長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

数字の裏には、要約できない人生が張り付いている

60分de名著の最終講義に向け、ふりだしに戻って、
第1講座で取り上げた『まとまらない言葉を生きる』
(荒井祐樹、柏書房)を読み返している。
いい本だなあと改めて感じる。今回のヒット箇所を自分用にメモしておく。

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「パンデミックに限らず、大災害は人間を数字(死亡者数・重傷者数・陽性確認者数など)に置き換える。数字化(データ化)というのは究極の『要約』かもしれない。非常時には『いま世界はどんな状況なのか』を正確に把握しなければならないから、どうしても人間をデータ化する必要がある。そうした情報を収集・解析するために、高度な技術を持つ専門家たちが今日も身を削って奮闘してくれている。でも、その数字はあくまで『うまく言葉にまとめられない人生を生きる1人ひとり』を置き換えたものだ。いま世界全体が同じウイルスに苦しめられているけれど、その苦しみの内実はそれぞれ違う。日々更新される数字の裏には、『要約』なんかできない人生が張り付いていることを忘れてはならない」(251~252P)

「人が抱くささやかな願いに、理屈や理由が要るのだろうか。必要性を説明して世間に認めてもらえなければ、人は何かを『ささやかに願う』こともできないだろうか。こうした論調に抗うのは、意外にむずかしい。『ささやかな願い』は『ささやか』なだけに、それを守るために闘うよりも、諦めてやり過ごしてしまう方が楽だからだ。でも、こうした小さな諦めが積み重なった社会は、どうなっていくのだろう」(160P)

「忙しい人たちには、『そもそも論』は好かれない。むしろ嫌われる。例えば、ぼくがいる教育現場では毎日が不測の事態の連続。そんな中で全力を尽くしているから、『そもそも~』なんて言われると、『そりゃそうだけど、いまそれを言っても仕方なくない!?』となる。でも、『そもそも論』は大きな方向性を誤らないために必要だ。これを見失った現場の努力は、時に虚しいほど的外れになる。…(略)だから、まっとうに『そもそも~』と蒸し返せる人が、社会に一定数いた方が良い』(150~151P)