長久啓太の「勉客商売」

岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)

60分de名著講座、220名の参加でスタート!!!

3日(金)、
オンライン連続講座「60分de名著~運動論を学ぶ~」1回目無事終了!

「言葉の力を信じて―荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』-」

f:id:benkaku:20211206150727j:plain

なんとリアルタイムで約220人の方が参加! すごい!
集団視聴48か所と広がったのが大きい。

そして今回は労働組合のみなさんとともに、
さまざまな職場、団体、個人が参加していて、バラエティー度もすごい☆
やばい。めちゃ楽しい。こういう多様な場をつくれるのが学習運動。
感想交流では福島民青の高校生の発言がみなさんの胸をうちました。
というか高校生も参加って!!!感涙です。


ある初参加の方が、A41ページぐらいの「印象に残った言葉や話」を
書いて送ってきてくださり、
さいご、「こんなに多くの皆さんが学ぶために集っていることに感動。
学ぶって素敵だなと素直に感じた時間。悩んで決めた受講だったが、
今後もがんばろう」と。

 

続々と感想が寄せられている最中ですが、
とりあえず集まったものをご紹介します。
ものすごい分量なので、お時間のゆるす範囲でご覧ください…

 

【第1講座感想文】

 

■言葉の持つ力、怖さも感じ、あっという間の1時間でした、とても参考になりました。

 

■「言葉は降り積もる」というのが印象的でした!運動の中でも、平和、多様性、平等などの言葉を使いますが、主体性を言葉の中に見出すことが大事だなと思いました。また、「謙虚に問いかける」ことは意外と難しいようにも思うので、日常の中で心がけていきたいと思いました!

 

■またまた参加いたしました!!長久さんの講義が楽しみです。前回よりも幅広くよりたくさんの皆さんと学べてうれしいです。社会と自分を結ぶ言葉を持っていない人が多いということに、なるほどと思いました。政治や世の中のことを自分なりに考える機会が学校生活でも全くない日本の教育制度は、政府に都合がよい人間が育てられているのだと改めて思いました。だからこそ組合などで学習することが大事だと思います。今回も新発見がたくさんありそうな予感。どうぞよろしくお願いいたします!!

 

■高校生の感想に涙が出ました。学びたい人が学べる環境づくり、、、大人の責任だと思います。今日の感想、「労働者の言葉をにぎる」、経営者の言葉で作られている日常を、労働者の言葉で取り戻す。わかりやすい言葉に置き換えて表現することも大事だけれど、「たたかい」という言葉でしか表現できない本質も同時に大事にしていこうと思いました。

 

■言葉本来の強さや重要性について今回の講義で、改めて気づかされた。自由に表現できるからこそ、倫理観を大切にしたいと思いました。

 

◆病院勤務なので、おむつ問題は日々の事です。介助が有れば、ポータブルトイレやトイレで出来ますが、夜間は人手が極端に少ないので、強制おむつの方も沢山います。 先日は、おむつは付けているけれど、ポータブルトイレも置いてあって、患者さんが立ち上がるときにセンサーで感知してナースコールも鳴るようになっているんですが、職員は他の人を対応していて直ぐに行けず、患者さんは一人で立ち上がって転倒し、頭を怪我しました。私は、おむつもつけているんだから、いのちを守るために多少漏れてもいいから、焦らないで動いて下さいと患者さんに言いました。焦らなければ、ゆっくりすれば動けるからです。人手があれば、こんなことを言わなくてもいいのに。それから、日中でも、付き添いが有れば歩行器で歩ける患者さんも、人手が足りないので、ずっと座らせっぱなし、寝っぱなしになっている方も多いです。行きたいところに行けて、トイレをしたいときに出来る。そんな当たり前の事が、病院は出来ない。人員基準が低すぎる。診療報酬が低すぎる。いつか自分もそういう目に合うのかと思うと辛いです。こういう気持ちを仲間とまた共有し、政治をも変える力にしていけたらと思いました。

 

■大変、興味深く聞かせて頂きました。苦しむ人に対して、「勇気を出して立ち上がれ」というのではなく、勇気を出せる条件を整えることが大切で、そのために孤立しない、孤立させない連帯感を育むことが必要、この言葉が一番印象に残りました。これは、自分の実践を通してみても、非常に納得がいきます。そういう場をつくる組織者がもっと大勢必要で、安心して話せる場をもっと意識して、たくさんつくっていくという運動方針を明確に持っていきたいと強く感じました。ありがとうございました。

 

■今日の感想は、自分も「Ⅲの1」人権の言葉をめぐってにある「義務を果たさない人間に権利を主張する資格はない」という言葉、若い時に職場よく聞きましたし、職場の飲み会ではよく意見交換をしました。最近はテレビ等で論破やマウンティングという言葉も良く使われ、相手に何も言わせないようにする風潮があると感じていてマスコミは良くないと思っていました。やっぱり、色々な人がいる中で、他人の意見も聞きながら、お互い尊重しあっていかないとダメなんだと改めて思える学習でした。私も労組の青年部活動中に、後輩と酒席で詰め寄ってしまった過去があり、後輩に泣きながら「自分の言いたいことが、言葉として表現できない人の気持ちがわかりますか」と言われた事を反省しつつ、傾聴を心がけて人に接していかないとと思っています。

 

■初参加。日々あわただしく過ごしており、事前に書籍やレジュメを読んでおくことすらできなかったが、とても有意義な時間だった。レジュメの中、書籍の中の、一つ一つの言葉が胸に突き刺さった。*言葉には「降り積もる」という性質がある。これまでの自分を振り返った時に自分が発してきた言葉、ひとに浴びせてきた言葉が、エンパワーメントの言葉だったのか… 自分の周りのひと(自分のこどもも含め)にどのような影響を与えてきたのかということを考えさせられた。*「わたし」という主語をもって語ること。「わたし」がどう考えるのか、どうしたいのか。消費者として「商品を選ぶ」感覚にさせられていないか→「今いること、今あることやものから選ぶしかない」と思わされていないか、という言葉にハッとした。*「人権」とは何なのか。「絶対に侵害してはならない一線」とは何なのか。「生きた心地」を求めることは「わがまま」なのか。「人権=きちんとした人だけが申請できるご褒美的なオプション」みたいな感覚でとらえられてしまう。学校教育における人権教育の在り方。憲法「すべて国民は…」は何の条件も付けていない。すべてのひとが対象。との長久さんの言葉が心に残る。→「要求すること」は「わがまま」なのか。労働組合として要求することのむずかしさやためらい。*「自己責任」という言葉の不気味さ・『人を黙らせるための言葉』になりつつある・『他人への痛みへの想像力を削いでしまう』権力を持つ側がこの言葉を都合よく使っていることが腹立たしい。権力を持つ側が不都合なことを隠すため、また自分たちに不満を向けさせないために、と安易に使うことで大勢の人にどれだけの影響を与えていることか。多くの人が知らず知らずのうちに影響を受けているということが恐ろしい。このような学習の場で自覚することは大事だと思う。*「沈黙しないために」「勇気が出せる条件」「勇気を出して立ち上がれ」ではなく、「勇気を出せる条件を整えることが大切。そのために孤立しない、孤立させない連帯感をはぐくむことが必要」☆講師の長久さんが魅力的。紹介された書籍も読みたくなった。こんなに多くの皆さんが学ぶために集っていることに感動。学ぶって素敵だなと素直に感じた時間。悩んで決めた受講だったが、今後もがんばろう。

 

■講座ありがとうございました。全国でこんなにたくさんの方がオンライン参加されているのに驚きました。第1回感想。タイトルに魅かれて受講を即断した。日頃から、自分の言葉で語れないと悩んでいる。政治の不満や社会をよくしたいと思う気持ちを近所の人や趣味的な活動の仲間には語れない。語りにくい。しかし、新婦人という組織の中では、何とか話せる。要求が一致し、連帯感や団結心があるからでしょう。「運動や組織の中で個人の自己表現が育つ」ということですね。私の課題は「自分と社会を結ぶ言葉を探し積もらせていく」ことだと思った。小学生の人権教育で言葉の暴力を扱うとき、トゲトゲ言葉をなくして、ふわふわ言葉を増やそうと呼びかける。上西充子さんの「呪いの言葉」は、心の奥に突き刺さるトゲトゲ言葉に当たる。「自己責任」という言葉も、言えば言うほど息苦しくなる言葉だと思う。そんな「人を黙らせる言葉」に抗って、自分の言葉で人権を主張できるようになりたい。

 

■本日はありがとうございました。単発では何度か受講したことはありましたが、連続講座は初めてです。『まとまらない言葉を生きる』、最近の著書ということもあり、コロナ禍での為政者の言い逃れなど考えさせられました。言葉の無化に鈍感にならないために、私たち自身が言葉に威力を持つ努力がまさしくこの講座で培われるのだと確信しました。新婦人でも医療生協でも集会やデモが中止になっています。または自分たちから集まりを分断しているように思えるときがあります。憲法21条をあらためて、かみしめました。アリシア・ガーザ氏の『エンパワーメントは、人々が一堂に会したときに起こる』という言葉にもハッとさせられました。私を主語に、自分の言葉で語るトレーニングを積みたいと思います。

 

■久しぶりの長久さんの話、わくわくしました! 言葉の大切さを考えさせられました。言葉が降り積もる、過ごしてきた環境が人の価値観を作っていくということ、とても納得です。人との言葉のやりとりを大切に、自分の自己表現を深めて人とつながっていくことをこれからも大事にしたいと思いました。だから人との出会いは大切だし、人と語り合ったり意見を交わしたりするのが楽しいんだな〜としみじみ感じました。運動する上で上に立つリーダーを求めるんじゃなくて、「わたし」が社会を変える一員なんだ、一人ひとりが集まって社会になることを意識したいなと思っています。そのために、社会・政治をつなぐ言葉を積らせる一員でありたいと思います。

 

■今日も盛りだくさん,ありがとうございました。1、「自己責任」という言葉が『イラク邦人人質事件』がきっかけとなって頻繁に使われだしたのだとしても,日本人のそれまでの生活の中に既に「自己責任」という”考え方”は日常的に当たり前にあったからこそ,「自己責任」という”言葉”はあっという間に広がったのだと思います。私はいろんなところで,いつも,毎日「自己責任」を感じています。2、医療従事者も参加しているこの学習会で,恐れずに持論を展開すると,コロナ対策でのマスク着用,飲み会禁止は,政府による「言論弾圧」と「集会結社の規制」の憲法違反だと考えています。マスク着用と飲み会禁止は当然でしょ?という日本人があまりに多くて,不安でしかたありません。3、日本国憲法の「すべて国民は」という「国民」という縛りが問題になっていると学習したことがあります。日本国籍を持っていない人,在日朝鮮人や技能実習生等,多くの外国籍の人の人権が日本人のマイノリティー以上に守られていない現実。人権とは何か。私も自分の言葉でキチンと話す自信がありません。4、憲法の三つの柱のうち「主権在民」は,「基本的人権」以上に訓練されていないと感じます。最近の選挙は「今回の選挙はどこが勝つか」という予想ゲーム。「どうせ自民党が勝つから予想(投票)しに行かなくても問題ない」というのが投票率低下の原因だと常々考えています。「自ら、主権者として,社会や政治を語りたい」激しく同感です。5、フィンランドは大学まで学費が保障されているらしいですね。教育にお金をかける国。素晴らしいです。

 

■学習会、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。Zoomでの学習会でしたが参加者の表情も伝わってきてとても感じよくいい雰囲気だったと思います。この本のまえがきに「言葉は、ややこしい。人を侮辱し、貶め、罵り、蔑む言葉は、今も昔も変わらず存在する。文脈や状況次第では、あらゆる言葉が毒にも薬にもなる」この本を読み始めてハット思うことがありました。それは、このコロナ禍の中で世界のリーダーが国民に向かって発した言葉です。日本のトップはどうだったか。心配で大変なとき、心からの安心の言葉が伝わったでしょうか? 感染を広げ、困るのはあなたたちだといわんばかりの自己責任論。その時の首相がテレビの画面に出てくるたび、嫌な思いをし、イライラしていました。その当時、テレビに向かって文句ばかり言っていたように思います。まったく言葉が伝わってこない,言葉足らずの誠意のなさで、悲しくなりました。一方、ドイツのメルケルさんの発した言葉に感動したことがあります。正確には覚えていませんが、あらかたこのような内容だったと記憶しています。彼女は東ドイツ出身で、不自由な思いを体験した自分のことを話し、「コロナ禍の中、我慢や不自由さを強いることは辛いことだけれど今は我慢をして欲しい。今年のクリスマスが家族と暮らせる最後にして欲しくない。」と感情をあらわにして、心を込めて言ったのです。その表情からもリーダーの考えがしっかり伝わってきました。国のリーダーと言えども国民目線での言葉には、国民を納得させる力があるのだな、とその時思いました。また私は、新婦人という要求実現の大衆団体に所属し、多くの会員を迎えたいため、自分たちも楽しみながらみんなで考えを出し合って努力しているのですが、なかなか思うようにいかないこともあります。会を豊かに、大きくしていくためにも「伝わる言葉」の大事さを痛感しています。多くの仲間を迎えるためには、自分の言葉でキチンと話ができコミュニケーションできることだと。今日の長久さんの講義を聴きながら、良い組織を作っていくためには良い人間関係を作っていくことだと思うし、そのためには言葉の豊かさ、誠実な『自己表現』が必須だと思いました。考えていくヒントがたくさんありました。自分の体験と重ねて想像すると、なるほどと思うことも多々あり、現実に照らし合わせながら聞きました。とても勉強になりました。

 

■SNSとかでも誹謗中傷しあったり、国会答弁でも嘘が多くなってしまっているのは確かにそうだと思ったのと自己責任のところで自分も使ってしまうのではと少し怖いと思いました。何かを伝えようとしても上手く伝わらなかったりつい強い言葉を使うこともあったりするので、もう少し自覚して言葉を使いたい。環境が人間を育てると聞いたことがありますがその中でも悪意をもって発せられる言葉に慎重になった方がいいと思いました。

 

■連続講座⓵言葉の力を信じて参加いたしました。今回も目からうろこ、長久先生のエッセンスがたくさんありました。言葉には降り積もる性質がある、言葉はつながるためのもの、重要なことは、言葉を届ける相手との関係性であり、双方向性、などなど、受け手の人権を尊重した誠意をつくした自分の言葉はきっと受け手に響くのだと思いました。医療従事者として、労働運動家として、なによりも一人に人間として、自分の言葉を降り積もらせていければと思いました。今回も皆勤賞狙ってます!! 貴重な講演ありがとうございました。

 

■言葉の力がどこに向かうのか。聞こえがいいストレートな言葉を発して人々の気を引いている維新。SNS上の誹謗中傷の言葉。男尊女卑を引きずっている頑固な人たち…。科学的なものの見方を土台にジェンダー平等の視点から発信していく、しなやかな対話力を身につけていきたいとあらためて思いました。長久さんが触れられたように、運動と組織のなかで人権を大切にする人間関係を築いていくことが、今まさに課題になっていますね。おつれあいのことで悲しみがこみあげてくることでしょうが、言葉の力でたたかってこられたお話、これからもどんどんしてください。Zoomだからこそ出会える学習の場という前向きな捉え方をしていこうと思いました。ありがとうございました。

 

■2019年から市議会議員をしています。その前は非正規雇用で事務職でした。組織づくりとは無縁の人生でしたので、何をすればいいものか、とにかくヤバイ状況であることだけは確かだという中での受講です。よろしくお願いします。『言葉が壊されている』危機感。『降り積もる』言葉、「呪いの言葉」も降り積もり、自分を縛りつけていく。言葉の、情報を伝える働きばかりに気を取られていて、降り積もる言葉が個人にも社会にも蓄積し、価値観の基を作っていることを意識していなかったことに気づきました。確かに言葉に元気づけられるし、傷つけられる。会ったこともない人、例えばタレントや評論家が発する言葉でも元気になったり、傷ついたりするわけで、発語者との関係によらず、言葉自体に力があるならば、自分の仕事柄、言葉選びは一層慎重にしなければと思いました。私は「自己責任」という言葉が大嫌いで、だったら政治なんか必要ないじゃないかとひとり憤っているわけですが、「自己責任」と言い放つことが大好きな人達がいるわけです。議員や市職員の物言いが「上から目線」だと批判する人でさえ。困っている人、弱い立場の人が声を上げるのがますます大変になっているように感じます。ささやかだけれど当たり前の要求が沈黙させられてしまいがちな中で、安心して伝えあえる関係性のある運動や組織を目指していくことがポイントなのかなと思いました。今後の講座が楽しみです。

 

■昨日の講義は大切なことをたくさん話していただきありがとうございました。特に印象に残ったのは「言葉は降り積もる」ということです。呪いの言葉は特に日常的にあちこちで浴びせられる言葉であり、場合によっては私自身も使っていたかもしれないと思い、どきっとしました。口から発せられた言葉は良くも悪くも取り返しがつかず、どんどん相手に降り積もる。それが相手を萎縮させ、押さえつけ、黙らせてしまう。組合加入を呼びかけるとき、なかなか加入してもらえなかったときも「今の若い人はね、、、、」とか「私の若い頃は●●だったけどね、、、」とか、相手に自分でレッテルを貼ってしまい、見下げてしまっていたかもしれない。そのことが、更に若手の声を引き出せない状況を生んでしまい、本当は心の中に要求があるのに、声に出せず、「助けて」と言えず、ひとりぼっちの労働者をつくってしまっていたかもしれない、と思うと心が痛いです。組合の組織率が減っていくのは、むしろ私たち運動の中心にいた人間にも原因がある。言葉のひとつひとつはとても重たい、そう思うと、自分のペースで自分の時間軸で判断せずに「じっと待つ」ということが必要なのではないかと思いました。また「多くの労働者は経営者の言葉で自分をつくってしまっている」とご指摘いただきましたが、それもまさにその通りだと思いました。よく職場では気まずそうに「有休休暇を●●日にほしいんですが、いいですか?」とスタッフに聞かれることがあります。そのたびに私は「有休休暇はあなたのものだから、取得していいですか?と承認を求めるのではなくて、●●日に取ります、と報告してくれたらいいんですよ。誰も「アカン」とは言わない。職場長だって「アカン」とは言わないはず。お互い様だから。もし言われたらそんときは組合の出番だからね。」と言って、堂々と有休を100%とるように伝えますが、若手はどうしても遠慮があったりして、同じやりとりになってしまいます。生理休暇も同様。休暇そのものを罪悪に感じる人もいる。人間らしく生きるために獲得してきた大切な権利はたくさんあるのに使えない。そう考えると、組合の仕事は今後もたくさんある。役員を退任したけど、私にできることはあるよね、とじんわり思える講義内容でした。第2講義も楽しみです。ありがとうございました。

 

■高校生のしっかりした発言に励まされたり、楽しく学ばせていただきました。事前にレジュメを読み、興味のわいたところ、心に残った言葉などをチェックして講義に臨みましたが、長久さんの解説でさらに深めることができ、あっという間の一時間でした。また、北海道の同じ民医連の仲間が多数参加していたり、青森や山形など、各地の知り合いの顔も見えて、とてもうれしく思いました。次回が待ち遠しいです。

 

■言葉とは単なる記号やコミュニケーションの道具ではなく、使い方によってどんな人間であるか(になるか)、どんな立場にたつかを決める大きな要素なのだなということがわかりました。そして言葉には、支配層の側と労働者(人民)の側の言葉がある、つまり言葉には階級性があるということですが、実際の社会(資本主義)では支配層(資本家)が優位に立っているために、社会の全体が支配層の側の言葉で覆われてしまう特徴があるということです。支配する側の力と労働者(人民)側の力との押し合い引き合いがその社会の特徴を決定するのだから(例えば、賃金の高低、社会保障の度合い、人権の広がり、軍拡か平和か…)、社会の中で支配層の言葉と労働者の言葉がどれだけ影響力をもつかも押し合い引き合いの中で決まるということだと思います。ジェンダー平等の関わりでいうと、私たちがよくぶつかる問題ですが、相手のバートナーのことを「奥さん」「ご主人」などと発して違和感を感じる場面があります。社会は男女平等、ジェンダー平等へと大きく動いているからこそ生まれる違和感であり、また意識だと思います。一方で支配層が利益を守ろうとして男女格差やジェンダー不平等を温存、助長する力も働いているのですから、ジェンダーにかかわる1つ1つの言葉にも階級性があり、それらがせめぎ合っているなかで私たちは暮らしていることになります。私たち労働者の側が無意識のうちの支配層の側の言葉を使うことが多々あるのですが、だからこそ、私たちは常にその言葉づかいに注意をむけ、私たちの側の言葉は何なのかを意識して発することが大事なのだと感じました。ただしそれは、単に言葉づかいに注意しようというスローガンではなく、自分自身が労働者階級の側に立っていることを自覚し、現実の認識を深めることで身につくのだろうと思います。レジメに「語彙は豊富にあった方が良いが、より重要なのは言葉を届ける相手との関係性・双方向性、言葉を大切に思うこと、言葉への信頼ではないか」と記述がありました。後半の交流会でも感想を述べましたが、世の中に論客と言われる人々がたくさんいてメディアで大々的に取り上げられています。橋下徹や松井一郎など維新の会の政治家、ホリエモン、竹中平蔵はもちろん、東浩紀、ひろゆき、古市憲寿などの話を聞いていても結論が体制擁護的なところへ導かれてしまうことが多く、またそれらの人の言葉に温かみを感じることはありません。そんな彼らを論破したいとは思うのですが簡単ではないのが悔しい。ですが、口喧嘩で勝つ、語彙力で打ち負かして解決することではなく、彼らに欠如している、虐げられている人々へ心を寄せ、理不尽な社会を変えようとする認識をもって臨む中で生まれる言葉を、彼らに対置することが必要だと思います。人民の側にたった言葉こそが、多くの人びとの心をとらえ、体制擁護派の言葉を打ち負かす力になるのではないかと思いました。言葉は何らかの政治的・経済的利害を背景にもつものだと思いますから、私たちが日常に触れている言葉1つ1つの意味と背景を掴み取る努力(真理の探究)を怠ると、たちまち世間で流通する体制側の言葉に絡みとられて流されていくことになるだろうと思います。

 

■有意義なお話をありがとうございました。様々な運動に参加している私ですが、本を読むのがとても苦手で、無理して読んでも著者の背景まで思いを巡らせたり、時代背景を考えたりすることは、ほとんどできず、読書は苦痛な時間となっています。しかしながら物事を考察し、運動を作る上で本から得られる情報の重要性もよくわかっているつもりです。私は今回の60分で名著のような企画を熱望していました。それは題名を見た時にピンときたのであって、具体的にイメージできていたわけではありませんが、私のように読書が苦手で、時間にも忙殺されているものでも、参加しやすいものを欲していました。民青新聞の広告を見たときは、「あーこれこれ」と思わずにやけたほどです。今回のまとまらない言葉を生きるはまだ読んだことがありませんでしたが、必ず読了したいと思いました。長久さんの紹介される言葉の一つ一つが、新鮮であり、共感もできて、作者の強い意思のようなものも感じました。[言葉というものが、偉い人たちが責任を逃れるために、自分の虚像を膨らませるために、敵を作り 上げて憂さを晴らすために、誰かを威圧して黙らせるために、そんなことのためばかり に使われ続けていったら、どうなるのだろう。肯定的な感情と共に反芻(はんすう)できない言葉ばかりが、その時、その場で、パッと燃焼しては右から左に流されていく。 そんなことが続いていけば、言葉に大切な思いを託したり、言葉に希望を見出したり、 言葉でしか証明できないものの存在を信じたり、といったことが諦められたり軽んじられたりしていくんじゃないか。]という問題意識は、私もとても腑に落ちました。活動しているなかで言葉がもつ力や可能性、語弊を生んでしまうことを常に意識してきました。そうした私の無意識な問題意識が言語化されたような気になりました。おむつ事件は、そうした事例を今まで聞いたことがありませんでしたので衝撃を受けました。色々な問題があり、私たちの運動は至極当たり前の要求運動をしているのに社会には理解されないことがたくさんあるとつくづつ思いました。そうした経験をお話ししてくださる長久さんや、その他の皆様に感謝します。同時に、そうしたことを知り、考え、団結し、自ら社会を変える仲間と組織づくりも本当に大切だと思いました。労働運動が機能しないと経営者の言葉で話し考えるようになるというお話しは、深く納得しました。今やそうした発想の人が社会の大部分を占めて、行政の運営が会社経営の発想で考えられたり、政治家を消費者的な視点で見てしまうというとても深刻な状態だと思いが巡りました。ただし、いままでの変革者は非暴力で言葉で人々の心に火を灯し、団結で社会を前に進めてきました。今の日本はまだ戦前のように言論統制はされていませんので、大いに希望や展望を語り、言葉で社会を動かせる人になりたいと思いました。まとまらない乱文で申し訳ありません。素晴らしい60分をありがとうございました。 

 

■今回の講座で、いつも使っている言葉が自分の人格形成や自己表現に繋がっているということが分かりました。1番印象に残っていることは自己責任についてです。とくに自己責任という言葉が『他人の痛みへの想像力をそいでしまう』というところはとても考えさせられました。人々がなにかあったときに自己責任で片付けてしまうのはどこかで自分には関係の無いことだと切り捨てているからだと思います。でもその自己責任論者は自分も余裕が無いくらい追い詰められていて他の人の痛みを考えられなかったり、理不尽なことに我慢していてあなただけじゃないと思ってしまったりしているから自己責任という言葉に頼ってしまうのかなと感じました。私も自己責任という言葉には苦しんだ経験があります。特に女性の性暴力の被害に遭ったことは自己責任という言葉です。私自身性被害に遭ったことがあり、その時私は被害に遭ったのは自分の服装のせい、自分に隙があったからと無意識に思いました。そのため私はすぐに親や学校に助けを求めることが出来ませんでした。お話を聞いて自己責任という言葉は人を黙らせ、それが理不尽だと思わなくなってしまうんだなと改めて実感しました。また、自己責任によって生じる孤立を無くすために運動や組織が大切ということが分かりました。これからの活動に対しての意識もより高まりました。まずは身近な家族や友達にあなたのせいじゃないということを伝えていきたいです。

 

■いま「言葉」が力のある人々の都合のいい道具として使われていることを改めて実感した。嘘や保身のために言葉が壊されていくことに歯がゆさを感じる社会でピンポイントな講義でとても聞き応えがあった。私自身、自分の考えを相手に伝えたり、言葉という形にすることが苦手だけど、苦手だからといってそのまま放置していたらもっと酷い社会になってしまうと危機感を持った。普段から「言葉」の訓練をしていくことが大事。「経営者の言葉で労働者が話してしまいがち」という話も、会社に勤める人間として身につまされた。無意識のうちに自分でもそういった思考になってしまっている。意識して気を付けないといけない。

 

■私はNHKのEテレの「100分de名著」という番組が好きです。今年になってからも『資本論』(カール・マルクス)、『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)や『群集心理』(ル・ボン)などが紹介されています。今回の「60分de名著」はこれをもじったものだと思い興味がありました。しかも、自分が知らない本(名前は聞いたことがあるが中身は知らないものもある)について紹介されているので、新しい視野が広げられるような気がして参加しました。荒井裕樹さんの『まとまらない言葉を生きる』は、障害者に寄り添って、その中で彼らとつながる「言葉」とは何か、彼らを抑圧する・黙らせる「言葉」とは何か、そして「自己責任」論が「人を黙らせる」不気味な言葉であること、など人権を守り発達させるうえで学びの機会となりました。印象に残った言葉は(本からの引用も長久さんのことばも含めて)、・運動・組織のなかで「個人の自己表現」が豊かに促される、という側面がある。・「『誰かを黙らせるための言葉』が降り積もっていけば、『生きづらさを抱えた人』に『助けて』といわせない『黙らせる圧力』も確実に高まっていくだろう」(→だからそういう言葉を批判し、アドボカシーの取り組み、アウトリーチの取り組みが必要なのだろうと思う)・日本国憲法の条文は主語として「すべて国民は・・・」で始まる。国民を区別していないことのすばらしさ(勝ち組・負け組ってひどい表現の見本だと思う)・人権とは・・・これを奪われたら生きる喜びさえ味わえないという、その一線を取り返すことだ・「オムツを使わないのはわがままなんじゃないですか?」(自治体職員の言葉)の理不尽さ・・・これは事件です。・「自己責任という言葉の不気味さ」3点①2004年の「イラク邦人人質事件」がきっかけだが、当時騒がれた時から意味が拡大しすぎている。②『自己責任』が『人を黙らせるための言葉』になりつつある。③この言葉が『他人の痛みへの想像力を削いでしまう』・自己責任論は、「社会的責任」と「個人的責任」を意図的に混同し、支配層にとっての不都合なことすべてを「自己責任」に解消することで、社会的・公共的責任を放棄し、あるいは隠蔽しようとするもの

 

■ほんとは荒井さんの本読んでから参加したかったけど、図書館予約待ちが長くて読めなかったのが残念。でも講義を聞いてメモりたい言葉がたくさんあったし、必ず読みたいと思った。「人権を守る言葉は、特別なものではない」にハッとしたし、「自己責任は人を黙らせるための言葉」にあらためて言葉の怖さを感じ、「エンパワーメントとは、人々が一堂に会するときに起こる。人は結集することで孤独感から解放され、自分だけが経験していることではない、と感じるのだ」にふむ、なるほどと唸った。1番印象に残ったのは、「いわば弱者としてのままで、弱者として連帯することで主体性を取り戻し…」の部分だった。弱者だからこそ感じられる痛みがあるし、弱者だからこそあげられる声がある。勇気づけられた。

 

■自分の放った言葉が、人を勇気づけたり逆に傷つけたりすることがあるんだという意識をしっかりもって言葉を大切に使っていきたいと思いました。

 

■「聴く」「聴きあう」「謙虚に問いかける」ことから始まるってことが、大事だとよくわかった。

 

■いろいろな自分の周りのできごとがこのテーマにつながって、講義後、語りつくせないほど「自分の表現」が出てきているのを感じました。「集まれば元気が出る。集まったら自分の表現がうながされる」長久さんの言葉のとおり、退室後のおかやま民青は3人×3グループ交流で白熱していましたよ! うれしかった。

 

■「お金の心配なく学ぶ」は「お金の心配なく暮らす」にもつながってくると思う。そして「生きた心地」につながる。それも人権につながると長久さんの話を聞いていて思った。

 

■民青の班会で言葉がどんどん出てくる感覚や、言いたいことがどんどん出てくる感覚の理由がわかりました。当事者が声をあげる難しさが、自己責任論でさらに強まっていると思いました。話すこと(自己表現)が、主権者をエンパワメントするのだということは、改めてはっきり言われてそうだなと思いました。

 

■キャッチボールと雪合戦の違いという言葉は、論理的に否定する人に対して、意味深い言葉だと思った。

 

■言葉の尊厳を失うことは、人間の言葉を失うことという話が印象的で、日常のひと言ひと言の重みを感じました。でも、言葉には呪いの言葉のような怖い面もあるけど、人を力づける言葉、癒す言葉にもなると学んで、自分の言葉が後者になるように気をつけていく勇気にもなりました。また、自分もまだまだだけど、社会と自分を結ぶ言葉が育ってない青年たちと出会って、自分の話をきいてくれる安心感と温かさのある民青の存在をより伝えていきたいと思いました。