このお正月は、
『杉原千畝』と『顔のないヒトラーたち』を鑑賞。
どちらもナチス・ドイツとかかわりのある映画でした。
とくに良かったのは『顔のない…』(2014年、ドイツ)です。
パンフレットを買った映画は久しぶりです。
1963年にフランクフルトで始まったアウシュヴィッツ裁判。
今からすればちょっと信じられないですが、
当時、ドイツでも収容所で何があったのかはほとんど
知られていませんでした。
そのことも、映画ではよく表現されています。
臭いものに蓋、負の歴史を蒸し返すなという社会の空気。
すべての責任をナチスに押し付け、自分たちは
関係なかったという「普通の市民」たち。
アウシュビッツの現実にぶつかっていくなかで、
そこにたたかいを挑んだ検事たちの苦闘が映画の柱です。
アウシュヴィッツの元収容者の証言により
事実が明らかになるにつれて、検事たちの葛藤や矛盾は深まっていきます。
自国の負の歴史に向きあうという特別の苦しさがわかります。
ドイツがどう過去と向き合い、
記憶の継承を行ってきたかは比較的知られていますが、
この映画はその「前史」を描いています。
この裁判自体は活字で知っていましたが、
こんな人間ドラマが凝縮していることを知り感銘を受けました。
そしてこの映画は、
日本の私たちにも重たい問いかけをしています。
おりしも「慰安婦」問題での日韓合意にゆれた年末。
過去の歴史とどう向きあうのか。
この映画は、まさに日本人こそみる必要があると感じました。
そして議論しなければなりません。
もちろんドイツと日本では
戦後の政治状況・国際環境に相違があったとはいえ、
日本は自国の裁判所では戦争犯罪人を
誰ひとりとして裁いていません。ある意味苦しんでいない。
被害の記憶継承も必要。
だけど、加害の記憶継承はあまりに不十分です。
多くのひとに観てほしい映画です。