長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

核ZERO講座スタートしました

きのう(22日)より、岡山県学習協主催の
「核ZERO講座」全5回(隔週木曜日)が始まりました。

昨夜は18名の参加で、4月にニューヨークで
ひらかれるNPT再検討会議の行動に
参加される方も6名参加されました。

テーマは、「8月6日ヒロシマ-被爆の実相」
ということで、約1時間ほど私が講義。
その後3つのグループに分かれて感想交流をしました。

講義内容の項目を紹介します。
*なぜ被爆の実相を学ぶのか
*被爆の実相を学び伝える視点
*実相を知る方法として
-手記・語り・原爆の絵(その「重さ」について)
*原爆はなぜ広島、長崎に落とされたのか
*1人ひとりの人間の上に、原爆が落ちてきた
*どういう人たちの上に落とされたのか
*原爆投下-そこで何が起こったのか
 (1)100万分の1秒-死の放射線
 (2)火球と熱線-100万分の1~3秒
 (3)衝撃波と爆風(~10秒)
 (4)火事嵐
 (5)「黒い雨」「黒いすす」などの放射線下降物
*爆心地の人たちの「死」について
*爆心直下、島外科病院の「あの日」
*松重美人さんが撮影した写真と手記
*建物疎開学童の悲劇
*死体処理にかんする証言
*そこに、「1人ひとりの死」「人間らしい死」はあったのか
*被爆の実相普及こそ、核兵器廃絶への最大の力


以下、参加者の感想文です(一部)。


■核兵器の「無差別性」をまず指摘されたこと、
そして、実相を知る方法として、手記や語りなどを
知ること、を指摘され、改めて、この問題の重要
さと深刻さを感じました。

■原爆の実相は何回か学んだことがありますが、
毎回聞くたびに、人間を人間ではなくする、人間
らしいあつかいをされないという死に方がとても
おそろしくつらく苦しい気持ちになります。思い出し
ながら、語る、描く作業はとても苦しい作業なのだと、
それでも語ってくれる、伝えてくれる方々の気持ち
によりそって、真摯に向き合っていきたい。そして
伝えていきたい。

■ヒロシマの被爆実相は、何度も聞いてきまし
たが、聞くたびに、胸が締めつけられる思いが
しました。私たちは、この実相を次世代につな
げるための使命感がありますが、被爆者の方々
は「思い出したくない」「つらい」という想いの方
が多いという事実を知り、どこまで深く聞くことが
出来るのか? 傷つけてしまわないだろうかと
いう気持ちにもなりました。しかし、核を廃絶に
向けて、一人ひとりの証言を聞くことで原爆の
本質を知り、亡くなられた方々の想いを引きつ
がなければならないと思いました。分かりやすい
講義をありがとうございました。

■人間ひとりひとりにおこったコトだと、今日は
改めて認識した。死体を確認できないことで、
死を受けいれられないって、つらいと思う。レスト
ハウスの地下に入った時の思いが今日よみがえった。

■先日広島に行ってきたばかりで、より分かり
やすく聞くことができました。「何万人が死んだ」
という、そのものの話なので、重さもハンパない
です。峠三吉の詩が、原爆というものをよく物語っ
ていると思いました。

■知れば知るほど、恐ろしい事実だと思いました。
学校で習う事実より濃く、もっと日本人全員が
知っていかなければいけないと思いました。

■証言者の語りたくないけど語ってきた、証言の
「重み」の一端を知ることができたように思いました。
峠三吉さんの詩が胸にささりました。「にんげん
から遠いものにされはてて」しまった人々のことを
考えるとさらにしんどくなります。「人間らしい死」も
できず、人間性を剥奪されてしまったむごさ、悲惨
さがささります。

■後半7:20頃に来たので話があまり聞けなかっ
たんですが、資料を見て読んで、自分は何も知ら
ないんだな、と感じました。広島の原爆資料館に
行った時はショックもうけましたが、時間が経つと
忘れてしまっていて、また新たに学んで理解しない
といけないな、と感じています。人が人間として
扱われなかった戦争、原爆体験など、本をたくさん
読まないといけないと思いました。

■被爆者の証言は、いつ聞いてもつらいですが、
実態をきちんと伝えてゆくには、これが一番だと
思います。広島にまた行ってゆっくりと被爆地
めぐりをしてきたい。もう一度本も読みたい。