『学習の友』8月号に
「楽しい! をあたりまえのスタイルに
~参加者の『個』を大事にする学習会」
という文章を書かせていただきました。
以下、ご紹介します。
学びあう場に、楽しい!を
楽しい! は、いつでも人の行動を引き出すエネル
ギーになります。楽しい! は、学びや活動を持続す
る栄養素でもあります。楽しい! をとことん追求す
ることで、様々な創意工夫も生まれます。
怒りも、大事な感情です。私たちの運動は、大き
な相手(会社や政権)と向きあい、たたかうことが
求められる要素が多分にあります。理不尽なことや
不当なことに対して怒りをもち、それをエネルギー
に転化していきます(不当なことにきちんと怒れる
ことは、人間らしさの発露でもあります)。怒りは
瞬発力をもちます。でも怒りだけでは、エネルギー
はやがて枯渇します。怒りとともに、楽しい! を。
これは、どんな活動でも言えることです。
学びあう場のなかにも、楽しい! をたっぷりふく
ませたいですね。楽しい学習会とは、どんな学習会
でしょうか。みなさんの経験を出しあって、ぜひ交
流してみてください。私は、楽しい学習会の要素と
して、対話を通じての民主主義や個人の尊厳がその
場で感じられることが大事ではないかと考えていま
す。ちょっと難しい言い回しをすると、憲法的価値
の実感です。
個人の尊厳とは、憲法がもっとも大事にしている
価値です。一人ひとりが、個として、そして人間と
して尊重されることを意味します。一人ひとりが、
私らしくその場に参加できること。対話を通して人
間らしい関係の質を創造できること。私が安心して
私でいられること。個を大事にしながら、育ちあえ
ること。楽しい学びあいの場は、こうした要素を必
ずふくんでいます。
岡山労働学校での工夫
ひとつの事例として、岡山労働学校での経験をご
紹介します。労働学校では以前から、受講生どうし
の関係性の質が、学びの質を高めることを実感的に
つかみ、それをうながす仕掛けをカリキュラムやス
ケジュールのなかに組み込んできました。
たとえば、最初の第1回目の集まりで何をするか。
1回目ですので、みな緊張ぎみです。初めて労働学
校に参加してくれる人もいます。なかには知り合い
が誰もいないのに、参加してくれる方もいます。つ
まり人間関係がまだまったくない、あるいは硬い雰
囲気なのです。そこで、いきなり講義をガーンと行
うのではなく、まず参加者どうしの交流を行います。
誰とでも会話がはずむ「偏愛自己紹介交流」という
ものを毎期やっています。一気に会場の雰囲気が変
わります。たくさんおしゃべりをするので、自分も
この場をつくっている一員だという実感も得られや
すくなります。
こうした、学習会の導入部分をどうするか、全体
のスケジュールをどう組むのかという問題は、たと
え単発の学習会であっても、すぐれて重要かつ思想
的な問題でもあると私はとらえています。
岡山労働学校では、始まる前に音楽を流して雰囲
気を明るくしたり、講義の前の十五分間受講生にし
ゃべってもらうコーナーをつくったり、グループ討
論の人数や配置なども、細かく計算して行っていま
す。
グループ討論の人数は、5~6人、多くても7人
が限度です。人間の心理的な側面、若い人はディス
カッションの訓練に乏しい現状などもふまえ、一人
ひとりが無理なく参画できる工夫や配慮が必要です。
学習会の空間づくりは、楽しい! の基礎づくりと
して大事です。人間は自分が思っている以上に、物
理的な影響を受けやすいのです。会場はきれいか、
明るさはどうか、机の配置はどうか、講師との距離、
座り方をどうするか。空間をデザインするのも、学
びあう場をつくる主催者の責任です。それが参加者
の育ちあいをうながすのですから。
ファシリテーションの姿勢
今年に入り、ファシリテーションに関する本をた
くさん読みました。ファシリテーションとは、集団
づくりを促進するための、基本スキルと思ってくだ
さい。
『ファシリテーション革命―参加型の場づくりの
技法』(中野民夫、岩波書店、2003年)から、
少し長くなりますが、引用します。
「ファシリテーションは、場を作る。人がいい形
で集い合い、簡単には答えの出ない問題について問
い合う場をつくる。それぞれの思いや経験や感じ方
を大切にし、安心できる環境で、存分にそれぞれの
力を発揮できる場を作る。お互いから謙虚に学び合
ったり、共に考えたりする場を作る。相互の真剣な
やりとりから新しい何かを創造する場を作る。
ファシリテーションは、つなぐ。初めて会った人
たちをつなぐ。対立する集団や個人の関係をできる
たけ容易にする。切れてしまった関係をとりもつ。
集団と集団、人と人の関係だけでなく、人と社会や、
人と自然の世界をもつなぎ直すことも促進する。身
近でありながら感じられなくなっている自分自身の
心や身体をも取り戻す契機を与えうる。
ファシリテーションは、引き出す。それぞれにユ
ニークな一人ひとりの存在を、経験や知恵を、引き
出す。忘れてしまっていた感性や直感、自分自身の
気持ちや感じ方を大切にすることを引き出す。一人
ひとりの違った声をきちんと聴き、受け入れ合うこ
との深さを引き出す。一歩踏み出すことの怖れや億
劫さを超え、関わることのおもしろさを引き出す。
ファシリテーションは、促進する。一人だけでは、
あるいはバラバラではできなかった相乗作用を促す。
自分たちだけでは、堂々巡りしてしまう状況を前へ
と進める。抽象論でなく具体的な提案やまとめへと
促す。さらなる意欲を刺激し、実際の行動や活動へ
と促す。なによりも、自分も何かやっていこうとい
う力を中から引き出し、励まし力づける」
安倍政権への対峙方法
一方通行でなく、一部の人だけが話す学習会でも
なく、それぞれが安心して参画できて、そこからい
ろいろなものが生み出されていく。これはたんに学
習会のあり方だけの問題ではなく、安倍政権がつく
りだした分断社会への対峙方法でもあります。
違う意見や考えの人間とは交わらないし排除する、
弱いものへの無慈悲な抑圧と弾圧、これが安倍政権
です。そうした状況に対峙するために、自分のいる
空間や人間関係のなかで、憲法的価値を育て、取り
戻すことが、大事な課題です。それはつまり、草の
根から対話や交流が生まれる場をつくり、組織する
ことです。他者との対話を通じて、私たちは自分の
考えを相対化できるし、一致するところも見つけ出
すことができます。また自分や仲間の育ちをうなが
すのも、「私の意見を表明する」という過程を通じ
てだと思います。対話を通じた民主主義は、成長の
プロセスです。
楽しいことは、力。
講師や主催者に学習会はおまかせではなく、参加
者一人ひとりが学びの場づくりに参加してもらう仕
掛けをつくる。民主主義もそうですが、おまかせし
てラクをするものは、たいてい身につきません。面
倒くさくても、自らの頭で考え、対話し、新しい視
野をひらき、仲間とつながっていく。これこそが、
個人の尊厳がうたわれている状況のもとでの、ふさ
わしい学習会のあり方だと思います。
なにより、そのほうが楽しいです。講師の話を聞
くものもちろん面白いけれども、それ以上に参加者
どうしの交流が楽しかった。そんな感想をもつ人は
たくさんいます。楽しいことは、力なのです。一人
ひとりが輝き、みずから参画する主体者になる学習
会を、あたりまえのスタイルにしていくことが求め
られています。
長野の全国集会では、みなさんと、そうした場を
つくっていきたいと思います(と自分でハードルを
あげておきます)。秋の魅力たっぷりの長野に、全
国からたくさんの仲間がつどい、情勢を切りひらく
主体的な力を育てあう3日間にしましょう。