ひと月前に読んだまま、時間がとれずできなかった、
『自立生活運動史 社会変革の戦略と戦術』(中西正司、現代書簡、2014年)
の自分用メモである。
「当事者運動のモデルとしての自立生活センター(CIL)
は、社会の最も底辺におり他人の支援がなければ地域で暮
らし続けることができない重度の身体障害者たちが、その
必要とするサービスや生活資金としての年金、手当などの
制度の整備、公共交通機関の利用権を求めて繰り広げた
30年にわたる運動の歴史をもっている。社会に障害当事
者のニーズの存在を伝え、それを国の制度にまで持ち上げ
ていく過程は、他の社会運動の担い手たちによっても参考
になることであろう。ニーズが存在する限り必ず最後には
社会の認識が変わり、そのニーズを受け止める基盤が整備
されていくものである。今ではどこの駅にでもある障害者
の乗れるエレベーターは、20年前には少数者のために、
そんな高価な設備を付けることは不可能だと、行政も一般
市民もありえないことと考えていたものである。今では障
害者が使えるようにエレベーターを設置することは社会の
義務であり、ひいては他の人の利便性も高めると一般市民
が考えるようになってきた。社会の常識は訴え続ける当事
者がいる限り10年単位で変わっていくものである。現状
に甘んじることなく変革を求める者が存在しなければ、社
会は10年経っても何も変わりはしない。『運動なきとこ
ろに変革はなし』と考える所以である。確かに、重度障害
者のための介護サービスはこの30年間でゼロから1日
24時間へと成長してきた。運動を主宰してきた当事者に
とっても驚くような成果である」(1~2P)
「障害者は障害をもっているだけで、障害当事者になるわ
けではない。『当事者主権』の中でも言われているように、
障害者としてもたされているニーズは、本来社会が当然の
こととして障害者に配慮して用意しておくべきものが用意
されていないために、障害者がそのニーズをもたされてい
る社会的問題であると気付いて、その社会を変革していこ
うと決意したときに初めて当事者となる」(10P)
「障害者運動の中の一部には感情的に爆発しながらやった
面もあるが、われわれは障害者側の意思を伝える方法とし
て、ある意味計算ずくでやっていた。これをやったら、行
政はこう出てくるだろうなという計算をして、今回の行動
の獲得目標はどこに設定するか決めて、ここまで要求して
いるが、現実に今回、落着するのはこの辺だろうというの
を計算して動いていた。そういう障害者側の意識の中に、
相手を超えるものを自分たちはもっているということを確
信させるのは、やはり交渉がうまくいく、運動がうまくい
っている結果だろうと思う。だから運動体は、いったん運
動を仕掛けたら、負けるわけにはいかない。必ず勝ってい
かないと、次の運動につながらない。参加者が増えていか
ないわけだ。1回でも負けると後が続かない。だから運動
主催者側はそこはシビアに計算して、今回はここまでやっ
ておこうという内部合意を得ながら進めていきました」
(173~174P)
「個人は組織でエンパワーされる」(186P)
「運動ってやらない限り、ニーズが顕在化しない。顕在化
しないと、そんなニーズはありませんということになって
しまって、何も起こらない」(222P)