『人権21-調査と研究』(おかやま人権研究センター発行)の
2017年12月号に以下の文章を書きました。ご紹介します。
「わかる」ように伝える言葉
人に伝える、とりわけ「わかる」ように伝わる言葉や
論理とはなんだろう、といつも考えています。労働者の
みなさんが「納得」して、活動への1歩をふみ出しても
らうことが、学習運動の役割ですから。
いま再注目されている、吉野源三郎さんの『君たちは
どう生きるか』(岩波文庫版)の解説に、こんな叙述が
あります。
「あくまでコペル君のごく身近にころがっている、あ
りふれた事象の観察とその経験から出発し、『あふりふ
れた』ように見えることが、いかにありふれた見聞の次
元に属さない、複雑な社会関係とその法則の具象化であ
るか、ということを一段一段と十四歳の少年に得心させ
てゆく」(『君たちはどう生きるかをめぐる回想』丸山
真男)
たとえば、「安倍政権は・・・」「いま改憲の動きが急
ピッチで・・・」という切り出し方で、日々ゆとりのない生
活送っている多くの労働者や青年に届くでしょうか。難
しいと思っています。安倍政権の悪政や憲法というもの
が「自分の生活や働き方」に関わっている、だからそれ
を問題にせねばならない、というのは、認識が深化して
生活と政治が結びついている人にだけ通じる言葉です。
「ごく身近にころがっている」ことから出発し、その
身近な「自分ごと」と、社会や政治はつながっている、
ということをつなげていく言葉や論理、仲間どうしの議
論が必要だと思っています。
聞いている人、読んでいる人にグッと接近できる、身
近で平易な言葉を意識します。また、「こんな言葉は知
らないだろうなあ」ということへの想像力を働かせて、
難しい言葉はきちんと説明するし、略さない、そして身
近に感じる「例え」がとても大事だと思っています。
講師活動でとくに大事にしているのは、どんな内容の
テーマでも、抽象的な話におちいらず、できるだけ具体
的な話をすること、できるだけ顔の見える個人を登場さ
せることです。数字は個を消してしまうので、使うとき
は注意が必要です。
私は、岡山で民医連がつくったソワニエ看護専門学校
で「ものの見方・考え方」という単位の非常勤講師をさ
せてもらっているのですが、学生さんの反応はすごく素
直で、こちらが抽象的な話をすれば、確実に寝ます。べ
つに看護の国家試験とは関係のない授業で、寝ても構わ
ないので、まったく躊躇ありません。でも、こちらが熱
をもってリアルな話、具体的な人間の話をすると、すご
く真剣に聞いてくれます。だから、上手に概念的で論理
的な話と具体的な話とを結びつけて語る力量が、求めら
れているのだと思います。これは文章を書くときも同じ
かなと思っています。
唯物論と弁証法の説明で
一例として、学習協教育運動で重視している哲学学習、
そのなかでも唯物論と弁証法の説明例、伝え方について
私の試みを紹介したいと思います。
まず、唯物論です。私がいつも唯物論の話で強調して
いるのは、「ありのままにものごとを見る」のは、とて
も難しい、努力が必要なことなのだ、という点です。人
間の認識の過程で生まれる「決めつけ、先入観、思い込
み」や、体験の絶対化が、私たちの目を曇らせる役割を
果たしています。ここでも、「人への見方」「血液型性
格判断」などの具体的で身近な例をあげて、説明します。
「なぜ? どうして? もっとよく考えてみよう・・・と
あれこれ努力するより、どうせこうだろう、と思うほう
がラクチン。先入観という『便利なメガネ』をかけたく
なる」ということを指摘します。事実をつかむためには、
時間や労力などの努力が必要であり、事実から遠ざけよ
うとする人たちによって、私たちの無知は利用される、
という点を押えます。
ここまできてはじめて、「事実から出発するものの見
方を、唯物論といいます」という説明をします。物質と
精神、どちらが根源か。こういう話も必要に応じてして
いきます。そして、念を押しつつ、唯物論はものごとの
本質をつかむ力をもつが、簡単ではない、という話をし
ます。
次に弁証法です。弁証法は、一筋縄ではいかない現実
をとらえる、一筋縄ではない考え方ですので、いつも説
明には苦労しますが、ここでも肝心なのは、「例え」で
す。私はできるだけ自然法則ではなく、自分たちの生活
や活動のなか、身近なところでの「例え」を使って説明
するようにしています。弁証法は、私たちの生き方や活
動をより豊かにしてくれるものの見方だと、知ってもら
いたいという思いからです。
岡山のソワニエ看護専門学校でも、弁証法の授業のと
きに、自分の変化や可能性について、弁証法を適用して
説明すると、すごく反響があります。2017年度授業
の、学生さんの反応をいくつか紹介します。
「毎日、同じことの繰り返しで、つかれたなとかしん
どいなあと思っていたけど、気がつけば半年経ってまし
た。もし、この半年で1つでもコツコツ何か頑張ってい
ることがあったとしたら、きっと自分の力になっている
んだろうなあと思った。1日を、1日だけで終わると思
うか、連続した人生のなかの一部と思って努力するかで、
自分の一生はまったく違うものになるんだろうなと考え
た」
「『矛盾』は自分を成長させるもの、前に進むために
必要なもの。すごくひびきました。常に目標をもってコ
ツコツとやってみようかなあと思います」
「『矛盾こそが自分を高める』。名言です。中身も成
長していきたいですね」
「私は日々、『私なんてどうせ』と思っていますが、
同時に、どうせ駄目なのはわかっているんだからと期待
せずに挑戦できます。だから失敗が当然で、でもできた
らすっごく嬉しい。まさに、先生の言っていた『○と×の
同居』だと思います。今まで、失敗に対する予防線をは
っているだけのネガティブ思考だとマイナスのイメージ
でしたが、『○と×の同居が成長の法則性』と言われ、目
からウロコの気持ちです」
若い人たちにとって、弁証法的なものの見方は、常識
的な見方をうちやぶる、新鮮なものの見方として受けと
められ、感動するのです。
成長のための弁証法
弁証法の説明も模索中なのですが、だいたい以下のよ
うな話をしています。
1つ目は、「自分のなかに『大きな矛盾』をつくる」
です。弁証法は、事物内部の矛盾が発展の原動力という
とらえかたをします。これは自分自身の成長という問題
にも当然あてはまるわけで、自分のなかで大きな矛盾を
つくるということが大事だと説明します。
「こうありたい自分」と「いまの自分」がぶつかりあ
う。これが自分にとっての矛盾となりまず。こうした矛
盾をつくるには、「めあて」になる人をつくる、という
ことが有効です。自分のなかで、「こんな人になりたい」
というめあてです。そして、それとは離れた今の自分の
現状。この矛盾が、自己を弁証法的に否定するエネルギ
ーになります。そして、「自分づくり」の「目標」と
「そのための計画」をつくることも大事です。こうなり
たいという「願望」だけでは成長できませんので、具体
的に自分を高める「無理」をする目標や計画をつくると
いうことです。無理するという言葉は、否定的な言葉で
すが、弁証法的にとらえれば、これは肯定的否定のエネ
ルギーと表現することもできます。無理しすぎはよくあ
りませんが、無理をしなければ、人間は成長していきま
せん。その無理するための原動力は、「こんな自分が」
という創造の喜びや、他者の力になれる「役に立つ自分」
への成長体験だと思います。
2つ目は「成長の弁証法」です。否定によってものご
とは発展していくととらえるのが弁証法なわけですが、
それは全面的な否定ではなく、肯定をふくんだ否定です。
だから、自分づくりも、「否定すべきところを克服しつ
つ、受け継ぐべきところは受け継ぎ、より発展させてゆ
く」という姿勢が大事、という説明をします。とくに若
い人は、○か×か形式でものごとを考えてしまう傾向が強
く、自分を全面否定しまうことも多いように思います。
だから弁証法的否定の話をすると、すごく「目からウロ
コだった」という反応をしめしてくれます。自己肯定感
を育てることの大切さは最近とくに言われていますが、
自分を「変えたい」という思いをもつのも、若い人の大
きな特質です。「変えたい」という思いと、「自分はこ
れでよい」という感覚が同居していていいのだ、という
のが弁証法のものの見方です。そしてその両面の要素が
足場となって、次の新しい自分をつくっていくわけです。
3つ目は、「コツコツなければ飛躍なし」です。量的
変化と質的変化の話です。成長への量的努力(積み重ね・
積み上げ)なくして、質的変化は起きません。人間は時
間を自覚的に認識して生きることができる唯一の動物で
す。一年後の自分、三年後の自分、五年後の自分に向け
て、目標や計画をもって、コツコツと努力できるのも、
人間だけの特質です。これもいろいろな身近な例えを出
して説明します。
「わかる喜び」を次の学びへ
4つ目は、「自分をゆたかにする他者にかこまれる」
です。連関の法則を、自分の成長にあてはめるわけです。
人間は、一人では生きることができず、自分ひとりだけ
では、自分をつくれません。つねに他者を通じて自分づ
くりをしていきます。個性が問題になるのは、集団のな
かで生きているからです。だから、どんな人間集団のな
かで自分が生きているのか、あるいはどんな人間関係を
つくっていくのかが、自分づくりに大きな影響をおよぼ
します。そういう人間関係をつくっていく大事さを強調
します。また、自分の現状を否定してくれる人の存在は
貴重です。なれあいの関係ではなく、高めあう。そのた
めに、ちゃんと自分の現状を否定的に指摘してくれる人
の存在はぜひとも必要という話をします。
5つ目は「自分の可能性に枠をはめない」ということ
です。弁証法の核心でもある「変化の過程としてものご
とをとらえる」を、自分自身にもきちんとあてはめよう
ということです。変化の過程としての「現瞬間の自分」
なのだというとらえ方です。若い人のなかでは、「今の
自分」の枠の中で、「これからの自分」を固定的に考え
てしまう傾向がよく見受けられます。でも、人間の可能
性というのは、そんな枠にあてはまるような、ちっぽけ
なものではなく、言ってしまえば無限であり、それはど
んな方向にでも伸びてゆくことができると、いろんな具
体例を示しながら強調します。
以上、弁証法を自分づくりの法則にあてはめる話を述
べてきました。「そうか!」とわかったとき、その力は、
必ず次の学びへのエネルギーになっていきます。大事な
のはそうしたエネルギーをつくるきっかけを提供するこ
とだと感じています。
「伝え方」の工夫について、自分なりに模索している
ことをご紹介させていただきました。少しでも参考にな
るところがあれば幸いです。