1985年5月8日、
ドイツ降伏から40周年の日、
ヴァイツゼッカー大統領が
ドイツ連邦議会で演説した。
その内容の一部を、
日本版に書き直したものが、
以下の内容です。
日本の首相にこういう演説を
してほしいと切に願う8月15日。
文責はすべて長久にあります。
* * * * *
ご臨席の皆さん、
そして国民のみなさん
多くの民族が本日、
第2次世界大戦が
アジア・太平洋の地で終結を
迎えたあの日を思い
浮かべております。
そのさい、それぞれの民族は、
自らの運命に応じて、
それぞれに独自の感情を
もっております。
勝利か敗北か、
不正と外国による
支配からの解放か、
あるいはまた
あらたな隷属への移行、
(国土・民族の)分裂、
新たな同盟関係、ないしは
大がかりな権力の移動か―
1945年8月15日は、
アジア・太平洋地域において、
極めて重要な歴史的意義を
になった日であります。
(中略)
8月15日は心に刻む
ための日であります。
心に刻むというのは、
ある出来事が自らの
内面の一部となるよう、
これを信誠かつ純粋に
思い浮かべることであります。
そのためには、
われわれが真実を求めることが
大いに必要とされます。
われわれは今日、戦いと
暴力支配とのなかでたおれた
すべての人びとを哀しみの
うちに思い浮かべております。
ことに、
日本の15年にわたる侵略、
南京大虐殺や三光作戦、
強制労働で命を奪われた
1千万以上の中国の
人びとを思い浮かべます。
戦いに苦しんだすべての民族、
なかんずく朝鮮・東南アジアの
無数の死者を思い浮かべます。
日本人としては、
兵士としてたおれた同胞、
そして故郷の空襲で、
沖縄の地上戦で、広島と長崎で、
命を失った同胞を哀しみのうちに
思い浮かべます。
日本軍の性奴隷として傷つき命を
奪われたアジアの女性たち、
人体実験として虐殺された捕虜、
宗教もしくは政治上の信念ゆえに
死なねばならなかった人びとを
思い浮かべます。
銃殺された人びとを思い浮かべます。
長い間日本の植民地とされ、
自由と主権を奪われた朝鮮や
台湾の人びとのことを思い浮かべます。
日本に占領されたすべての国で、
抵抗し、犠牲となった人びとに
思いをはせます。
日本人としては、
市民としての、軍人としての、
そして信仰にもとづいての
日本の反戦運動をおこなった人びと、
労働者や労働組合の反戦運動、
共産主義者の反戦運動、
これらの反戦運動の犠牲者を
思い浮かべ、敬意を表します。
積極的に反戦運動に加わることは
なかったものの、良心をまげるよりは
むしろ死を選んだ人びとを
思い浮かべます。
はかり知れないほどの死者の
かたわらに、人間の悲嘆の
山並みが続いております。
(中略)
罪の有無、老幼いずれを問わず、
われわれ全員が過去を引き受け
ねばなりません。
全員が過去からの帰結に関り
あっており、過去に対する責任を
負わされているのであります。
心に刻みつづけることがなぜ
かくも重要であるかを理解するため、
老幼たがいに助けあわねば
なりません。
また助けあえるのであります。
問題は過去を克服することでは
ありません。
さようなことができるわけは
ありません。後になって
過去を変えたり、起こらなかった
ことにするわけにはまいりません。
しかし過去に目を閉ざす者は
結局のところ現在にも
盲目となります。
非人間的な行為を心に刻もうと
しない者は、またそうした危険に
陥りやすいのです。
(中略)
自らの力が優越していてこそ
平和が可能であり
確保されているとすべての国が
考え、平和とは次の戦いの
準備期間であった―
こうした時期がアジア史の上で
長く続いたのでありますが、
われわれはこれに終止符を
うつ好機を拡大していかなくては
なりません。
(中略)
若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や
憎悪に駆り立てられることの
ないようにしていただきたい。
・・・若い人たちは、たがいに
敵対するのではなく、たがいに
手をとり合って生きていくことを
学んでいただきたい。
民主的に選ばれたわれわれ
政治家にもこのことを肝に
銘じさせてくれる諸君であってほしい。
そして範を示してほしい。
自由を尊重しよう。
平和のために尽力しよう。
公正をよりどころにしよう。
正義については内面の
規範に従おう。
今日8月15日にさいし、
能うかぎり真実を直視
しようではありませんか。