長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

「何か困っていることはありませんか?」

相方が絶大な信頼をおいている訪問リハビリのYさん。
これまでも相方の個別ニーズをよく把握され、
生活の質維持のために尽力いただいてきた。

きのうもリハビリをひととおり終えたところで、
「何か困っていることはありませんか?」の問いかけ。

これ、なかなか言えないんです。
個別ニーズをつかむためには必須の言葉ですが、
それに対応する責任がうまれます。
めんどうくさい話になるかもしれない。
単純にいって仕事が増えるわけです。

きのうも、その言葉を発したがために、
あーだこーだの話になり、15分の仕事延長…。

この言葉には、思い出があります。

相方の病名を診断した大学病院では、
いちども「何か困っていることはありませんか?」の
言葉が医療者から聞けませんでした。
個別ケアがなかったのです。
ある意味わかりやすい形で「医療者と患者」の関係性、
ケアの欠落を実感しました。

いま相方の主治医である難波玲子医師のところに
初めて訪れたとき(1年ほど前)、
診察からまもなく「いま一番困っていることは?」の
言葉がかけられました。
すごく救われた思いを感じたのを、はっきり覚えています。
「ああ、患者個人をみてくれている。この言葉を待っていたんだ」と。
難波医師への信頼はこの言葉で確定しました。

なにげない、日常の言葉です。
「困っていることは?」。
でも日本社会から、だんだんとこの言葉が消えているような気がします。
このかんの自治体対応でも、この言葉を聴くことはありませんでした。
聴くことは、責任をうみますから。
聴かなければなにも発生しません。ラクです。

ナイチンゲールは、看護を学ぶ人への書簡のなかで、
看護者が忙しくて手も頭もいっぱいいっぱいのとき、
自分のなかに真剣な目標がなければ、
いとも簡単に「自分のためだけ」の仕事になってしまう、
と指摘しています。
そのとおりだと思います。

だから「困っていることはありませんか?」の
言葉を発せられる人を、ぼくはすごいなと思うんです。