長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

ケアに満ちた、つながりあう社会に

今日(9日)も、広島民医連の研修会で
「ケアの倫理を学ぶ」をテーマに講師。
今回は前後半あわせて90分の講義で、かなりまとまった話ができそう。

思えば3年前、月刊誌『前衛』2021年5月号の
岡野八代さん(同志社大学教授)の論文
「『ケアの倫理』が政治の変革を求めている」を読んで目を見開かされて以来、
このテーマをずっと追っかけてきた。職場づくりも、労働組合活動にも、
そして何より政治や民主主義を問い直すために、
このケアの倫理は応用できるし、しなければならない。


これまでの学びと、今年に入っての講師活動の経験、
そして今日の90分講義のレジュメをつくる過程で、
ケアの倫理が「ようやく手のひらに乗ったな」という感覚がある。
これをグイグイ広げていきたい。

ところで、3年前の岡野さんの論文をいま読んでも、
「社会全体でケアが足りない」
「ケア責任を家庭に押しつけている無責任な政治」の
状況はまったく変わっていない。
そして、最近あらためて、ケアの倫理が大事にしている
「関心を向けること」「応答する責任」について考えている。

他者(あるいは自分)のニーズに関心を向けることは、
ケアの出発点であり、そもそもケアが必要であるという
認識を含んでいる(人間はそれぞれ脆弱性をもっているから)。
それはしばしば、そのニーズを理解するために
他の人や集団の立場に身を置くことを含む。
しかし、相手のことを想像する、相手の立場たつことは、
共感力や想像力、知識、そしてなにより
「相手の声に耳を傾ける」という実践が必要である。

明白にわかるニーズもあれば、把握しにくいニーズ、
表に出てこないニーズもある(たとえば言葉を発せない乳幼児や、
SOSを出すことができない立場に追い込まれている人や集団など)。
自分中心のものの見方や思い込みがあれば、
見逃してしまうニーズもある。したがって、「関心を向ける」とは、
ケアの出発点でありながら、複雑さや難しさをともなう。
それは逆にいえば、「注視すること」によって
私たちは様々な知識や能力(集中力や感受性)、
ニーズをキャッチする身体文化を育てることができるということ。
労働組合の実践もそうだと思う。職場の仲間のニーズに
「関心を向ける」ことはとても大事な活動の出発点になる。

逆に、他者に対する無関心は、
「相互依存しながら、ともに生きる」ケアの倫理と相いれない。
しかし、資本主義社会のなかで、弱肉強食の自己利益の追求が
はびこっている。「自分さえよければ」や、他者を自分の利益の
道具のように扱うことも。また自己責任論が浸透し、
「誰にも依存しないことが一人前」「他人に迷惑をかけてはいけない」
という考えを誰もが内面化しやすくなっている。
そうすると、ニーズの表明も難しくなり、
他者のニーズに対する無関心が根をはってしまう。

そもそも、他者のニーズに「耳を傾ける」ためには、
ある程度の「ゆとり」「時間」が必要だ。
これは、身近なケア関係でもいえるが、社会で日々起きている出来事も、
それをチェックするゆとりが必要である(新聞、テレビ、ネット、読書など)。
余裕がなければ関心を向けることがそもそも難しくなる。
その意味でも、労働時間短縮は、「関心を向ける」「応答する責任」を
社会全体で増やしていくためにも欠かせない課題となる。

さらにここが重要なのだけれど、ニーズが気づかれたからといって、
そのニーズが満たされるとは限らない。
誰かがそのニーズに「応える」必要がある。
そのニーズを引き受ける「責任」が欠かせないことも、
ケアの倫理のなかに含まれる(責任を負いたくないがために、
あえて「見ない」「関心を向けない」ことも…)。

「応答する責任」は、そのニーズが満たされないと
生存の危機に陥るような、乳幼児や高齢者、病人などの
ケアニーズにはもちろん当てはまるが、
社会で起きている問題(災害の被害者や、子どもの貧困など)への
視点としても、「責任」は非常に重要な概念となる。
誰がその責任を負担するのか、どのように負担の割合を配分するのか、
それが政治と民主主義を見直していく重要な視点の1つになると、
ケアの倫理は考える。

さて、総選挙である。
政治こそが、ケアの社会的な価値(有償労働の場合には報酬を決めることで)を
決定し続けている。そしてケア責任を負わない
「特権者」たちによって、ケアは低く扱われ続けている。
このかんの訪問介護の基本報酬引き下げはその顕著な例だ。

誰しもが例外なくケアされる存在であるならば、
ケアはすべての人に関わる最重要課題。どのように社会全体の
ケアを分担しあうのかを、民主主義の表舞台へひっぱりだしたい。
ケアを社会で支える法制度、資源配分(税金投入や人の配置)の
変革にむけ、知恵を出しあわなくてはならない。
ケアに満ちた、つながりあう社会をつくりたい。