長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

8月は、対話し、整理し、新しい1歩を。

8月になった。

今月、たくさんの人と対話をする行動計画を立てた。
今日はとある労働組合の方とランチ。
活動のこと、学習のこと、労働学校のこと。
おたがいに認識が深まり、共有される。
やはり1対1対話が大事だ。今月はあと9人と対話したい。

そして事務所の整理。
どこまでいけるかは未知数だけど、とにかく捨てまくる。
9月中旬ぐらいを目標に、少しずつ。とにかく抜本的に変える。
毎日気持ちよく仕事のできる環境に。
清潔で集まりやすく、学習会もでき、
新しいアイデアが生まれてくるような空間づくりをイメージ。

あと、あたためている構想・企画を少しずつ形にしていく。
これは5年後を見すえた最初の1歩。
学習運動の役割・あり方を更新し続ける。これも挑戦。

お盆休みはあまり取れないけど、来週、レスパイトひとり旅に。
相方とのお出かけも2日予定。
急ぐこととゆっくりすることのバランスとりながら。

本を枕にお昼寝。人間はやっぱりせかせか。

きのう(31日)は午前中介護休み。
午後2時から事務所でちょこちょこお仕事。

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本を枕に、りんはお昼寝。
外は酷暑。ねこは家でのんびりでいいですなー。

8月は少しのんびりしたいところだけど、
あれこれ目標をたててしまい、行動計画多し。がんばろう。

ぶらり、時間散歩 (第10回)

『学習の友』の時間エッセイ10回目です(8月号掲載)。


第10回「100年のスパンでみると」

 学習会でよく「100年」のスパンでものごとを
見てみよう、という話をします。今年で言えば、
100年前の1919年はどんな世界だっただろう
かと。
 まず、ILO(世界労働機関)創設。その1号条
約は「8時間労働」をかかげたものでした。それが
目標だったということは、8時間労働があたり前で
なかった時代。有給休暇もほとんどなかった。女性
参政権が確立している国は10か国ほど。1919
年にできたワイマール憲法は世界で初めて生存権を
かかげました。また世界の多くの国が植民地で、自
決権もない、そんな時代でした。
 100年間、ジグザグや紆余曲折はあったけど、
働くルール、人権、女性、平和・・・。確実に世界は前
進してきた。その原動力は、人々の闘い。だから私
たちがあきらめずに闘いつづければ、ジグザグはあ
るけれども、必ず前進する。100年後の見通しが
ある。だから歴史を学ぶと強くなれる。こんな話を
よくします。
 ついでに、「みなさんいつまで生きるって決めて
いますか? 私はもう死ぬタイミング決めています。
2080年の誕生日です。106歳です。このへん
で死にます」と。聴いている人は笑います。え、そ
んなに生きるつもり?って。やりたいことがたくさ
んあるし、人類がどこまで前進するのか見てみたい
というのが理由。「まあ、明日死ぬかもしれません
けど」とつけ加えますが。いつ死ぬか誰にもわかり
ません。でも計画するのは自由です。時間を意識で
きるのが人間なのですから。
 「やりたいことたくさんがある」のは本当で、世
界中を旅したいし、本もたくさん読みたい、時間が
あれば語学やデザイン、興味のある建築も勉強して
みたい・・・。人生300年ぐらいほしいところです。
でも、こう思い始めたのは、哲学や社会科学を学ん
で、「見通し」を持てるようになったから。人類へ
の信頼、そして自分の人生を肯定できた。だから長
生きもしたい。
 やりたいことが多すぎて、「時間が時間が!」と
あせることも。でも、若い時に出会った言葉「急ぐ
こととゆっくりすることの弁証法的統一」が、私の
時間感を豊かにしてくれました。それは次回に。

東京日帰り会議の途中に5年後の自分を想像する

きのう(29日)は5時半起床。
日課となっている体重計へ。
先週火曜日のダイエットスタートから6日間で1.25キロ減。
あまあか。
あれこれしながら8時50分に家を出て岡山空港へ。
東京日帰り会議出張。

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移動のおともは再読のコーチング本。
自分の5年後を見据えたり、会いたい人がいろいろ浮かんだり。
当面の活動の整理にも。11時10分羽田空港着。

モノレールから、浜松町駅。
ラーメン店で久しぶりにラーメンすすり、本屋を少しぶらぶら。
あれ、岩波新書の独ソ戦がない。何も買わず、御茶ノ水へ移動。

12時40分に会議場所に到着。
始まる前の雑談、選挙結果を受けての議論が面白かった。
14時40分頃会議終了
民青同盟のN副委員長と選挙結果や運動論やら話ながら御茶ノ水駅へ。

羽田空港でまた相方から頼まれたブツをゲットし、
16時30分発の飛行機で岡山へ。

帰宅し、すぐに体重計へ。
ねに自分の体重を意識するのがダイエット成功のコツのひとつ。

『自立生活運動史』 メモ

ひと月前に読んだまま、時間がとれずできなかった、
『自立生活運動史 社会変革の戦略と戦術』(中西正司、現代書簡、2014年)
の自分用メモである。

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「当事者運動のモデルとしての自立生活センター(CIL)
は、社会の最も底辺におり他人の支援がなければ地域で暮
らし続けることができない重度の身体障害者たちが、その
必要とするサービスや生活資金としての年金、手当などの
制度の整備、公共交通機関の利用権を求めて繰り広げた
30年にわたる運動の歴史をもっている。社会に障害当事
者のニーズの存在を伝え、それを国の制度にまで持ち上げ
ていく過程は、他の社会運動の担い手たちによっても参考
になることであろう。ニーズが存在する限り必ず最後には
社会の認識が変わり、そのニーズを受け止める基盤が整備
されていくものである。今ではどこの駅にでもある障害者
の乗れるエレベーターは、20年前には少数者のために、
そんな高価な設備を付けることは不可能だと、行政も一般
市民もありえないことと考えていたものである。今では障
害者が使えるようにエレベーターを設置することは社会の
義務であり、ひいては他の人の利便性も高めると一般市民
が考えるようになってきた。社会の常識は訴え続ける当事
者がいる限り10年単位で変わっていくものである。現状
に甘んじることなく変革を求める者が存在しなければ、社
会は10年経っても何も変わりはしない。『運動なきとこ
ろに変革はなし』と考える所以である。確かに、重度障害
者のための介護サービスはこの30年間でゼロから1日
24時間へと成長してきた。運動を主宰してきた当事者に
とっても驚くような成果である」(1~2P)

「障害者は障害をもっているだけで、障害当事者になるわ
けではない。『当事者主権』の中でも言われているように、
障害者としてもたされているニーズは、本来社会が当然の
こととして障害者に配慮して用意しておくべきものが用意
されていないために、障害者がそのニーズをもたされてい
る社会的問題であると気付いて、その社会を変革していこ
うと決意したときに初めて当事者となる」(10P)

「障害者運動の中の一部には感情的に爆発しながらやった
面もあるが、われわれは障害者側の意思を伝える方法とし
て、ある意味計算ずくでやっていた。これをやったら、行
政はこう出てくるだろうなという計算をして、今回の行動
の獲得目標はどこに設定するか決めて、ここまで要求して
いるが、現実に今回、落着するのはこの辺だろうというの
を計算して動いていた。そういう障害者側の意識の中に、
相手を超えるものを自分たちはもっているということを確
信させるのは、やはり交渉がうまくいく、運動がうまくい
っている結果だろうと思う。だから運動体は、いったん運
動を仕掛けたら、負けるわけにはいかない。必ず勝ってい
かないと、次の運動につながらない。参加者が増えていか
ないわけだ。1回でも負けると後が続かない。だから運動
主催者側はそこはシビアに計算して、今回はここまでやっ
ておこうという内部合意を得ながら進めていきました」
(173~174P)

「個人は組織でエンパワーされる」(186P)

「運動ってやらない限り、ニーズが顕在化しない。顕在化
しないと、そんなニーズはありませんということになって
しまって、何も起こらない」(222P)

広島に早めに入り、資料館見学からの講師仕事

金曜日(26日)も水曜日と同じく、
9時過ぎのコミュニティバスで最寄り駅に。
岡山駅9時55分発の新幹線で広島まで。
車中、『だけじゃない憲法』(種田和敏)を再読。やはりわかりやすい。

10時半過ぎ広島駅到着。
ただちに路面電車に乗り、紙屋町西で下車。
ふらふら歩き、目についたサンマルクカフェでパスタランチ。
久しぶりの炭水化物摂取(ダイエット中)。

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11時40分、平和公園へ。快晴。暑い。
すすむと、おっと、レストハウスが全面改修中。どうなるんだろ。
貴重な原爆遺構(地下が)だが。
公園をすすむと、8月6日の記念式典のための準備がすすんでいた。

そして展示がフルリニューアルされた広島平和記念資料館に。
平日なのにすごい人。
それもそのはずで、3分の2、いや4分の3は海外からの見学者。
被爆の実相が世界に広がってほしい。

展示は「あの日の実相をモノと写真、原爆の絵、
そして“そこにいた人”から伝える」内容から入り、
後半に核兵器のそもそもや歴史、広島市の歩みなど。
以前とは順番が逆に。これは良いと思います。
欲を言えば被爆者運動をもう少し伝えてほしかった。

13時20分まで資料館を見学したあと、
福島生協病院(近くのプラザが会場)に移動。
少し時間が早かったので、
生協病院待合室で広島中央保健生協の機関紙をパラパラ眺める。
その後、広島民医連の2019年度幹部養成基礎講座の2回目。

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この日は「私と民医連」のナラティブ発表、課題本交流、
憲法講義、ディスカッションという流れ。
幹部候補のみなさんなんで、
「どう伝えるか、どう職場で民医連の学びの機会をつくるか」
という視点で貫く。

17時におわり、ただちに広島駅へ。
相方から頼まれたブツをゲットし、17時52分発の新幹線で帰路に。

7月の講師活動、全16回、これにて終了!

 

東京日帰り新幹線での出張なり

きのう(24日)は、めずらしく新幹線での東京日帰り。
学習運動組織の会議でありました。

朝は介護事情により9時過ぎに自宅を出発。
コミュニティバスで最寄り駅に向かい、
9時53分発の新幹線に乗り込む。

ここまでの移動のおともは雑誌『月刊学習』8月号。
田中悠さんや川田忠明さんの論文に刺激を受けたが、
一番良かったのは2月から広島の青年運動の専従者になった
24才のワカモノの手記。
世の中、絶望するには、いい人が多すぎるってやつです。

新幹線でのおともは
『歴史戦と思想戦ー歴史問題の読み解き方』(山崎雅弘、集英社新書)。
面白く読みすすめるも、睡魔に勝てず名古屋からはほぼ寝ていた。
新横浜のあたりで持参していたおにぎりをひとつほおばる。
昼食は以上。

13時10分に東京駅到着。
すかさず御茶ノ水に移動し13時35分から遅れて会議に参加。
16時半に途中抜けし、東京駅に。
相方から頼まれたバターサンドをお土産でゲットし、
17時10分発の新幹線に。

名古屋過ぎたあたりで、『歴史戦と思想戦』を読み終える
「大日本帝国時代の『負の歴史』を否認する言説の論理構造や、
そこで多用される論理のトリック、認識の誘導などのテクニックを
わかりやすく読み解く」ことを目的とした新書。
良書であった。
馬鹿馬鹿しいと相手にしないのではなく、
事実と論理で検証する。貴重なお仕事である。

その後、お酒をちびちび飲みながら、
途中になっていた島旅エッセイを読みすすめる。
座間味島、田代島の紹介であった。

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岡山駅20時23分着。在来線に乗り換え、21時に帰宅。

林病院4年目研修で憲法と人権のそもそも

きのう(23日)は午前中、
林精神医学研究所(林病院)の4年目職員研修で
「日本国憲法と人権感覚」の講義。

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持ち時間2時間50分!

なので、ディスカッションも入れながら、
憲法のそもそも、人権とは、
上流と下流、社会・政治認識の話まで。
あれこれあれこれ。

みなさん受けとめ良かったけど、
職場で日常的にこういう場がないと、
すぐに感覚って錆びついちゃうんですよね。
そこが課題。やはり労働組合が大事。

引き続き、労働運動に寄与すべく、がんばる。

参議院選挙。
個人的にはこれまでで一番、直接の選挙活動に
さく時間がとれなかった。介護と仕事でせいいっぱい。

それでも学習会講師の立場をいかして、
選挙の話題を取り入れ、少しは貢献できたかなと思う。

が、やはり予想通りの低投票率。
結果にたいするいろいろな論評を聞いても、
この低投票率ではね、という思いがある。

個人的な意見だが、
労働運動の再生なくして、政治はなかなか変わらないと思う。
主権者としてのトレーニングがまったく積めていない。
その場を提供し、補うのが労組活動ではないかと。

ということで、
引き続き労働運動に寄与すべく、がんばる。

2回目の4年目研修。北アルプス見えず。

先週の木曜日(18日)は、午前中から
長野民医連の4年目研修2回目。早朝より移動。
松本滞在時間3時間50分のとんぼ返りで。
ものの見方講義。77名の参加。

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選挙最終盤につきホットなお話も。
「選挙に行こうと思いました」の感想文もあり!
8月も9月も、また松本に来ます。

次は北アルプスみたい!(この日は雨で見えず)

ぶらり、時間散歩 (第9回)

『学習の友』の時間エッセイ9回目です(7月号掲載)。


第9回「自分の時間は自分のもの」

 香山リカさんの『大丈夫。人間だからいろいろあって』
(新日本出版社)を読んでいて、そのとおり! と思った
ところがありました。
 「『何歳まで第一線で仕事をするか』は、人それぞれ、
自分のからだやこころと相談しながら決めればよいこと。
『あの人は私より10歳も年上なのにまだ働いている、
それに比べて私は』などと比べて引け目を感じる必要は、
まったくない。自分の定年は自分で決める」
 自分の人生の時間の使い方は、自分で決める。まっと
うな人権感覚です。
 近代思想家のひとり、ジョン・ロックによれば、「自
由」とは、「自らの適当と信ずるところにしたがって、
自分の行動を規律し、その財産と一身とを処置すること
ができ、他人の許可も他人の意志に依存することもいら
ない」状態だと規定しています(『市民政府論』)。ロ
ックの考え方は、「生命・自由・幸福追求」はまずもっ
て自分のものであり、他人に依存せず、侵害されてもい
けないものであるとし、人権思想としてアメリカ独立宣
言などに結実しています。
 自分の時間をどう「処置」するかは、自分で決められ
ることが大事です。ところが最近の日本では、「定年を
選べる」「多様な働き方」などという美辞麗句で、70
歳までの定年延長が可能になるよう企業に義務づけよう
とする動きがあります。背景には、社会保障費の削減、
年金支給開始年齢をさらに引き上げようという安倍政権
の思惑があります。年金が70歳からになれば、「定年
を自分で決める自由」はさらに狭まっていきます。現在
でも、年金だけでは生活できずにやむを得ず働いている
高齢者が多いのが現実です。
 自分の時間を他人に売る、というのが雇われて働くと
いうことです。自分の定年を自分で決めるためには、雇
われなくても生きていける生活の保障が不可欠。それは
政治の役割です。
 「人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんできめ
なくてはならない・・・。だから時間をぬすまれないよう
に守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない」
(ミヒャエル・エンデ『モモ』岩波少年文庫)。
 時間どろぼうをやっつける、参議院選挙は目前です。

8月になったら事務所の大改造したい。

今日は長野へ日帰り出張。
毎日毎日バタバタしております。

8月になったら、落ち着きます。
そしたら、事務所の整理するんだー!!
大改造したい。まじで。