長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

泣き疲れています。

相方、曽根朋子が、26日お昼過ぎ、永眠しました。
この1週間、日に日に状態が悪くなり、
ほんとうに急な別れでした。

結婚してから19年間、ともに過ごし、ともに生きたパートナーの死に、
とうとう直面してしまいました。

ただ本当に幸いだったのは、ご両親、ふたりの妹さん、
そして一緒に旅にも行ったふたりのめいっこさんたち、
みなで一緒に最期を見送れたことです。
コロナ禍のもと、自宅での看取りだったからこそ、できたことでした。

ALSと診断を受けてから4年10か月。
大好きな旅にあちこち出かけ、人と機会にもめぐまれました。
本まで出しました。
多くの人に愛され、影響を与え続けた人でした。

悲しい思いもありますが、
難病をかかえながらも相方らしく生き抜いたその姿は、
私のなかにずっと刻まれます。感謝しかないです。

それでも、やっぱりこの3日間は泣きました。泣き疲れています。

相方がたくさんの人と関係をつくり、みなに慕われ、
愛されていたことは、知っていました。
でも、あらためて、この3日間で、
相方へのみなさんの深い思いとその悲しみに接すると、
私の悲嘆や辛さやは、さらにさらに深くなってしまうのです。
いろんなシーンを思い出すたびに、こみ上げてきてしまって、
どうしようもないです。

当初、お通夜も葬儀も家族のみでと考えていましたが、
「どうしても曽根さんとお別れがしたい」と希望のあった
県内の友人やお世話になったヘルパーさんなどには、
お通夜に来てもらうことにしました。
完全な無宗教の見送りでしたので、通夜といっても何もしないし、
いるだけなので。

まあ何組かだけだろうと思っていたら、16時~22時ぐらいまで、
ひっきりなしに見送りに来られる方が続き。
ヘルパーさんも本当にたくさんこられて、涙、涙、涙。
みなさんの相方への思いにふれるたびに、こちらもまた涙。

翌日の家族葬は、短時間でしたが、
たくさんの花や思い出の品に囲まれて、
最期の声かけ(みな泣きながら)もできて、しっかり見送ることができました。
相方もうれしかったと思います。

数年前「葬儀のときはこの曲をかけてほしい」と言っていたのが、
映画『かぐや姫の物語』の音楽でした。
めいっこさんがTSUTAYAに探しにいき、借りてきてくれました。
お通夜でも葬儀でもずっとCDを流し続けていました。
これも相方の希望に添えてよかったです。

昨日葬儀が終わり、相方の遺骨と一緒に自宅へ帰りました。
とうとう、ひとりになってしまいました。
猫もなんか変だな、という感じで落ち着かない感じ。
今まで入れ替わり立ち替わり、人が出入りしてましたからね。
でも話し相手がいてくれて救われます(一方的に話しかけてるだけですけど)。
相方のいない非日常、少しずつ慣れていくしかないですね。

まだ亡くなったことを知らせていない相方の友人とかがいるので、
辛い連絡ですが、少しずつやっていこうと思います。
介護ベッドや呼吸器など、相方が使っていたものも、
まだ部屋にそのままです。
そして相方は持ち物(特に服)がとにかく多い人だったので、
整理がたいへんで気が遠くなりますが、
お母さんや妹さんも手伝ってくれるので、しばらく経ったら、
徐々にしていこうと思います。

相方の写真は、病気の診断直後に、
ベルリン旅の相談を友人としているときのもの。
ベルリンのガイドブックをもっています。
オリオンビールの“いちばん桜”のラベルが好きだったので、置いています。
遺骨の箱は、毎回旅に持っていっていた相方の好きな風呂敷で包みました。
いつでも旅に行けるように…。
これでOKしてくれるかな? 朋子さん。
でもきっと、ダメ出しくらいそうです。

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