長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

「人間裁判」の碑 朝日茂さんの命日に

きのう(14日)は、地元の「人間裁判」碑前祭に。
自宅から徒歩5分です。

朝日茂さんの命日である2月14日、毎年行っています。
今年は県外からの参加者も多くにぎやかに。

朝日茂さんが当時入院されていた病棟におられた
看護師さんの貴重なお話も聞けました。
「朝日さんは看護婦が『安静にしてくださいね』と
言うのも聞かず、たんツボを近くに置いて血痰を
はきながらも、ベッドの上でいつも本を読んだり
なにかを書いていたりしていた。その姿がとても
印象に残っている。あとですごい人だったんだと
知った」と。

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金沢大学名誉教授の井上英夫先生も。
先生は前日の総会&偲ぶ会から参加され、
お話しもいただきました。


以下、facebookに3年前に書いた記事を転載します。


明日(2/14)は、朝日訴訟(人間裁判)をたたかった、
朝日茂さんの命日です。重度の結核患者であった朝日さんが、
その命を燃やし尽くして、伝えたかったこと。それは、
「だれもがもっている人間らしく生きる権利」。
そして「権利はたたかうものの手のなかにある」ということ。
憲法25条に、命がふきこまれたたたかいでした。
いま、社会保障が根本的に変えられようとしているこのときに、
この裁判闘争から学ぶことは、大きな意味があると思っています。

朝日さんは、「学習」をたたかいの(もっと言えば生き抜くための)
エネルギーにした人でもありました。
ほんとうに、すごい人なんです。

以下、『人間裁判―朝日茂の手記』(大月書店、2004年)
からの引用です。

 「見舞いに来てくださる人がよく私に、『朝日さん、1日じゅう、
じっと寝ていたら、さぞかしたいくつでしょう』といってくださる。
が、それは私の生活の実情をよく知らないからである。私は夜が
きて日が暮れれば、早く夜が明ければよいと思うくらい、毎日毎日
が忙しいのである。
 行政訴訟を起して、巨大な国家権力を相手に闘おうとすれば、な
みたいていのことではないのである。勉強し学習しなければ、とう
てい闘うエネルギーは湧いてこないのである。政治、経済、法律、
文化と、つぎからつぎへ勉強していかなければならないことを、私
は今度の闘いを通して痛感した。いまの私の体力では、勉強するの
に大きな制約を受けるのである。じっと本を読んでいると、胸の中
がしだいに熱くなってくる。胸の侵されている病巣部に充血してく
るのであろうか。そんなあとまもなく血痰が、にじむように出てく
ることがしばしばある。私は読みかけた本を中途でやめてじっと寝る。
 このようなことがくりかえされてきたのである。血痰の出ない日は
どのくらい気分もよく、嬉しいかわからない。好きな本が読め、手紙
も思うぞんぶん書けるからである」


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