長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

『コーダ あいのうた』を鑑賞。本もひっぱりだす。

アカデミー作品賞をとった『コーダ あいのうた』。
岡南シネマで上映していたので、観てきた。
ストーリーはおおかた予想できるものだったけど、良い映画だった。

ふと思い出して自宅本棚を物色したら、9年前に読んだ
『コーダの世界~手話の文化と声の文化』
(澁谷智子、医学書院、2009年)を発見。
ソワニエ看護専門学校の「読書日記」で学生さんに紹介した1冊だった。

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コーダとは、「聞こえない親をもつ聞こえる子どもたち」のことである。
1980年代のアメリカで「Children Of Deaf Adults」の頭文字をとって
「CODA」という造語がつくられたのが始まりだそう。

日本のコーダを取材してつくられた本書。
2章「コーダがしていること」のなかで紹介されているような、
通訳者としての役割、まわりの人からのまなざし、ろう者と貧困、
これらは映画でも表現されていたコーダの苦悩や葛藤だ。

ただ、著者は「はじめに」のなかで、こうも述べられている。

「世間では特別視されることも多いが、コーダと親は、
聞こえる╱聞こえないの違いはあっても、ごく普通の
親子である。たしかに、聞こえる╱聞こえないの違いは、
一つの現実的な条件として、その家族のあり方を形作っ
ている。しかしそれは、親が聞こえないことを、すぐ
「苦労」とか「大変」と結びつける世間の見方ともずれ
ている。コーダや親が、親子の愛情や葛藤やさまざまな
思いを込めて家族の話をするとき、そこに子どもが聞こ
えて親が聞こえないという背景がさまざまに織り込まれ
てくるといったほうが、しっくりとくると思う。本の中
では、そのあたりを丁寧に書くように心がけた」

この指摘も、映画をみると共感するところかなと思う。