長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

本屋さんの「生活」コーナーで考えたこと

先日、とある大き目の本屋さんの「生活」コーナーに立ち寄った。

「生活」関連としてそこで扱われていたジャンルは、
食、お茶・お酒、料理、お菓子、パン、ライフスタイル、くらし、
手芸、茶道、きもの、出産・育児、美容、おしゃれ、
ヨガ・ピラティス、家庭医学、食事療法、家庭介護、など。

どれも大事だけれど、なんか「欠けている」と思った。

やっぱり生活って、政治や社会と密接不可分に結びついている。
とくに働き方や政治の影響はもろに受ける。
でも、その「生活」コーナーをうろうろしていても、
まったくそうしたことは視野に入らない。
与えられた条件のなかでの「工夫」「よろこび」「文化」ということを
追求することとあわせて、
その条件がどのようなつながりのなかで決められるのか、
その条件・枠を固定化しない考えをもつことも大事だと思う。

もちろん、「家庭」のなかでの暮らしの工夫やよろこび、
文化の価値はかけがえがない。
でもだからこそ、そのかけがえのない生活を支えるもの、
それを壊すものを、しっかりと見据えることが大事なのではないか。

もうひとつ、本屋さんの「生活」コーナーで感じたのは、
圧倒的なジェンダー色。
つまり女性のコーナーになっている。
じっさい、本を物色していたのはほとんど女性だった。
一方、「生活を哲学する」なんて本も哲学のコーナーに
あったんですけど、いずれも著者は男性。
ジェンダー視点は、「生活」というものを考えるうえで欠かせない。

なぜこんなことを考えているかといえば、
『学習の友』の11月号から、「生活のゆとりと人間らしさ」という
連載(6回)を書くことになっていて、
いま下準備をしているのであります。

以前、内田樹さんが、
「生活者としての常識の枠内でおだやかに暮らしたい
人間の立場からのマルクス論て、ほとんどないんですよね」
というツイートをしていて、考えさせられている。
「マルクス主義を日常生活に着床させ」るというのは、
消化しづらい課題だけれども、
考え続けていきたいテーマではある。