長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

『多様性の科学』メモ

『多様性の科学 
画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織』
(マシュー・サイド著、ディスカヴァー、2021年)

この本、おもしろいわー。
まだ半分読んだところだけど、自分用のメモ。後半も楽しみだ。


「何層にも折り重なった複雑な問題の解決には、何層もの
視点が欠かせない。アメリカの偉大な心理学者フィリップ・
E・テトロックはこう言った。『視点が多様化すればするほど、
見つけられる有益な解決策の幅が広がる』。つまりカギは、
異なる視点を持つ人々を集めることだ」(36P)

「問題を理解したり解決したりするためには、そもそも
その問題が見えていてこそ、という話だ。そしてこういう
場合に欠かせないのが、多様な視点で、自分の盲点に
気づかせてくれる人々(あるいは気づかせ合える人々)が
必要なのだ。ものの見方や考え方の枠組みから飛び出すのは、
どれだけそうしたいと思っていても驚くほど難しい」(38P)

「多様性に欠ける画一的な集団は、ただパフォーマンスが
低いというだけにとどまらない。同じような人々の集団は
盲点も共通しがちだ。しかもその傾向を互いに強化してしまう。
これはときに『ミラーリング』と呼ばれる。ものの見方が
似た者同士は、まるで鏡に映したように同調し合う。そんな
環境では、不適切な判断や完全に間違った判断にも自信を
持つようになる。まわりの同意を受けて、自分がこれだと
思うことが正しいと信じてしまうのだ」(40P)

「多様性に富んだ人々が集まれば、根本的に異なる意見が
飛び出す。…(略)委員会の会合でサッカーの門外漢たちが、
それまで専門家たちが見逃していた弱点を暴き出す姿は
痛快だった。たしかに、反逆者のアイデアは却下される
ことが多かったし、激しい議論になることもあった。
しかしそれをきっかけに視点が広がって、より賢明な
解決策を導き出せることがほとんどだった」(64P)

「人は同じような考え方の仲間に囲まれていると安心する。
ものの見方が同じなら意見も合う。すると自分は正しい、
頭がいいと感じていられる。自分の意見を肯定されると、
脳内の快楽中枢が刺激されるという研究結果もある。
こうした『類は友を呼ぶ』傾向には、いわば引力のような
力があって、その集団全体を問題空間の片隅に引きずり
込んでしまう」(68P)

「『居心地の良さ』が知の追求にもたらす危険性」(68P)

「1人ひとりは賢くても、集団になると無知になることが
往々にしてある」(68P)

「皮肉なことに、彼らはみな審議委員会での討議がこれ
以上ない素晴らしい体験だったと語っている。キングと
クルーの著書には、『並外れた団結心』があったという
複数の関係者の証言が引用されている。審議委員会の
面々はミラーリングでオウム返しに同調し合い、自分たちが
正しいと信じ合った。彼らは同類たちが集まった温かい
環境にどっぷりと浸っていた。その結果、自分たちが推し
進めている人頭税は賢明な政策だと錯覚した。しかし現実は
その逆だった。彼らは互いの盲点を塹壕で取り囲み、
さらに盲目になっていただけだった」(72P)

「個人個人はどれだけ頭脳明晰でも、同じ背景を持つ者
ばかりで意思決定集団を形成すると盲目になりやすい」(74P)

「画一化の罠はどこにでも見られる。我々の社会的ネット
ワークは、経験やものの見方や信念が似た人たちでいっぱいだ。
たとえ最初は多様性に富む集団でも、そのうち主流となる
考え方に『同化』してしまうことはよくある。ジャーナリスト
のシェーン・スノウは、ある大手銀行に勤める上級管理職の
女性からショッキングな話を聞いたときのことをこう綴っている。
……銀行がせっかく雇った素晴らしい新卒の行員たち――それ
ぞれ違った背景を持ち、さまざまなアイデアに溢れた若者
たち――は、組織文化に『適応』しようと次第に型にはまって
いったという。そんな変化を見るのはつらい、と彼女は肩を
落とした。みんなはじめは独自の視点や意見を持っていたのに、
彼らの声は少しずつ聞こえなくなっていった。組織に『認め
られた考え方』に合わない声はかき消されていったのだ」(76P)

「同じ観点でしかものを考えられなければ、いくら問題その
ものをこと細かに見たところで、盲点を取り巻く壁を厚く
するだけだ。難問に挑む前に認知的多様性を実現することが
欠かせない。それで初めてミラーリングを避け、高い集合知を
得ることができる」(78P)

「この事故から見えてくるのは、『団結力』はチームにとって
重要であることは間違いないものの、それだけでは足りない
という事実だ。複雑な状況下では、たとえどれだけ互いに
献身的チームであろうと、多様な視点や意見が押しつぶされ
ている限り、あるいは重要な情報が共有されない限り、
適切な意思決定はなされない」(142P)

「これはどんな集団も直面し得る重要な問題だ。せっかく
各人が有益な情報を持っているのに(だからそもそも会議を
開くわけだが)、その情報が集団の判断材料になることはなく、
支配的なリーダーが場の流れを決めてしまう。するとメンバー
はリーダーの意見に合う情報ばかりを共有し始め、反論材料
となる情報は無意識のうちに隠蔽されて、多様性は失われる。
こうした現象は『情報カスケード』〔集団の構成員がみな
同じ判断をして一方的になだれ込んでいく現象〕と呼ばれる」(145P)

「互いに修正し合うことなく、特定の意見に同調して一方的
に流れ出すと、それがひどい間違いであっても、自分たちの
判断は正しいと信じ込むようになる。集団の意思決定に
関する専門家、キャス・サンスティーンとリード・ヘイスティ
の両氏はこう言う。『ほとんどの場合、集団の失敗は「会議
をしたにもかかわらず」ではなく「会議をしたからこそ」
起こっている。企業も、労働組合も、宗教団体も、会議に
よってたびたび破滅的な判断を下す。政府も例外ではない』」(147P)

「通常、集団にはリーダーが必要だ。リーダーが不在では、
いさかいが収まらず、決断もなされない恐れがある。しかし
リーダーが賢明な決断を下すには、その集団内で多様な
視点が共有されていてこそだ」(149P)

「たいていのチームは指揮系統が明確なほうがうまく機能する。
ヒエラルキーによって役割分担がなされ、従属者が『木』を
見て細胞の問題に取り組む間、リーダーは『森』を見ること
ができる。ヒエラルキーがなければ、チームのメンバーは
次に何をすべきかで常に言い争うことになる。これは混乱
ばかりを招く危険な状態だ。そこで我々が考慮すべきは、
ヒエラルキーと多様性のどちらを選択するかではなく、
両方のメリットをいかにして得るかだ。ガリンスキーは言う。
……たとえば飛行機の操縦や外科手術、あるいは戦争をする
かどうかといった国家的な決断に迫られた場合など、複雑な
課題に取り組む場合は、膨大なデータを集めて読み解くのと
同時に、無数の可能性も考慮する必要がある。(中略)そう
した複雑な問題に最善の判断を下すには、ヒエラルキーの
あらゆる層から意見やアイデアを引き出すこと、共有可能な
関連知識を持つ人全員から学ぶことが欠かせない」(164P)