすばらしいワードだな。
練習が足りないだけであれば、練習する機会を増やせばいいし、
その機会を保障するべき「運動・組織の課題」となる。

関連して、来年考えている企画に結びつくナイスアイデアも
思いついてしまった。読書から得られるヒントって、ほんと無限大。

以下は自分用のメモ。

「クマの面談を受けたときは、『正直さ』『忍耐力』『勇気』『感謝』『謙虚さ』『共感』『自己規律』などなどを『才能』ではなく『スキル』と取ることについて、なんとなく狐につままれたような気分だった。でも、数日経つとなんとなく納得してきた。眼から鱗が落ちるような感じだった。私は、思いやりや根気や好奇心や感受性といったものは、性格や性質だと思ってきた。けれどもそれらは、どうも子どもたちの通う保育園では、練習すべき、あるいは練習することが可能な技術だと考えられている」(120P)

「これから練習の必要なスキルがあれば、それらが話題になるだけだ。それも、『できていない』『能力がない』『才能がない』と評価されるのではないし、目標達成に向けて努力しているか否かすら、おそらく問題にされていない。もっとあっさりと『ここはもうちょっと練習しましょう』と言われるだろう」(121P)

「私は根気がないのを子供の頃から気にしている。これが私の性格でないなら、『根気がない』という『性質』は、単に『何かを続けるスキルに欠けている』ということになる。そして、そのスキルを身につける必要があると感じるなら、練習する機会を増やせばいいことになる。なんと盛り上がりに欠ける話だろう。でも『あなたはすごい』だの『お前はダメだ』だの評価されるより、淡々と『これを練習しましょう(したければ)』と言われるほうが、気が楽ではないだろうか」(121P)

「そもそもあの先生たちは『いいところ』対『悪いところ』という発想を取っていないのだ。『練習が足りていること』と『練習が足りていないこと』があるだけなのだ」(128P)

「個々人の振る舞いや人格を問題にすると、その問題を解決するのは個々人に任される。でも、技術や、個々人に共通した事柄に注目すると、自分も(おそらくは誰かと一緒に)それを解決したり練習したりできる」(268P)