先日、とある大き目の本屋さんの「生活」コーナーに立ち寄った。
「生活」関連としてそこで扱われていたジャンルは、
食、お茶・お酒、料理、お菓子、パン、ライフスタイル、くらし、
手芸、茶道、きもの、出産・育児、美容、おしゃれ、
ヨガ・ピラティス、家庭医学、食事療法、家庭介護、など。
どれも大事だけれど、なんか「欠けている」と思った。
やっぱり生活って、政治や社会と密接不可分に結びついている。
とくに働き方や政治の影響はもろに受ける。
でも、その「生活」コーナーをうろうろしていても、
まったくそうしたことは視野に入らない。
与えられた条件のなかでの「工夫」「よろこび」「文化」ということを
追求することとあわせて、
その条件がどのようなつながりのなかで決められるのか、
その条件・枠を固定化しない考えをもつことも大事だと思う。
もちろん、「家庭」のなかでの暮らしの工夫やよろこび、
文化の価値はかけがえがない。
でもだからこそ、そのかけがえのない生活を支えるもの、
それを壊すものを、しっかりと見据えることが大事なのではないか。
もうひとつ、本屋さんの「生活」コーナーで感じたのは、
圧倒的なジェンダー色。
つまり女性のコーナーになっている。
じっさい、本を物色していたのはほとんど女性だった。
一方、「生活を哲学する」なんて本も哲学のコーナーに
あったんですけど、いずれも著者は男性。
ジェンダー視点は、「生活」というものを考えるうえで欠かせない。
なぜこんなことを考えているかといえば、
『学習の友』の11月号から、「生活のゆとりと人間らしさ」という
連載(6回)を書くことになっていて、
いま下準備をしているのであります。
以前、内田樹さんが、
「生活者としての常識の枠内でおだやかに暮らしたい
人間の立場からのマルクス論て、ほとんどないんですよね」
というツイートをしていて、考えさせられている。
「マルクス主義を日常生活に着床させ」るというのは、
消化しづらい課題だけれども、
考え続けていきたいテーマではある。