昨夜(13日)は、オンライン講座「ケアの倫理を学ぶ」の3回目。
32名が参加。3回合計では約120名の方がリアルタイム参加されました。
感謝です☆
ある方が「ケアの倫理の視点で語り合い、互いに耳を傾けることによって、
自分自身や組織が変革されていくのが楽しみ」と感想文で。
本当にそうだなあと思います。
別の方が、とても長い感想を送っていただいたので、ご紹介します。以下。
32名が参加。3回合計では約120名の方がリアルタイム参加されました。
感謝です☆
ある方が「ケアの倫理の視点で語り合い、互いに耳を傾けることによって、
自分自身や組織が変革されていくのが楽しみ」と感想文で。
本当にそうだなあと思います。
別の方が、とても長い感想を送っていただいたので、ご紹介します。以下。
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人間社会の中にもケアはあふれていることに改めて気付かされます。
ケアの倫理を考えることは、
人が生きる上での「ケアのかけがえのなさ」を考えることだとつくづく思いました。
そんな、ケアが欠かせないはずの人間社会が
利潤や成果、効率を最優先する、資本主義、新自由主義、自己責任論に毒されきっており、
だからといって、そんな考えから抜け出すことができず、
どっぷり浸かり切っていることをまずは自覚する、貴重な学習の機会でした。
働いても給料が上がらないのは努力が足りないから、
と自分のせいだと思ったり、
病院や介護事業所の経営が厳しいのは、経営陣や職員の頑張りが足りないからだ、
と自分に言い聞かせる日々に疲れ切っていましたが、
そうではない!そうじゃない!!
ひとと人が関心を寄せながら互いにケアしあう職場や社会をつくるには、
人間として扱われる必要があり、もっと、ゆとりが必要だ、
自分もゆとりがなかったのだ、と気付くことができました。
一部の権力者、特権階級の人たちに搾取されていることに
怒りを感じて訴えずにおれない気持ちになりました。
どなたかが最後の交流で仰っていましたが、
分断が生まれているのも、分断が生まれるように
支配者層から仕向けられているのであり、
私たちが分断や排除し合うのではなく、
ゆとりのある社会、働き方、生き方ができるよう、
声をあげる必要があると、心から思える時間でした。
ケアの倫理で社会を眺めると、
何か行き詰っていることに風穴をあけられる気がします。
ケアの倫理で社会を眺めることを嫌がる人がいるとすれば、
それは、今の世の中を支配している人たちでしょう。
最後にお聞きしたように
ケアの倫理によって「新しい社会像」が示され、
その新しい社会像が、やがて「当たり前の社会」になるように願うばかりです。
が、願ってばかりではダメなので、
自分のできることを、
地域活動や法人経営、職場づくり、家庭の役割の中で、
しっかり発揮していきたい、と思える
元気をいただいた時間でした。ありがとうございました!
長久さんのお話しは非常に体系だっていて分かりやすく、
とても勉強になりますが、
ご自身の人生経験からあふれてくるものや、学びのご努力の賜物だと感じています。
また、今後とも学習の機会に参加させて頂きたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。