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長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

ナラティブを組織化する

「ナラティブ(ストーリーを語る)」

今日午前中の学習会ではじめてこのテーマでの問題提起をした。
ナラティブとは、ひらたくいえば
「自分自身の経験やストーリーを語ること」である。
以前、看護の本を読んで出会った言葉なのだが、
労働学校運動をつうじてその大事さはだいぶ以前から意識化していた。

自分自身のことを、気持ちの部分ふくめて、その経験や変化を語る。
これは聴く人が強く共感する部分である。
人間にはミラーニューロンという神経細胞もありその力がある。
労働学校で、どんな講師の話が参加者の反響が大きいかを考えると、
講師が大事な原則や課題だけでなく、
自分のことを語っている場合が多いのである。

もちろん、自分自身のことをやみくもに語るのではなく、
その自分の経験や物語が、じつは職場の問題や働き方、
ひいては社会情勢と関わっているということが
「浮き上がってくる」話がよい。
こういう話をするには、一定の経験や訓練が必要であるが、
誰でもできる。この「コツ」を技術化する大事さ。

岡山労働学校では過去に2回、
「こんな人に会っちゃった教室」を開催した。
まさにナラティブ的学びの教室。
でも講師まかせにせず、事前に講師との打ち合わせもきちんとする。
講師自身が「こんな経験話して参考になるのかなあ」と
思っていてもピカピカ光る原石話はたくさんある。
それを引き出すことも大事。

個人の経験やストーリーは「個人のことだから」と
あえて話をしなかったり、遠慮する傾向が強い。
だから「聴いて発掘する」作業とあわせて、
「あなたのその経験に、いろんな教訓がつまっている。
ぜひ広げたいし共有化したい」という
「ナラティブの組織化」も必要。言語化しないと埋もれていく。

また自分の経験やストーリーを語るということは、
自分の体験の意味を
あいまいにせずに確定化していく作業にもなる。
そのことを通じて自分の考えや変化の意味をより
深く思索することにもなる。普遍化にもつながる。
アウトプットすること、そして文字に残せば、
振り返りも共有化もより可能となる。

SEALDsのスピーチの新鮮さは、
「自分の生活体験や気づき」が軸にあって、
そのことと社会・政治の不条理がつながりあいながら
展開されて語られたことにあったと思う。
たんに「自分のこと」だけでない、普遍化できる語りを
自分の言葉を軸にしながら、である。これはそう簡単ではない。

ということで、
もうちょっとナラティブを運動の組織化や伝え広げる手法に
取り入れるための整理を
自分自身もしようと思った今日の学習会でした。
あ、ちなみに生協労組おかやまの新専従教室の8回目での話でした。
その後の感想交流でもより深まったと思います。
ありがとうございました。

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