長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

「積み重ねの上に発展、前進がある」

きのう(3日)の夜は、倉敷「ものの見方・考え方講座」の
5回目、最終回でした。9名の方が参加。

またしても新しい人がおふたり☆

(倉敷医療生協労組、福祉保育労W保育園から)

 

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テーマは、「変革の哲学―唯物論と弁証法」

できるだけわかりやすく、と思いましたが、

マルクスやエンゲルスの言葉を引用すると、

すごく難しく感じるのかなーと思います。

 

たしかに古典からいきなり引用するという手法は

考え直しが必要かなと。まだまだ修行です。

 

 

そして、また倉敷地域で

こまめに小さな学習会からやっていきたいですね。

がんばります。

 

 

以下、講義の概要です。

 

 

一。変革の哲学とは?

 1。ヒューマニズムに立脚したもの

  ◇職場や地域や社会、あるいは自分や周りの人を「変えたい」「なんとかしたい」

   *その立脚点は、ヒューマニズム。日本国憲法、世界人権宣言など。

   *人間とは何か? 人間らしく生きるために不可欠な自由・権利。理想を希求。

   *その視点から、現実に目を向ける努力

    ・働きすぎ、貧困、原発、消費税、米軍基地・・・

*幸福感。1人称の幸福、2人称の幸福、3人称の幸福(時間の使い方でもある)。

 

 2。科学的な処方せんを得るために(事実を通じて本質へ。そして法則にそって実践)

  ◇「変えたい」対象(自分自身ふくめ)を、どのようにみるのか

   *社会にたいする見方(社会観)

   *政治にたいする見方(政治観)

   *人間にたいする見方(人間観)

 

  ◇「あたりまえ、こんなもの、しょうがない」から「なんとかしたい、おかしい」へ

 

「ある時代の支配的な諸理念は、常にタダ支配階級の諸理念に過ぎなかった」

                     (マルクス・エンゲルス『共産党宣言』1848年)

 

*巨大に発達したマスコミ。支配階級の価値観・考え方・神話を浸透。学校教育も。

   *「なるようにしかならない」「誰かがやってくれる」という立ち位置の認識も

   *「関係ない」「むずかしいことはわからない」というのも、ひとつのものの見方

 

   *「おかしい」と思っていても、行動するためには「仲間」「組織」が必要

   *人間というのは、つねに自分の認識の範囲で自分の行動(実践)を決める。

 

 

二。現実を「動きとつながりのなか」でとらえる―弁証法

1。世界(自然や社会、そして人間)はどのようなあり方をしているのか?

◇弁証法の見方の基本(これだけでないが)

*運動・変化→つねに動いている。「過程」としてとらえる。量から質への転化。

*発展→同じことのくり返しではない。質的変化。弁証法的否定をつうじて。

*連関→「つながり」のなかで存在する。バラバラでない。

 

     「われわれが自然あるいは人間の歴史あるいはわれわれの精神活動

を考察すると、まずわれわれの前にあらわれるのは、連関と相互作用

が無限にからみ合った姿であり、この無限のからみ合いのなかでは、

どんなものも、もとのままのもの、もとのままのところ、もとのままの状態

にとどまっているものはなく、すべてのものは運動し、変化し、生成し、

消滅している」(エンゲルス『空想から科学へ』)

 

     「世界をできあがった諸事物の複合体と見るのではなく、諸過程の複合

体と見なければならず、そこでは、見かけは固定的な事物も、われわれ

の頭脳のなかにあるその思想的模写すなわち概念におとらず、生成と

消滅のたえまない変化をとげており、この変化のうちでは、どれほど偶

然事ばかり目にはいったり、どれほど一時的な後退が生じようとも、

けっきょくは一つの前進的発展がつらぬかれているのだという偉大な

根本思想」    (エンゲルス『フォイエルバッハ論』)

 

     「現在の社会は決して固定した結晶ではなくて、変化の可能な、そして

絶えず変化の過程にある有機体」(マルクス『資本論』初版への「序言」)

 

*弁証法的でない見方を、形而上学(けいじじょうがく)ともいう

 

 

  ◇職場をみるとき、社会をみるとき、活動をみるとき、自分自身や仲間をみるとき…

   *固定的にみてしまっていないか

   *どうせ・・・という見方に陥ってないか

   *細部にとらわれすぎていないか・・・木を見て森を見ず

   *断片的にものごとをきりとって「○×」「白黒」を判断していないか

   *背景や原因を考えられず、現象に目を奪われていないか

 

 

 2。「矛盾」をとらえること―発展の芽をつかみ、育てる

  ◇ものごとの「動き方」は、ものごと内部にある矛盾の展開

   *職場、社会、活動、人間・・・矛盾(対立的なもののたたかい)をとらえる

 

     「現在(いま)とは、まだ過ぎ去っていない過去と、すでにやってきて

いる未来とがたたかい合う場だ」

(三上満『歴史のリレーランナーたちへ』旬報社)

 

「子どもは、そんなに簡単にひとすじなわでいくものではありません。

私たちが、いいつけたり注意したりすれば、すっと変わってくれる、と

いうものではないのです。(略)子ども自身を成長させるものは、子

ども自身の内部に起こる矛盾です。子どもの成長過程というのは自

分のなかに、何かある目当てをつかんでその目当てのためにがん

ばろうとする自分と、『めんどくせえや』と元にもどろうとする自分、そ

ういう自分の内部の矛盾・葛藤の長い過程なのです。新しい自分に

なろうと努力したり、古い自分が顔を出して新しくなろうとする自分を

とりくずしたり、そういうことをくり返す長い過程です。

      子ども自身のなかに、自分自身が二重にうつること、目当てが生

まれ自分の人格が二重うつしになること、これが子どもたちの成長・

発達の原動力です。私たちの仕事は、とりもなおさず、この二重写し

になることを促してやることなのです。目当てが生まれ自分が二重写

しになることは子どもたちにとって苦しく、不安なことでもあるわけです。

      そういうふうになれるだろうか、ならなくてはいけないのだ、なれる

だろうか、やっぱりだめだ、そういうことのくり返しが子どもたちのなか

に起こってくるのは当然のことなのです。子どもの内部にいまどんな

矛盾・葛藤が生まれ、どのような方向に向かって進もうとしているのか、

子どもたちの“もがき”のように見える姿のなかからも、その核心をつ

かむ努力が私たちに必要なのです」

(三上満『眠れぬ夜の教師のために』大月書店)

 

 3。弁証法的でない見方は、支配階級の利益と結びついている

 

     「形而上学の見かたは、…私たちがともすれば木だけを見て森を

見失いがちになるところから生じてくるものですが、ここで注意す

る必要があるのは、それが政治や経済の上で支配的な地位につ

いているものの利益と結びついてくるということです。つまり、木だ

けを見て森を見させないこと、現状をどこまでも安定した本質的に

不変のものであるかのように思わせることは、かれらにとってつごう

のいいことなのです」

 

   *人びとのなかに「あきらめ思想」「後向きの現実主義」を広げるには、

「変わらないもの」として現実を見せること。「行動の手段」を隠すこと。

分断と競争を持ち込むこと。

   *支配階級との「ものの見方・考え方」をめぐる「たたかい」

 

 

三。「原因」をつきつめていく―唯物論

 

1。ありのままに見る決心(事実から出発し、本質・法則にせまっていく)

   ◇哲学的には唯物論という

 

     「すなわち、現実の世界-自然および歴史-を、どんな先入見的

な観念論的気まぐれもなしにそれら自然および歴史に近づく者の

だれにでもあらわれるままの姿で、とらえようという決心がなされ

たのであり、なんら空想的な関連においてではなく、それ自体の関

連においてとらえられる事実と一致しないところの、どのような観

念論的気まぐれをも、容赦することなく犠牲にしようという決心

がなされたのである」     (エンゲルス『フォイエルバッハ論』)

 

*でも、このような見方や姿勢を「つらぬく」ことは簡単ではない。

 

   ◇くりかえしますが、「考えぬく」「調べる」「聴く」のはたいへん

    *先入観、思い込み、決めつけ、独断、偏見・・・こっちのほうがラク。

    *体験の絶対化。「以前こうだったから」。

    *すぐに「判定」をくだそうとしてしまう傾向

*人間の意識活動の過程でも、かならず観念論的な要素が入り

込んでくる

 

「ありのままの患者像を観察によって得ようとすることの難しさを

自覚することから、真の観察は始まるといってよい。観察のつど

『今、私の知覚していることは、対象の姿を真に反映しているで

あろうか』と、自問することを忘れてはならない」          

 (川島みどり『新訂 看護観察と判断』)

 

 

  ◇結果と原因をつねにあわせて認識する努力を(事実にもとづいて)

   *貧困、消費税増税、米軍基地・・・

   *なぜ活動家が少ないのか・・・

   *必要なのは、つきつめて、ねばり強く、根本から対象をとらえること(再度強調)

 

  ◇存在(物質的諸関係)が、意識を規定する

 

      「意識が生活(存在)を規定するのではなくて、生活(存在)が意識

を規定する」(マルクス、エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』)

 

   *人びとの日常生活・労働生活・人間関係が、その人の意識をつくる。

中・長期間にわたる「体験」も。ゆとりのあるなしも大事な要素。

   *なにを相談相手にしているか。マスコミの影響力絶大。どんなテレビ。

どんな新聞。どんな本。どんな情報源。どんな人間集団。

 

 

2。集団で認識することの大切さ―唯物論的態度のキモ

◇伝えあい、対象への集団的接近、討論、相談

◇集団の力で、個人の認識の限界をのりこえていく

    *対象を「ありのまま」にとらえるには、集団での認識が有効な手段となる

    *1人ひとりの認識にはつねに限界がある。事実をとらえる「狭さ」。

    *したがって、他者の認識から謙虚に学ぶことが必要。学習会、討論、聴き取り。

    *新聞、雑誌、本、・・・事実にもどづくもの。ヒューマニズムの立場にたつもの。

    *民主的な討論や、集団的な調査・分析のもとでつくられた目標や

方針は、科学的な力をもつ。

  ◇集団と唯物論、民主主義と唯物論は相性がいい

 

1人ひとりの認識の前進・発展を個人まかせにしない。集団の力で保障していく。

   *草の根からの学習運動。多様な学びの場、議論の場を。

   *学習教育活動の目的意識的追求(人、時間、お金)。計画。

 

  ◇「ものの見方」は時々メンテナンスが必要

*現象にふりまわされて、歪む、くもる

   *哲学学習、基礎理論学習は、くりかえしが大事

 

 

以上。

 

 

参加者の感想文を少し。

 

 

1つひとつの言葉は難しかったですが、物事を捉えるには

ありのままに見ることが大事でありこれは人の捉え方にも

共通する部分があると感じました。なかなか難しいことは

日々の仕事の中でも実感していますが、周りの方々の力を

借りながら物事に正面に向き合っていければと思いました。

ありがとうございました。

 

◆特に印象に残った講義は、弁証法についてでした。弁証法は

「運動・変化、発展、連関のなかでとらえる」ということでした。

これが、現実の世界をつくっているということです。今後、こういう

ものの見方、考え方で、社会や世界をとらえていきたいと思います。

 

◆日々の生活の中でしんどくなるとやはり「どうせ変わらない」

「こんなものだろう」という楽な考え方になってほしいです。

それが、支配階級の利益と結びついていることを知り、本当に

腹立たしく思いますが、そのことを人に伝えられない自分・・・

どう伝えたらいいのか・・・また相手がそのような内容について

関心をもってくれるのだろうか・・・。まだまだ、考えなければ

ならないことが多すぎます。

また、「矛盾」ということ、三上さんの本から“子どもの内部に

起こる矛盾”は、自分の中にも同様にあり、「理想に向けて

頑張ろうとする」自分と、「こんなことをしても変わらないから

やーめた」という自分がある。そんな時は、仲間が後押しして

くれるのかな。そんな仲間を増やしていけたらとも思いました。

それが質への転換となるのですものね。

 

◆「1人ひとりの認識の前進・発展を個人まかせにしない。

集団で保障していく」ことが、本当に大切です。忙しすぎる、

業務量が多い職場は「考えること」をしない(できない)で、

次の仕事へ移っていることが多々あります。時には「まちがい」

に気づかないことも。集団で確認する、点検する、考える時間を

意識的につくることが大切であり、1人ひとりを守る「力」になる

と実感しています。

 

◆初めて参加しました。ものごとは必ず動いている、その過程の

中に、今、自分がいつのだということがわかり、コツコツとした

積み重ねの上に発展、前進があり、迷いがあっても目標をもって

がんばれば大丈夫だと少し安心しました。参加してよかったです。

ありがとうございました。