長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

核ZERO講座にあたってーその2

 2005年8月、8泊9日の広島・長崎への
「平和の旅」が、わたしのこの問題への
認識を一変させる転換点となった。
 広島、長崎とも、世界大会の前後や
空き時間に、ガイドブックを手に、残
されている遺構や、慰霊碑、資料館な
どをたくさんたくさんまわった。
 同時に、旅の出発点では5冊ほど本を
持っていったのだけれど、旅の途中で
どんどん買い足され、9日間で14冊の
本を読みながらの「学びの旅」になった
(読んだ本は最後に紹介)。

 世界大会で印象に残ったのは、長崎で
の「平和の旅へ」の合唱と語りであった。
これは、被爆者である渡辺千恵子さんの
半生を綴った8曲で構成されており、鳥肌
がたつほど感動をした(のちに渡辺千恵子
さんの本『長崎に生きる』新日本新書、を
読む)。
 渡辺さんと同様、長崎の被爆者である
山口仙二さんなどの生き方にもふれるな
かで、これまでほとんど知らなかった
被爆者の方々の思いや生き方に、強く心
をゆさぶられた。「なんとしても被爆者の
方が生きているうちに、核兵器をなくさ
ねば」という決意のようなものが自分の
なかで芽生えたと思う。

 それまで、森をぼうっと見ていた段階
から、この旅で「核兵器が1人ひとりの
人間にどんな死や生を強いるのか」という
ことが自分のなかでわかりだしてきた。
 広島で14万人、長崎で7万人がその年の
うちに亡くなったといわれるが、核兵器
の非人道性は「たくさんの人を殺した」
ことだけではないし、その数字だけを見て
も、核兵器の本質にはせまれないことを
体全体で学び直したように思う。
 峠三吉が叫んだように「人間をかえせ」
としか言いようがないものが、核兵器に
よる惨害なんだと痛感するようになった。

 この旅を自分なりにまとめるために、
帰ってからすぐに学習協の会報に参加記録
を書いた。34ページにおよぶその記録は、
今読んでも、当時のわたしの行動やそこで
感じた思いが伝わってくるもので、自分で
いうのもなんだが、「熱」を感じる。
 「この問題で、自分には何ができるだろ
うか」という強い問題意識が、このとき
から、育ってきたように思う。

 そして、次のおおきな飛躍は、2009年秋に、
岡山労働学校で「核ZERO教室」を開校し
たこと、その準備のための学びだった。
 (つづく)

*2005年の「平和の旅」の中で読んだ本は以下。
『ガイドブック ヒロシマ-被爆の跡を歩く』
        (原爆遺跡保存運動懇談会編、新日本出版社)
『父と暮らせば』(井上ひさし、新潮文庫)
『正しい知識-「原爆の子の像」と「折鶴」』豊田清史、火幻社)
『あの日… 「ヒロシマ・ナガサキ 死と生の証言」より』
       (日本原水爆被害者団体協議会編、新日本出版社)
『ヒロシマ-壁に残された伝言』(井上恭介、集英社新書)
『爆心地中島-あの日、あのとき』
  (元大正屋呉服店を保存する会・原爆遺跡保存運動懇談会編)
『原爆に夫を奪われて-広島の農夫たちの証言』
                 (神田三亀男編、岩波新書)
『新版 ナガサキ-1945年8月9日』
   (長崎総合科学大学平和文化研究所編、岩波ジュニア新書)
『ガイドブックながさき-原爆遺跡と戦跡をめぐる』
            (長崎平和研究所編、新日本出版社)
『ナガサキに翔ぶ-ふりそでの少女像をつくった中学生たち』
               (山脇あさ子、新日本出版社)
『灼かれてもなお』(山口仙二聞書、西日本新聞社)
『じいちゃん その足どげんしたと-ある被爆者の戦後史』
                 (小峰秀孝、新風書房)
『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』
         (肥田舜太郎・鎌仲ひとみ、ちくま新書)
『高校生一万人署名活動』
(高校生一万人署名活動実行委員会・長崎新聞社編集局報道部、長崎新聞新書)