火曜日(27日)の夜は、
もみの木保育園の月イチ職員学習会。
ものの見方・
事実から出発することはそう簡単ではな
考える力があるから間違いやすい。
認識深化の集団的
部分で一般化してしまったり、先入観や経験が
保育もそうですが、社会認識も。よい感想
以下、講義の概要。
一。「ありのままに見る」ことの難しさ
1。事実とは
◇あるとき、あるところに「起こった」もしくは
「あった」ことがらのこと。
◇正しい認識をしようと思えば、事実の確認は出発点として欠かせない
◇しかし、事実もやはり「部分」的認識から始まる。
認識を深めていく努力が大事。
2。事実を手がかりに認識を深めること(これを唯物論という)が、
じつは難しい
◇認識の誤りは、客観的事実の反映が主観の側の判断でゆがめられるから。
◇認識の過程で生まれる「決めつけ・先入観・思い込み・偏見・見落とし」
◇自己成就(じょうじゅ)予言
◇そのほうがラクだから・・・(つまり誰でも陥る危険がある)
3。事実から出発するものの見方を、哲学では「唯物論」という
◇哲学における2つの世界観
◇存在(物質的諸関係)が、意識を規定する(反作用はありながらも)
という視点
二。社会認識をどのようにつくるか
1。私たちの社会認識はどのようにつくられるか
◇自分で直接得た認識と、他者(人、メディア、本など)から
得られる認識。
◇考える時間分量
―「自分の生活や仕事のことが圧倒的」「社会や政治のことは少し」
◇社会認識―知る努力、そのための時間をつくる努力が欠かせない
2。事実をありのままに見る大切さと難しさ
◇事実と違うことも、人間は言えるし、想像できる。
事実を隠すこともできる。
■「ポスト真実」の時代に
―主体的に情報取りにいく力、メディアリテラシーが必要。
◇事実を集め検証することはたいへん。学習。調査。討論。労力がかかる。
3。集団の認識で、事実のたばを集め、認識を深めていく。
◇ひとりひとりの認識には限界がある―狭い認識を正し、広げ、深める
◇会議・ディスカッション・情報共有の場を大事に。そうした場を
たくさんつくる。
◇本や雑誌や新聞(まともな)を読むこと―社会や政治に強くなる
◇ネット、SNSも活用を。「部分情報」という前提に注意しつつ、
事実を集めるのに適す。
4。社会へのたしかな認識を―社会の担い手として育ちあう場を
◇社会のしくみを知る。動き方を知る。つまり社会科学が大事な
役割を果たす。
◇知ること学ぶことと同時に、トレーニングの必要性
◇日常の変化は目立ちにくい。視野のスケールを変えてみる(歴史を学ぶ)。
以上。
感想文をいくつか紹介。
■認識の誤りって怖い。自分の身のまわりの認識
誤りが生活や仕事に影響するのも大変だけど、
自分の社会への認識誤りが知らないうちにあぶ
ない方向へ社会が進んでいても気づけないことに
つながるのが怖いと思いました。自分の意見を
外に出す。相手のことも聞いていく。大切にした
いです。
■日常を積み重ねることのみになると、“疲れた
もの言わぬ労働者”になる。それを今回の学習で
視野を広げさせて頂いたことがありがたかった
です。新聞をとりたいと思います。
■認識のむずかしさをあらためて思いました。
1人の認識では物事が見えきれない。社会全体
が見えないなあと思いました。他者が伝える認
識が正しいかをキチンと判断できる考える力を
身につけないといけないなあと感じました。
■自分の認識だけで行動してしまうと、間違った
方向にいってしまうことが多いということ。話
しあって、他人の意見も聞き、認識を深めてい
けたらいいなと思いました。今の時代、ネット
やテレビで本当に正しい情報なのか、間違った
情報なのか、判断することが難しいなと思いま
した。正しい情報を判断する力も必要なことを
学びました。