8月2日(金)の夜は、オンライン学習会
「ヒロシマ・ナガサキ 被爆の実相 ~核兵器の非人道性~」でした。
昨年を上回る、150名以上の方がリアルタイム参加。
岡山民青の若者たちとか、
高校生の娘さんと参加されていた方もいて、希望です。
世界大会に向けた結団式として位置づけ集団視聴されていた労働組合とか、
民医連職場でもいくつか集団視聴が。取り組みが広がって嬉しいです。
来年もやります。
講義では、「被爆の実相を学び伝える視点」として、
(1)戦争や核兵器の特徴のひとつは、その「無差別性」(個を消す)
にある。「何万人が死んだ」「何千度の熱線が」など、原爆の
恐ろしさを、“数字”だけで語ることしかできなければ、核兵器との
本当の対決にならない。
(2)そこにいた1人ひとりが、どんな死や生を強いられたか。
そこにどんな痛みや怨念(おんねん)や苦しみが生まれたのか。
1人ひとりの人間に何が起きたのか。「個人」の痛みを知り、
それを浮き彫りにしてこそ、核兵器の本質にせまれる。そうしてこそ、
被爆者に強いられた原爆の残虐性・非人道性の共通性も見えてくる。
以上の立場を強調し、できるだけ被爆者の言葉をそのまま伝えながら、
被爆の実相を伝える内容にしています。
また、資料では載せませんでしたが、講義中に話した、
麻酔科医・外須美夫さんの言葉を紹介します。
「核兵器が戦争の抑止力になると言って核兵器を正当化する
政治家がいる。核兵器の抑止力は、不安定な均衡の上に成り
立っている。政治的駆け引きのなかでの見せかけの抑止力で
ある。人を殺すことを正当化する戦争に抑止的に働くのは、
人の痛みしかありえない。他人の痛みを痛むことしかありえ
ない。真のそして永続的な抑止力は人間の痛みである」
(『痛みの声を聴け』克誠堂出版、233P)
では、以下感想文の一部を紹介します。
■昨年にひきつづき「ヒロシマ・ナガサキ 被爆の実相」聴講させていただきました。今年は、昨年以上に想像力をはたらかせて聴かせていただき、途中から涙がとまらなくなってしまいました。この1年のウクライナ情勢やガザの惨状などとかさねあわせてしまい、本当に平和の尊さ、核兵器廃絶を希求しています。今年の講演では、福留志なさんのエピソードや「たくさんの人々の平和の思いが詰まった像」のお話が印象的でした。感想交流では、小学校の先生が5年生の生徒さんにどう原爆のことをつたえようかとなげかけられていたり、娘さんと一緒に聴講していて、「自分は家族が大好きなので急にいなくなったらとてもつらい」と感想をいってくださり、先生がライフワークとしてこの講座を続けてくださっていることが大きく花開いてきているように感じました。私は、表立った活動はできていませんが、とにかくこの8月は毎年核兵器廃絶と平和の尊さに向き合うことを続けて行こうと思います。学びをつづけながら、自分のできるところで、平和を希求していこうと思います。まずは埼玉県にある丸木美術館に行く予定です。来年もこの時期の講演きかせていただきます!本日はありがとうございました。
■わかりやすく原爆の恐ろしさや実際に起こったこと、命の重みを知れて良かったです。また、さらに「核兵器・原爆を世界から無くしたいな」と強く思いました。
■この内容を聞いて、1人1人にスポットをあて、1人1人を考えること、その大切さが分かった。私たちは簡単に体験をお聞きできると思っていたが、語る側の方の気持ちに寄り添わなければいけないと思った。見捨て体験という言葉を初めて知った。とてもつらいお話でした。
■自分は看護師なので、秋月先生、久松婦長さんや死体処理にあたる人達の想いはとてもよく分かります。「人間らしい死」がどれだけ大事で今のようにあたり前でなかったのか、平和を願う1人として伝えていかなくてはと思いました。
■今回、広島に加え長崎での被爆の実相を知り、大変勉強になりました。広島、長崎に共通するのは核兵器の非人道性、無差別性である。ゆえに核兵器は存在してはならないし、核兵器の使用につながるかもしれない戦争を避けるため、あらゆる手段を講じなければならないと感じました。
■被爆の実相について改めて学ぶことで、戦争の悲惨について向き合う機会となりました。人の痛みを発信することが戦争の抑止力につながる。体験者が語ってくれることの大事さを感じました。
■抑止力は「人間の痛み」という言葉が印象的だった。高校生の署名活動がすばらしいし、今も続いていることもすごいなと思った。
■30代後半、家族・子どもができた今、被爆の実態を聞くと胸に突き刺さるものがありました。核兵器、戦争は世の中にあってはならないものだと強く、再認識しました。
■普段生活していると日常があたりまえに思いますが、平和学習をすると、そのような日々もあたりまえではなく、戦争反対であったり、平和を訴えつづけることなど、平和を求める人々の思いや行動がとても大切になると思いました。定期的に平和について考える時間をつくっていきたいと思いました。
■被爆者の方の証言(一人ひとり)を聞くと胸がつまるというのが率直に感じた。核兵器は非人道的で使ってはいけないし、戦争自体、人間を人間でさせなくなるものだと改めて感じた。
■被爆の実相を学ぶ際に大事なことは個人の尊厳という視点だと感じました。
■貴重なお話ありがとうございます。今回の学習会はメモをとることを忘れました。長久先生の話が、私の頭のなかに次々と映像化され、語り部の人たちの言葉が生身の声として聞こえてきました。私は話を聞きながら、黒こげになった子どもを失った母親を見ていました。その光景は、異様な臭いと熱さが重なり、とても息苦しくなり、自分の身体の一部がもぎ取られるような感覚を得ました。溶けた人間の身体の上をどんな思いで歩くのだろうか、多くの仲間が一瞬にして死んでしまったなかで、1人生き残った自分は、これからをどうやって生きていくのか・・次々と私の頭のなかに処理できない感情が積み重なっていきました。尊厳のある死は、その人生を全うして死んでいくことです。人としての生を全うしない死に方で家族を失うことは、誰にとっても心の奥の何かが壊れ、大きな喪失感、悔しさ、怒りなどあらゆる感情がとめどなくあふれてくるのだろうと、想像するだけで息が止まるほど苦しい気持ちになりました。自分が体験しないことを想像するには、その事象について学ぶだけではなく、その時生きた人たちの真実の声を聴くことで想像力は高まります。核兵器の怖さがどれだけ非人道的行為であったのかは、当事者の人たちが自分の中の苦しさと対峙しながら話してくれたことであり、私たちはその声を形骸化しないよう伝え続けていくことが大切なのだと思いました。