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長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

概念の獲得と習熟(佐貫浩氏)

メモ

ふたたび佐貫浩著『学力と新自由主義』(大月書店)より。

これ、労働者教育、基礎理論教育にとっても大事な視点ので、
長いですがメモとして残しておきます。
147~148Pです。

 「習熟という問題を思考の発展ということから考えてみよう。私は、何回も繰り返す思考の中で、ある部分が自動化されていくと述べた。その自動化は、思考のより豊かな展開を支えるものであると捉えられる。第1に、先にも述べたように、無意識化の部分の蓄積が、意識化の領域をさらなる高みに引き上げるという意味で、第2に、しかしそこにとどまらず、自動化された認識が、直接高い思考を支えるものとして作用するという点で。
 いま、社会科学の概念をとりあげてみよう。民主主義、人権、資本主義、搾取、帝国主義、利潤etc。私たちはこれらの概念を駆使して思考し、コミュニケーションをおこない、考えを伝達しあっている。それらの概念は、幾度もその意味するものを学習していくなかで、次第に深い意味とイメージを持つようになり、そういう深い意味を保持したままで、ひとつの概念としていつでも想起され、応用されるようになる。さらにこれらの概念が生活感情や歴史観や価値観、正義の観念などと結合することで、個々人における価値判断基準としての能動性を持つようになる。そしてそういう概念を思考の道具として操作することで、瞬時にその概念が持っている深い意味を思考過程に組み込み、複雑かつ高度な思考を展開することができる。そういう概念の獲得は、社会科学領域の学力の重要な要素となる。
 そういう概念を使って思考し、表現するとき、その概念があらためてどういうものであるかを意識してたどり直さないという点では、その概念の内容は、いわば『自動化』されている。にもかかわらず、その概念を使用した思考の中で、必要に応じて概念の意味が再吟味され、豊富化されることもある。そういう意味で、概念を使用するとき、その概念はほとんど『自動化』されているにもかかわらず、いつでも必要に応じてその意味や規定が呼び戻され、意識的に再吟味に付されうるアクティブな状態にあると見ることができる。そう考えるなら、能動的な社会認識過程は、それまでに獲得され習熟された多くの概念に支えられているということができる。そういう概念についての習熟は、ただ言葉による概念規定を記憶することによってではなく、その概念の使用を繰り返し、生活の経験や歴史の経過や獲得した知識等々とその概念との突き合わせによる概念内容の豊富化、諸知識との関連の形成、価値意識の組み替え、等々と結びついて可能となるものであろう」