長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

買物にでかける

きのうは介護休みの1日。
相方と相方の妹さんと、岡山のイオンへ買い物に。
ランチは揚げたて天ぷらの定食。絶品のうまさ。

その後メガネやプレゼントを買いにいくも、
目ぼしいものなし。
代わりに夏服や靴下、一輪挿しの花瓶を購入。
最後にGODIVAのチョコソフトをペロリ。
気分転換になったよう。

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平日でもまあまあの人。
騒々しいからぼくはイオンとか苦手なんですが、
エレベーターの広さとか、段差がいっさいないとか、
バリアフリー面では申し分ないので、
お出かけは安心なんですよね。

訪問看護師、万引き、人が病気で、部長、職場のハラ

最近読み終えた本。
あんまり難しい本読んでませんね。


『訪問看護師ががんになって知った「生」と「死」のゆらぎ』
         (川越博美、日本看護協会出版会、2017年)

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ソワニエ読書日記6冊目。
白血病となった著者の体験と、訪問看護の実践と模索。
わが家も在宅ケア真っ最中なので、わかるなあ~という部分も。


『万引き家族』(是枝裕和、宝島社、2018年6月)

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映画館に行く時間がとれるか微妙なので、小説読んだ。
吸い込まれるように読んだ。
表層的な「常識」「善悪」「家族像」をゆさぶる物語。
細やかな生活描写。あきらめや葛藤、欠乏への眼差し。
是枝監督の人間をみる優しさ。


『人が病気で死ぬワケを考えてみた~ねじ子の医療絵図』
          (森皆ねじ子、主婦と生活社、2014年)

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人はなぜ病気で死ぬのか。
死因の歴史的変遷、感染症、ガン、生活習慣病を、
漫画と文章入り交じりなおもしろ解説で。
体のなかの変化がわかりやすく!ユニーク!
ソワニエ読書日記7冊目。


『部長、その恋愛はセクハラです!』(牟田和恵、集英社新書、2013年)

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不謹慎な言い方だが、めちゃ面白い本。
おなじセクハラ事実なのに
ハラッサー男性と被害女性の認識のズレ。
恋愛とセクハラの近い距離。
セクハラのわかりにくさやグレーゾーンの構造的理解。
あっという間の一気読み。


『職場のハラスメント~なぜ起こり、どう対処すべきか』
            (大和田敢太、中公新書、2018年2月)

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ハラスメント学習会の予習本。包括的に学べます。
日本には、ハラスメントを防止し規制する法律がない。
制定がのぞまれます。
ハラスメントを個人問題とせず、
社会・職場の問題としてつかむ大事さ。

ハラスメントの学習会

昨夜(11日)は、
倉敷医療生協労組の月イチ有志学習会の4回目。
それ、ハラスメントです!」がテーマ。

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先月参加された方から、
つぎはハラスメントを学びたいと要望が。
で、今日その方の職場実態を聞くと、典型的なパワハラで。
人権侵害であるハラスメントにどう向き合うかは、
労働組合や労働者が試されてる課題と痛感しました。

ハラスメントを詳細にガッツリ学ぶというよりは、
意見交換をメインにした学習会でした。

ごく簡単なレジュメは、以下。

1。なぜ「ハラスメント」を学びたいと?
 それぞれの体験なども交流できれば。

2。職場のハラスメント
 ◇大和田敢太氏のハラスメント定義

  「労働者に対して、精神的あるいは肉体的な影響を
  与える言動や措置・義務によって、人格や尊厳を侵
  害し、労働条件を劣悪化しあるいは労働環境を毀損
  する目的あるいは効果を有する行為や事実」

 ◇個人的な問題として処理されてきた従来の「いじめ」
  から、社会や職場の構造的な問題・課題である「ハラ
  スメント」という考え方に変わってきた。
 ◇認定にあたっては、加害者側の「意思・目的」は原則
  考慮外。「行為や事実」で判断。
 ◇労働局への相談でもっとも多いのがハラスメント事例
 ◇「○○ハラ」と細分化してハラスメントに名称をつけているのは日本だけ
 ◇したがって、言葉の用途方や定義もかなりバラつきがある
 ◇ハラスメントを包括的にとらえ防止したり
  規制する法律がないのが日本の現状
 ◇「国際労働機関(ILO)総会は8日、職場でのセクハラを
  含むハラスメントをなくすため、拘束力を持つ条約を制定す
  べきだとした委員会報告を採択した。報告はあらゆる形態の
  暴力とハラスメント禁止を明記。世界各地で性被害を告発す
  る「#MeToo」(「私も」の意)運動が広がる中、国際
  社会は職場でのセクハラ全面禁止に踏み出す」(毎日新聞6月8日)

■参考文献
 ・『それ、パワハラです~何がアウトで、何がセーフか』
  (笹山尚人、光文社新書、2012年)
 ・『部長、その恋愛はセクハラです!』
  (牟田和恵、集英社新書、2013年)
 ・『職場のハラスメント~なぜ起こり、どう対処すべきか』
  (大和田敢太、中公新書、2018年)


以下、何人かの感想文です。

■久しぶりに、いろんな方の話がきけました。すこし
力がわきました。

■ハラスメントについて色々話が出来て個々の考え方
もそれぞれあるなと思いました。意見交流会は勉強に
なりました。職場での悩みを聞いてもらえて、やはり
ハラスメントだと再認識できて、今後の対応も考えれ
て少しは前向きに考えられたような気がします。1人
1人が、もっと意識を持って言えるようになる職場に
なれば良いけど、今の状況ではほぼ無理なんだろうな
と・・・。

■交流のなかで実際にリアルな話をきいて、びっくり
しました。ハラスメントの定義について系統的に学ぶ
ことができました。ハラスメントのない職場や社会の
ために、しっかり学んで広げていかないといけないと
思います。

■ハラスメントがどんなものか知ることができました。
他の人のことを考えたり、思いやりをもって働けるよ
うな心の余裕が必要だと思いました。

学びあう場のつくり方~個人の尊厳と学習運動

(労働者教育協会第58回総会<6/10>での発言内容です)


 岡山県学習協で専従の事務局長をしています、
長久です。協会では常任理事もさせていただい
ています。よろしくお願いいたします。

 発言テーマは「学びあう場のつくり方―個人
の尊厳と学習運動」としました。10月の全国
学習交流集会in長野で、同じテーマで講演をさ
せていだく予定です。このテーマでの私の問題
意識や実践を紹介させていただきます。

 個人の尊厳とは、いうまでもなく、憲法がも
っとも大事にしている価値です。1人ひとりが、
個として、そして人間として尊重されることと
理解をしています。
 先日、岡山県高等学校教職員組合の憲法学習
会に呼ばれてお話をする機会があったのですが、
憲法の情勢問題よりも、力を入れて強調したの
は、いま学校現場や教育方法に、憲法的価値が
あるだろうか、ということです。成績や能力、
あるいは学校や教師への従順さというものさし
で、生徒1人ひとりが評価され、選別され、競
争させられています。
 そして、学校空間のなかで対話があるでしょ
うかと。対話がないところに、民主主義は育ち
ません。人と人とが尊重しあう関係はつくられ
ないと思うのです。対話を生み出すには、自分
の意見を自由に、安心して表出できる人と人と
の関係性がなければなりません。それが学校空
間にあるだろうか、と。教師と教師、生徒と生
徒、そして教師と生徒が、自由に意見をかわし、
ともに学びあい、育ちあう関係性こそが、人間
の教育に値すると思います。
 これはたんに学校現場だけの問題ではなく、
安倍政権がつくりだした分断社会への対峙方法
でもあります。違う意見や考えの人間とは交わ
らないし排除する、弱いものへの無慈悲な抑圧
と弾圧、これが安倍政権です。そうした状況に
対峙するために、自分のいる空間や人間関係の
なかで、憲法的価値を育て、取り戻すことが、
大事な課題です。岡山高教組の講演では、その
役割を担う大きな器が労働組合ではないか、と
いう問題提起をしました。

 憲法的価値を浸透させていくには、草の根か
ら対話が生まれる場をつくり、組織することで
す。たとえば職場では今、対話がとても少なく
なっています。生活や仕事の問題を自由に語り
合えているでしょうか。他者との対話を通じて、
私たちは自分の考えを相対化できるし、一致す
るところも見つけ出すことができます。相互理
解に欠かせません。また自分や仲間の育ちをう
ながすのも、「私の意見を表明する」という過
程を通じてだと思います。対話を通じた民主主
義は、成長のプロセスです。職場で自由な対話
やコミュニケーションが奪われているのだとし
たら、労働組合や、私たちの学習運動の場で、
それを取り戻していくしかありません。
 この課題を、学習運動の「学びあう場」に引
きつけてみると、私たちの運動も、よりいっそ
うの工夫や模索が求められていると思います。
学習運動の議論では、何を学ぶことが大事か、
その中身についての議論は比較的されています
が、学習課題をどのように学ぶのか、参加者ど
うしの対話やコミュニケーションをいかに作り
出すか、そのことを通じて学びあいの質を高め
る技法については、議論や経験交流が足りてい
ないように思います。

 岡山労働学校での経験をご紹介します。岡山
労働学校では、ずっと以前から、受講生どうし
の関係性の質が、学びの質を高めることを実感
的につかみ、それをうながす仕掛けをカリキュ
ラムやスケジュールのなかに組み込んできまし
た。
 たとえば、最初の第1回目の集まりで何をす
るか。1回目ですので、みな緊張ぎみです。初
めて労働学校に参加してくれる人もいます。な
かには知り合いが誰もいないのに、参加してく
れる方もいます。つまり人間関係がまだまった
くない、あるいは硬い雰囲気なのです。そこで、
いきなり講義をガーンと行うのではなく、まず
参加者どうしの交流を行います。誰とでも会話
がはずむ「偏愛自己紹介交流」というものを毎
期やっていますが、これで一気に会場の雰囲気
が変わります。いろいろおしゃべりをするので、
自分もこの場をつくっている一員だという実感
も得られやすくなります。こうした、学習会の
導入部分をどうするか、全体のスケジュールを
どう組むのかという問題は、たとえ単発の学習
会であっても、すぐれて重要かつ思想的な問題
でもあると私はとらえています。
 また、労働組合や市民運動などの学習会で、
講義を聞いて質疑応答して終わり、発言するの
はごく一部の役員だけ、というものを私はたく
さん経験してきました。参加者はまったく受動
的で、講義を聞いて帰るだけです。ひどい場合
には感想文さえない。いったいなんのための学
習会でしょうか。学習会が成功したのかどうか
の判断をどうやってするのでしょうか。労働組
合も、さまざまな運動団体も、大きな敵とたた
かっています。1人ひとりの構成員が力をつけ
なければ、とても闘えないのです。なのに、参
加者はいつまでたってもお客さん。もちろん学
習内容にもよりますが、双方向や対話を交えた
学びの場を、私たちは意識的につくりだしてい
かなくてはならないし、その技術的工夫が必要
だと感じています。

 岡山労働学校では、始まる前に音楽を流して
雰囲気を明るくしたり、講義の前の15分間受
講生にしゃべってもらうコーナーをつくったり、
グループ討論の人数や配置なども、細かく計算
して行っています。
 たとえば、グループ討論の人数は、何人が望
ましいとみなさんは考えるでしょうか。5人か、
6人か、7人か。何人以上になれば分割して2
つにわけますか。こんな細かいことも、じつは
理論がきちんとあります。今年に入って、ファ
シリテーションに関する本をたくさん読んだの
ですが、そこには、1つのグループが7人を超
えると、手抜きをする、つまり自分は意見交流
や議論に参加しなくてもいいやと思う人が急速
に増えると書いてあります。だからグループ討
議の基本は5人から6人だと。さらに細かく、
2人での対話のメリットデメリット、3人の場
合はどうか、4人はどうかなど、かなり緻密に
考えられ、教訓化されているなと思いました。
グループ分けの人数なんてあまり厳密に考えて
こなかった、という方も多いと思いますが、人
間の心理的な側面、若い人はディスカッション
の訓練に乏しい現状などもふまえ、さまざまな
工夫や配慮が必要で、その場その場で臨機応変
に最適の環境を整えていくことが求められてい
ます。そして経験を蓄積し、交流をしていくこ
とが大事です。
 学習会の空間づくりは、とても大事な成功の
条件です。人間は自分が思っている以上に、物
理的な影響を受けやすいのです。会場はきれい
か、明るさはどうか、机の配置はどうか、講師
との距離、座り方をどうするか。空間をデザイ
ンするのも、学びあう場をつくる主催者の責任
です。それが参加者の育ちあいをうながすので
すから。
 こういう学習会の技術的側面をなぜ強調する
かというと、発言テーマでもある、個人の尊厳
と学習運動にとって、欠かせない問題意識だか
らです。学習会の場でも、1人ひとりが尊重さ
れ、人間として学びあい、高まりあう。講師や
主催者に学習会はおまかせではなく、面倒くさ
いようでも参加者1人ひとりが学びの場づくり
に参加してもらう、このことが大事だと考えて
います。民主主義もそうですが、おまかせして
ラクをするものは、たいてい身につきません。
面倒くさくても、自らの頭で考え、対話し、新
しい視野をひらき、仲間をつくりだしていく。
これこそが、個人の尊厳がうたわれている状況
のもとでの、ふさわしい学習会のあり方だと思
います。
 なにより、そのほうが楽しいです。講師の話
を聞くものもちろん面白いけれども、それ以上
に参加者どうしの交流が楽しかった。そんな感
想をもつ人はたくさんいます。楽しいことは、
続きます。また来ようと思います。新しい創意
工夫も生まれます。憲法的価値を体感できる学
習会こそ、楽しい学習会です。

 学習運動は、伝統的に集団学習を重視し、
「学ぶ集団づくり」への目的意識をもってきた
運動体です。その意味で、その伝統を今日的に
発展させ、学びあう場の質をより高め、1人ひ
とりが輝く学習会、1人ひとりが主体者になる
学習会を、あたりまえのスタイルにしていくこ
とが求められていると思います。
 長野の全国集会では、より具体的に参加者に
問いかけをし、また参加者が楽しめる時間にし
たいと思っています。秋の魅力たっぷりの長野
に、全国からたくさんの仲間がつどい、情勢を
切りひらく主体的な力を育てあう3日間にでき
ればと思います。ともに成功のためにがんばり
ましょう。

労働者教育協会の総会に参加

きのう(10日)は朝イチの飛行機で東京へ。

9時半から労働者教育協会の
第58回総会(2日目)に参加しました。
情勢の特徴、学習運動の役割、
勤労者通信大学の取り組み、10月の長野での全国集会、
いま学びの教訓はなにか、
など、熱心に討論がされたようであります(1日目の聞いてませんが)。

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写真は、あたらしく北海道学習協の事務局長に
なられた方の発言。北海道ぜひがんばってほしいです。

私は、
「学びあう場のつくり方~個人の尊厳と学習運動」
というテーマで発言しました。
10月の全国学習交流集会in長野で同じテーマの講演をする予定で、
その問題意識をあれこれ。内容は別記事でアップします。

総会では、引き続き常任理事に選出されました。
また1年間がんばります。

終了後、
労教協主催での不破哲三氏の未来社会論の講演が
あったのですが、飛行機の時間があったので、
聞かずに帰路へ。ざんねん。

憲法25条を活かすとはどういうことか

土曜日(9日)午後は、
岡山医療生協くらしの委員連絡会総会にて
憲法25条を活かすとはどういうことか」の講演。

憲法とはなんだろう、
なぜ「生活を営む権利」を憲法はうたっているのか、
他国の憲法などにみる「生活」の人権規定、
社会保障の権利性の根拠はどこに置かれるか、
社会保障財源と再配分、
運動なくして社会保障なし、人権感覚をみがこう、
という流れ。

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最終的に60名ぐらいの参加者でした。
そして圧倒的に女性。
こういう活動に男性が少ないのも社会的な背景がありますね。
みなさん熱心に聞いていただきました。

ちょっと玄人知識として、
憲法25条1項と森戸辰男と大原孫三郎、人間裁判と社会運動も。

生活保障である社会保障財源に「生活税」である消費税をという矛盾。

年金制度が生活保障となっていない現状。

生活の自己責任からの脱出として、
歴史的に勝ち取ってきた社会保障制度。
その根底には人間の尊厳という大原則。

おかしいと異議申し立てをするにはエネルギーが必要。
織や運動のなかで発声練習を。
徹底的に「人間らしい生活」にこだわろう!
人生は1度きり!

などなど、あれこれお話しました。
みなさんの反応(笑うところで笑うなど)もすばらしく。
ありがとうございました。

人間はブレながら生きていく。

昨夜(7日)は高松にて、
香川県学習協の労働学校第4講義での講師仕事。
「ブレない生き方~ものの見方・考え方」がテーマでした。

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若い保育士さんやリハビリの青年も参加。立派。

冒頭から、人間はブレながら生きていくこと、
一直線にまっすぐのほうが危ない、とタイトルの否定から(笑)。
ブレながらも、自分の大事にする価値や
生きていく方向の座標軸をもつことだと。

哲学とは、
ゆとりがないと考えられない、
事実から出発する見方とその難しさ、
「どうせ」を克服する力、
社会認識をみがく、
などなど。

でも、まだまだ一方通行の語りだなーと
思ってしまいます。反省。
対話をしながらの講義にもっとしたいです。

ひめは今日も旅に出る(5)

「民医連新聞」での相方エッセイ5回目です。

編集部の方から、
「回を重ねるごとに、反響も大きくなってきている」
とのご連絡をいただきました。編集部を通じて、
各地の読者のみなさんから感想文も届いております。

引き続き、お読みいただければ幸いです。

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2日間の充実した学びと交流。学習運動のブロック企画。

2日(土)と3日(日)は、
広島にて、学習運動中国ブロック学習交流会。
鳥取をのぞく4県から27名が参加しました。

今回のブロック企画のテーマは、
「『廣島』と『ヒロシマ』~広島の2つの顔について考える」です。

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広島県労学協が、2011年に出版したこの本の主旨を
フィールドワークと講義で学ぼうという中身でした。


2日の1日目はまず、
平和公園内の追悼平和記念館で、
被団協事務局次長の大中伸一さんのお話。

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1945年8月6日の広島への原爆投下と実相、
被爆者とは、核兵器禁止条約まで、コンパクトに
まとめたお話でありました。大中さんは被爆2世の方です。

その後、「軍都廣島と被爆地ヒロシマの戦争遺跡」を
めぐるフィールドワークへ。約2時間の行程。
案内していただいたのは、広島労学協理事の清水章宏さん。
そう、あの清水さんです(わかる人にはわかる)。

*碑巡り・戦争遺跡ガイドは
 広島平和都市記念碑・祈りの像・旧大正屋呉服店・
 原爆の子の像・韓国人原爆犠牲者慰霊碑・納骨堂・原爆ドーム
*広島城に移動し
 聖蹟の井戸・歩兵第11連隊の碑・池田勇人銅像・大本営跡・
 護国神社・中国軍管区司令部地下作戦室

とまわりました(清水さんのFBより拝借)。

あまり多くないですが、写真を中心にご紹介。

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広島平和都市記念碑の前。天気は快晴です。ちょっと暑かった。

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原爆の子の像の前で。

さすが清水さんでありまして、
たいへん詳細で視点のたしかなガイドでした。

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平和公園から、広島城まわりへ。
こちらは、歩兵第11連隊の碑。
広島の部隊があった場所。この敷地に2000人もいたのだとか。
近代日本の早い時期に創設された部隊で、
各地を転戦した記録が碑にきざまれておりました。

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大本営跡。1894年の日清戦争のとき、
明治天皇とともに広島に大本営が移設されたのだとか。
ここで天皇が実際に暮らしていたそう。側室も連れて・・・。

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中国軍管区司令部地下作戦室。
ここでは、8月6日の原爆投下前に、
空襲警報がならなかったといわれるが、実際には
どうだったのか、の解説が。清水仮説が語られました。

ということで、写真では全箇所の紹介ができませんでしたが、
とくに広島城のあたりの「軍都であった廣島」の顔を
学ぶフィールドワークは、貴重で学ぶことの多いものでした。


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このあと、宿泊場所に移動し、
清水さんから、
「軍都廣島 軍隊が生活の中にあった時代と現代」という
テーマでの特別講演。
軍隊というものが、いかに都市のありようや人々の生活に
影響を及ぼすのかが、とてもよくわかりました。

また現在の、ありがとう自衛隊キャンペーンや、
自衛隊誘致、さまざまな動きは、
軍隊が生活の中にある世界への復帰ともいえると、
警鐘をならされたことが印象的でした。

清水さんの荷物から次々と飛び出してくる
「実際がわかるグッズ」に、参加者はびっくりの連続。
まさに清水さんにしか語れない内容の講演でした。
ありがとうございました。

1日目の企画は以上でおわり、
夕食、お風呂、さらに部屋での交流と続き、
22時半頃?には健全におひらきでした。

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翌朝。お宿からの眺め。この日も快晴!

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9時より、広島県労学協理事の橋本和正さんより、
「日本軍マレー半島華僑虐殺」のお話。
広島の歩兵第11連隊の小隊長としてマレー上陸作戦、
そしてマレー半島での華僑虐殺に関わった橋本忠氏が、
和正さんの叔父にあたる方だったそうです。
その後、BC級戦犯裁判で、死刑の判決が出、処刑されたそうです。

おじさんの経歴、華僑虐殺とは何だったのか、
BC級戦犯裁判のこと、
2012年に和正さんがマレーシアの戦跡をめぐり、中国系住民と
交流したことなどが語られました。

広島の部隊が起こした事、また身近なおじという存在が
その当事者だったこと。侵略の歴史と向きあうこと。
橋本さんの貴重なお話に、参加者は聞き入りました。

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さらにさらに、2日目の後半は、
高村よしあつさんによる「1時間でわかる弁証法」の講義。

弁証法とは何か、
弁証法は目の前の情勢やたたかいを分析する最良の道具であること、
現代日本の階級闘争について、
個人の尊厳をめぐるたたかいにふれ、弁証法的にとらえる
ものの見方の大事さを語られました。

ヘーゲル研究を蓄積されてきた高村さんならではの、
弁証法に対する強い確信と意義が参加者に伝わりました。
その後の質疑でも、活発に意見交換がされました。

ということで、
2日間の充実の学びと交流でした。
岡山からの参加者は5名と少なかったですが、
移動中よい交流もできました。

準備に尽力された地元広島のみなさん、
ほんとうにありがとうございました。

来年のブロック企画は、同じ時期に、
山口県で開催の予定です。

浜林正夫さんの著書からたくさん学びました。

一橋大学名誉教授の浜林正夫さんが亡くなられたと。
92歳。

浜林さんは学習運動にも
深く関われてこられた学者さんで、
私が『学習の友』に初めて原稿を書いた(1997年)のが、
浜林さんの『民主主義の世紀』(学習の友社)の
紹介だったので、とても思い出深い。

とくにイギリスの労働運動史や思想史の第一人者で、
たくさんのことを学ばせていただいた。
生講義は、たぶん2回ぐらい聞いたことがある。

学習の友社の本でいえば、
『物語・労働者階級の誕生』『人権の歴史と日本国憲法』
『社会を科学する』などが、とてもわかりやすく、
かつ深い学びができる好著だと思う。

新日本出版社の
『イギリス民主主義思想史』も3年ほど前に読み、感銘を受けた1冊。

ぼくみたいに、
浜林先生の著書から学んだ人は日本中でたくさんいると思う。

先生、本当にありがとうございました。

そもそも話のみがき上げ。

きのう(4日)は、
生協労組おかやまのパート部会新人研修。
午前と午後の2ラウンド。

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いつもの労働組合そもそも話ですが、
こうやって頻度高く「そもそも話」をさせてもらっていることで、
講義内容をみがく機会にもなるわけで。

参加者のみなさん感想なども聞きながら、
さらなるみがき上げを誓うのでありました。